王国法典第四百七条「焚火煙方向指定義務」
【王国法典 第407条 抜粋】
『野外で火を扱う者は、あらかじめ“風向予測義務”を負うものとする。
焚火その他の燃焼行為において、煙が法定方角(西向き)以外に逸れた場合、
行為者に対して過失責任を問うことができる。
※事前申告・風向修正魔法の利用により、減免措置あり。』
旅の道中、森の開けた丘で、ケンスケとハナは野営の準備をしていた。
日も暮れ、簡素な焚き火がパチパチと音を立てる。
「ふぅ……さすがに歩き疲れたな。ハナ、今夜は焼き魚でどう?」
「ええ、いい匂い──って、煙、北東に流れてるわよ。」
「だから何?」
「……通報されたら罰金3千リルドよ」
「はぁ!? 煙の向きで罰金!?」
ハナがバッグから法典をめくり、小さく読み上げる。
「第407条。“煙の流向は西を基準とする。逸れた場合は過失責任”」
「風に流されたらどうしようもねぇだろ!?」
「そこは国も理解してて、“風向予測”と“修正魔法”を推奨してるの。
つまり、“対策してなかったらアウト”って意味」
「……なんで焚火するたびに風と戦わなきゃならんのだ」
すると、藪の奥から影がひとつ現れた。
「焚火、なさってますか?」
現れたのは、黄緑のベストを着た小男。
肩には「野外活動管理庁・分室」のワッペンが見える。
「私は気流指導補助官、マヒル=トルシエです。
煙、そちら(北東)に流れてますね? 通報がありまして」
「誰がこんな森の中で通報すんだよ……!」
「通報者の秘匿は国の義務ですので。
ただ、“煙の匂いが不快だった”との苦情が都市側に届いております」
ハナが遮る。
「そもそも今夜の風向きは“北北東”。
この場所からなら、自然に流れても西から外れるのは必然。
私たちはその地形を踏まえ、“煙方向報告書・簡易版”を事前に作成済みよ」
「……なっ、そ、そんな書類どこで手に入れたんだ」
「公共書式データベース・風第94号。国の公式サイトに掲載されてる」
「………っ、わかりました。では今回は“風向補足義務の緩和対象”として処理しますが、次回はぜひ煙修正魔法の使用を検討してください」
「修正魔法、けっこう高いのよね……」
「“違反で罰金を払うよりマシ”というのが政府の見解です」
補助官が立ち去ったあと。
ケンスケは焼き魚をひっくり返しながら、ぼそりと呟いた。
「なあ……この国って、
魚を焼くだけでも罪に問われる国なのか?」
ハナはにこりと微笑んだ。
「いいえ。“風に従わなかったこと”が罪なのよ。
自然に逆らったわけじゃない。法に従わなかっただけ」
しばらくして、魚が焼き上がった。
ケンスケが串を手にしながら、空を見上げる。
「……なあ、空の向こうには、煙の向きなんか気にせずに飯を焼ける国って、あると思うか?」
「あるでしょうね。
でもたぶん、そういう国には“もっと危ない法律”があるわ」
「はは、救いがねぇな」
「でも、私たちには《煙方向記録書》があるじゃない」
「……安心して飯が食えるって、書類がなきゃ成立しないのかよ」
ふたりは小さく笑い、焼けた魚を一口かじった。
丘の上、遠くから彼らを見下ろす黒衣の影。
セイガ・トキツネは草むらに膝をつき、ノートに何かを書きつけていた。
【観察記録:No.23】
焚火実施者、風向把握済。書類対策により非違反判定。
違反しないことが目的ではなく、“生き延びるための法解釈”が彼らの行動原理。
対象は“法律の縫い目”を本能的に探っている。
………………
彼はペンを止め、ぽつりと呟く。
「次に彼らが違反するのは、“意図的ではない”だろうな」
そして、セイガは記録簿を閉じ、夜の闇へと消えていった。




