第2話:氷の姫君のゴミ屋敷
「くそっ……!」
一瞬だけパニックに陥った思考を、無理やり引き戻す。
とにかく、こんな冷たい場所に寝かせておくわけにはいかない。
俺は月宮の華奢な体を、そっと抱きかかえた。
驚くほど、軽い。ちゃんと食べていないのだろうか。
プラチナブロンドの髪が、俺の腕からさらりとこぼれ落ちた。
彼女を部屋の中へと運び込む。
そして、目に飛び込んできた光景に、俺は言葉を失った。
なんだ、これは……。
床には、コンビニ弁当の容器やカップ麺のゴミが散乱している。
飲みかけのペットボトルが転がり、脱ぎ散らかされた服が小さな山を作っていた。
部屋の隅には、パンパンに膨れたゴミ袋がいくつも積み上げられ、微かに酸っぱいような異臭さえ漂っている。
これが、あの完璧な『氷の姫君』の部屋だというのか……?
想像を絶する光景に立ち尽くす俺の目に、部屋の中央に鎮座する、一つの家具が映った。
グランドピアノだ。
美しい黒の艶を持つ、立派なグランドピアノ。
だが、その天板にはうっすらとホコリが積もり、まるで主に見捨てられたかのように、寂しげに佇んでいた。
このゴミの海の中で、そのピアノだけが、不釣り合いなほどの神聖さを放っている。
昨夜、あの悲鳴を上げていたのは、こいつなのか。
俺は、かろうじてスペースのあったベッドに、月宮をそっと寝かせた。
制服のネクタイを緩め、額に浮かんだ汗をハンカチで拭ってやる。
相変わらず呼吸は浅いが、少しだけ落ち着いてきたように見えた。
救急車を呼ぶべきか?
いや、見たところ外傷はない。おそらく、栄養失調か何かだろう。
もし救急車を呼んで、彼女のこの部屋が誰かの目に触れたら……。
プライドの高そうな彼女が、それを望むとは思えなかった。
俺がどうすべきか迷っていると、ベッドの上で、月宮の長いまつ毛がぴくりと震えた。
ゆっくりと、その瞼が開かれる。
現れたのは、夜の湖のような、深く澄んだ蒼い瞳だった。
ぼんやりとしていた彼女の視線が、心配そうに覗き込む俺の顔を捉えた、その瞬間。
瞳の奥に、鋭い光が宿った。
それは、怯え。
そして、自分のテリトリーに侵入してきた未知の存在に対する、強い警戒心と、明確な拒絶の色。
彼女は、弱々しい体で必死に後ずさり、俺から距離を取ろうとした。
その動きだけで、息が上がっている。
「誰……?」
か細く、掠れた声。
だが、その響きは、氷のように冷たかった。
「俺は、隣の……」
「どうして、私の部屋に……いるの」
俺の言葉を遮り、彼女は問い詰める。
その蒼い瞳は、侵入者である俺を、まっすぐに射抜いていた。
倒れていたお前を助けたんだ、と言えばいいのだろうか。
いや、違う。
そんな正論が、今の彼女に通じるとは思えなかった。
俺は、彼女の問いにどう答えるべきか、言葉に詰まってしまう。
助け起こした美少女は、ゴミの山に囲まれた城で、傷ついた獣のように俺を睨みつけていた。