王国法典第六百二十三条「職業属性別・呪文使用時間制限」
【王国法典 第623条 抜粋】
『職業区分に応じ、呪文の使用可能時間・回数を制限するものとする。
冒険者は日の出から日の入りまでの間、一日3回までの呪文使用を基本とし、超過する場合は“特例魔導行使申請書”の提出と審査通過が必要である。』
森の奥、ケンスケとハナは逃げていた。
追ってくるのは、全身を黒煙に包んだ魔獣“スモークロア”。猛毒のブレスを撒きながら、木々をなぎ倒して迫ってくる。
「ハナ! あと一発、頼む!!」
「…………」ハナの手が、ぴたりと止まる。
「……撃てない」
「は!? いやいや今でしょ! 撃って!!」
「今撃ったら、私は“違法魔導者”になるのよ!!」
ハナの表情は、いつになく苦しげだった。
「私は今日すでに三発使ってる。
朝に《解毒術》、昼に《強化障壁》、さっきの《雷撃》で、上限ちょうどよ」
「そんなアホな……! モンスターは24時間いつでも襲ってくるのに、なんでこっちだけ時間割なんだよ!?」
「職業別呪文制限法。第623条。
“呪文の濫用による秩序の乱れと、魔力資源の公平性”が建前よ。実態は“管理したい”だけ」
「じゃあどうすんだよ!!」
「撃つには“特例魔導行使申請書”が必要。しかも事前提出」
「今出せよ!!!」
「“提出から最短3日後に審査通知”よ」
「何その意味のない制度!? もう魔獣に食われてるだろ!!!」
スモークロアが迫る。
ケンスケは剣を抜き、覚悟を決めた。
「……わかった。なら俺が斬る」
「待って」
ハナが、懐から“使用済呪文記録書”を取り出した。
「この記録があると、“早朝分”と“日中分”の区別が明確にできるの。見て、これ──1発目、《解毒術》の発動時刻が“午前4時57分”」
「……?」
「法典の“日の出時刻基準”って、“午前5時以降”なのよ。つまり、この呪文は“前日扱い”としてカウントできる可能性がある!」
「マジかよ……!」
「記録が公式形式だから、抵抗はされにくい。
そして、もし違法認定されても“解釈の不一致”で済ませられる」ハナは言い切った。
「つまり、今撃てる?」
「……撃てるわ!」
ハナの目が光る。
「《雷刃穿天・改》ッ!!」
雷光が空を割き、魔獣スモークロアを直撃。
轟音と閃光の中、黒煙が弾け、怪物はようやく沈黙した。
二人は倒れたスモークロアの前に立つ。
「……助かったな」
「ええ。でも、これで違反カウント“グレー1”がついたわ」
ハナが小さく苦笑する。
「“グレー1”?」
「“厳密には違反じゃないが、解釈によっては記録に残る行動”の略。この国、“白黒つかない記録”を積んでいくと、自然と監視対象になるのよ」
「……これが、自由のない国か」
ケンスケがぼそりと呟いたときだった。
「違うな。“自由”がないんじゃない。自由を“与えるふり”が上手いだけだ」声がした。
二人が振り返ると、そこには──
またしても黒衣の律導官、セイガ・トキツネの姿。
「……さっきの魔法、記録されたぞ。
だが、“午前4時57分”発動。うまい解釈だ、
ヌケミ・ハナ」
「……あなたに褒められても嬉しくないわ」
「警告はしない。ただ、“戦いながら法を避ける者”は、必ずいつか“記録が重みになる”」
「法は剣より重い。それを理解してなお、君たちは進むのか?」
セイガの問いに、ケンスケは即答した。
「ああ。俺たちは進む。“法が間違ってるなら、切り拓くしかないだろ”」
沈黙。
やがてセイガは背を向け、静かに消えていった。
夜明けが近づいていた。
「なあ、ハナ」
「なに?」
「今の魔法……どんなリスクがあったとしても、やっぱ撃ってほしかったよ。お前が撃ったあの雷で、俺はまた“生きてる”って実感した」
「……それ、法廷で使えそうな証言ね」
「褒めてんだよ!!」
ふたりの笑い声が、森に小さく響いた。