王国法典第二百二十五条「対話相手・官職明示義務」
【王国法典 第225条 抜粋】
『公的任務に従事する者(例:役人、騎士、調査官など)は、
市民に話しかける際、自己の官職・所属・職務目的を明示すること。
明示なく対話・命令・干渉を行った場合は「非明示接触行為」として違法。
※ただし、緊急時・機密任務中・特別許可時はこの限りではない。』
広場の一角。
ケンスケとハナは、巨大な掲示板の前に立っていた。
町で増加中の「村落襲撃事件」について、新たに討伐隊の協力依頼が出たばかりだった。
「行く? ケンスケ」
「うーん……ちょっと待て」
そのとき、背後から声がした。
「君たち、そこに立ち止まらないでもらえるかな? 掲示板閲覧の妨げになる」
振り向くと、革鎧を着た男がひとり。
腕には王国騎士団の紋章らしき刺繍。だが──
「お前、誰?」
「君たちに警告しているんだ。質問に答える義務は──」
「名乗ってください。」
遮ったのはハナだった。
「“所属・職務目的”を明示しない接触行為は、第二百二十五条違反よ」
「なに……?」
男は明らかに狼狽していた。
「……いや、私はただ……掲示板を、だな……」
「“ただの通行人”が“注意命令”をする権限はありません」ハナの声は冷ややかだった。
「あなたが騎士で、命令を出す立場なら、それを明示してください。さもなければ、“勝手に注意してきた通行人”です」
ケンスケが横からニヤリと笑う。
「な? こういう国なんだよ。
命令する前に、まず“肩書きの提示”が義務。
しなかったら“その言葉に効力はない”」
男はしぶしぶと札を取り出した。
「王国第三遊撃隊・副隊長代理・補佐代理……の、リオ・メレクだ」
「……長ぇな」
「この任務で“隊長”がいないから、“副隊長代理の補佐代理”なんだよ!!」
「それで今、俺らに“命令権限”あるのか?」
「…………ない」
「じゃあ、ただの注意オジサンだな」
「※30歳です!!」
件の騎士が去ったあと、ハナが小さく呟いた。
「……この条文、王国が“市民の自由”を守るために制定したはずなのに、今では“揚げ足取り”の手段に使われてるの、皮肉よね」
「要するに、“名乗ること”が形式化してて、
実際の態度や理不尽さのほうが後回しになってるってことか」
「ええ。“肩書き”がないと、正しさも伝わらない国。
でも逆に、肩書きさえあれば、言ってることが間違ってても通ることもある」
そのとき、また別の人物が近づいてきた。
「……面白いやりとりだったな」
黒衣の律導官、セイガ・トキツネだった。
「律導官・第七監督区所属、セイガ・トキツネ──目的は“観察と記録”」
「……ちゃんと名乗ったな」
「当たり前だ。“法の番人”が違反したら、示しがつかない」
セイガはふたりに視線を向けた。
「……だが、君たちも少しずつ“この国の法の使い方”を理解してきたようだな」
ケンスケは、ちらりとハナを見る。
「俺たちは、ただ“やられる前に法で守る”だけだ。
剣を抜く前に、法で盾をつくってる──そんな感じ」
セイガは静かに頷いた。
「それは正しい。だが、“盾の重さ”に気づいたとき、
君たちは果たして、まだその手に剣を握れるだろうか?」
ケンスケは応じた。
「持ち続けるよ。俺の剣は、盾にもなるって決めたからな」
セイガの目に、一瞬だけ感情の揺らぎが宿った。
そしてまた、霧のようにその姿は消えていった。




