元気になるおまじない
夕暮れの空は少しだけ赤く染まりかけていて、風がどこか涼しくなってきた頃、奈々は学校帰りの道で立ち止まった。
ランドセルが肩に重たくのしかかり、靴の中では靴下が少しずれて気持ちが悪い。
でもそれよりも胸の奥がずっと重かった。
友達とのちょっとしたすれ違い、テストの点数、家での叱られた言葉。
それが積み重なって、「ああ、今日もだめだったな」と思った。
誰かに「大丈夫だよ」と言ってほしい。
でも言ってくれる人が近くにいない日は、声を出すことすらためらわれた。
ふと、横を見ると小さな神社があった。
普段は通らない道をなぜか今日は歩いていて、気づけばそこに立っていた。
赤い鳥居と石の階段。
社の奥には、少し色あせた木の札がぶら下がっている。
奈々は何かに引かれるように境内に足を踏み入れた。
風の音と木の葉のざわめき、どこか懐かしい空気がそこにあった。
拝殿の前に立ち、手を合わせようとしたが、お願いごとが浮かばなかった。
「頑張れますように」
「友達と仲直りできますように」
「怒られませんように」
そういう言葉はもう何度も言ってきた。
でも、叶ったためしがない気がして、口には出さなかった。
そのとき、社の隅にひとつの張り紙が目に入った。「元気になるおまじない」と、子どもの字で書かれている。
裏紙に鉛筆で書かれたそれは、誰かがふざけて貼ったものかもしれない。
でも奈々は、吸い寄せられるようにその紙を読んだ。
《おまじないのやりかた
一・目をつぶって、深呼吸を三回する
二・好きな色を思い浮かべる
三・その色で心を塗りつぶすように想像する
四・最後に「だいじょうぶ」って言う》
奈々は思わずくすっと笑った。
「小さな子どもみたい」
でも、それと同時に「やってみようかな」とも思った。
だって、元気が出ないままでいるのは、もう少ししんどい。
奈々は目を閉じて、深呼吸を三回。息を吸って、吐いて。
音だけの世界に意識をゆだねると、少しだけ背中の重さがやわらいだ気がした。
好きな色は、水色。空の色でもあり、海の色でもある。
頭の中いっぱいにその色を浮かべていく。胸の奥も、手のひらも、喉の奥も、水色で満たされていく。
苦しかった心の隅々まで、優しく塗られていく感覚。
そして、小さく「……だいじょうぶ」と口にした。
それだけだった。魔法のような変化はない。
でも、立ち上がる足は少しだけ軽くなった。
重たいランドセルも、さっきより少し平気になった。
もしかしたら、「大丈夫」は、自分が自分にかける魔法なのかもしれない。
神様も、友達も、誰かが言ってくれるのを待つより、自分で言ったほうがずっと早い。
帰り道、奈々は水色の空を見上げた。
雲が少しだけ笑っているように見えた。
胸の奥に、ほんの少しだけど、光が差している気がした。
明日もたぶんうまくいかないことはある。
でも、「大丈夫」って言えるなら、また歩いていける気がした。