仮初めの婚礼と本当の想い8
わたくしが昨夜あれほどこっそり胸をドキドキさせていたというのに、翌朝には「ルーファス公爵が実は病弱どころか、むしろ騎士並みの腕力で少年貴族を助けたらしい」という噂が王都中を飛び回っているではありませんか! しかも「公爵様、いや実はめちゃくちゃ元気なんじゃ……?」と猜疑の視線が濃厚に。わたくしの胸中の“未確認トキメキ爆弾”は、早くも不穏な外圧にさらされております。
「おはようございます、セレスティア様。昨夜はよく眠れましたか?」
廊下ですれ違ったシャルロットがにっこり微笑むものの、その瞳には純粋な好奇心が宿っている。彼女が言いたいのはきっと“夜中に公爵様があなたのお部屋を訪れたんでしょ?”という点なんでしょうね。ああ、もう! 聞きたいなら面と向かって問いただしてくれたほうがまだマシと申しますか……。でもシャルロットは社交界のプロ、そんな下品な詮索を公然とはしません。そして代わりにわたくしの落ち着きのなさをじっと観察して、「随分うわついた顔ね?」と揶揄った笑みを浮かべるのです。やめてちょうだい、どうせわたくしはバレバレでございますとも!
そこへリリアがすかさず登場。「あれ、セレスティア。なんだか昨夜の余韻に浸ってる?」と、さらにツッコミを重ねてくるからやってられませんわ。ちょっと待ちなさい、わたくしは朝からご機嫌斜めなのです。なにせルーファス様が“実はめっちゃパワフルだ説”を広めてしまったら、例の皇太子殿下が色々と嗅ぎ回る可能性が高いんですもの。音楽会の前に余計な面倒がやって来るのはご勘弁願いたいわ。
「そもそも、中流貴族の少年を荒れた川から救っただけで大騒ぎになるなんて、皆さまほんとに噂好きなんだから…。騎士にでも任せておけばいいのに、どうしてわざわざ公爵様自ら川を飛び越えて助けちゃったんでしょう。おかげで『本当はどこも悪くない』って言われはじめたの、周知してます?」
わたくしが嘆息まじりに問い掛けると、リリアは肩をすくめ、「助けを求める声を聞いたら身体が勝手に動いちゃったんじゃない? 見ず知らずでも当たり前に救いの手を差し伸べる公爵様、わりとヒーロー願望あるんじゃない?」なんて無責任発言。そういう正義感の塊っぽい面が、世間の“病弱”イメージと真っ向から矛盾するんですよ! ああ、わたくしの胃痛が再来する気がする。
でも、屋敷の中は意外とその話題で持ち切りにはなっていません。むしろ使用人たちは「まあ、公爵様ならやりかねませんね」というドライな納得具合。というのも、この数日、屋敷には別の噂が渦巻いてるからでしょう。具体的には「皇太子殿下が暗躍中」「皇女殿下がお忍びで使用人のなかに間者を放った」とか、想像力全開すぎる怪情報ばかり。わたくしとしては何が嘘で何が本当か、頭が痛くなるレベルの混乱模様ですけれど、ともあれ皇太子サイドが我ら公爵家を怪しんでいるのは事実。だったら規模を大きくしすぎないように、さっさと音楽会を成功させて逆にこちらから探り返すしかありませんわ。
「セレスティア様! 大変でございます!」
そんなタイミングで、クイナちゃんがまさに小走りで駆け寄ってきました。頬をほんのり赤らめ、目を潤ませながら息も絶え絶えです。えっ、何事?
「どうしたの、そんなに慌てて? まさか今度こそロラン執事がほんとの隠し子を見つけたとか、そういう新ネタじゃないでしょうね?」
「え、いえいえ、まさか! 実は……今朝届いたお手紙のなかで、皇太子殿下が『まだ正式招待を受け取ってないが、公爵家に用があるので早めにお邪魔する』とか書かれていて――あの、どうしましょう……?」
なるほど、わざわざ招待を拒否するんじゃなく、逆に前倒しで乗り込んでくる気なんですね、あのお方! わたくし、心の底から叫びたいです。「早い、殿下、早すぎる!」って。音楽会にはまだ備品の確認やらプログラム調整やら色々あるというのに、どうしてこうも人の心の平穏を踏み荒らすのがお好きなのでしょうね。まったく、王家の血ってそういう仕様?
「受け入れるしかないでしょ。せっかくなら大歓迎しちゃえば? いっそ『殿下、さすが行動力の権化ですわね。お疲れでしょうから安らいでいって!』くらい塩対応と紙一重のもてなしが良いんじゃないかしら?」
わたくしの捨て身ギャグに、クイナちゃんは「あははは……」と苦笑しながらも力が抜けたようです。いいのよ、笑顔になったならそれでよし。だって皇太子殿下がなんぼのものですか。彼がどう動こうが、こちらにはルーファス様という“さらりと人を救ってしまう貴族ヒーロー”がいますもの。あとはこっちの弱みを気取られぬよう、病弱だなんだと言われても「あらまあ不治の咳が出るのかしら困りましたわ~」と惚けてしまえばいいのです。
――などと高をくくっていたのですが、その数時間後、実際に皇太子殿下が現れたときのわたくしの心情は「やれやれ」を通り越した「おやおや、燃やしていいですの?」に近かったですわ。なにせ目の前に座るお方が、いつもの高圧的オーラを振りまきながら、わざわざルーファス様の身体をじろじろ観察なさるんですもの。何か言いたげだなと思ったら、にやりと口元を歪めてこう切り込んでくるのです。
「ねえ、公爵。きみ、ずいぶん体調が良さそうじゃないか? 先日も川で揉みくちゃになっても平然だったとか。病弱とはいったい、どこの世界の話なのかな?」
あららら、もう随分直球ですね、殿下。でもわたくし、こういう嫌味満載の口調には慣れておりますわ。この手の誘導尋問にはテキトーに返すが吉。
「殿下、お加減はいかがです? わたくしどもと比べてお疲れが溜まっているようにお見受けしますけど――あら、違いました? 誰にでも体質の波というものがあるではありませんか。ルーファス様も決して無理なさらぬよう、日頃から注意を払っておりますわ」
と、わざと“あらまあ殿下のお顔色、優れません?”みたいに刺してみると、皇太子殿下の頬がピクリと引きつりました。ふふ、ちょっとした反撃程度ですが効いてますね。
そんなわたくしの皮肉に乗っかって、ルーファス様は涼やかに笑い、「ええ、昔から持病はあるのですが、浮世の義務を果たすため鍛錬は欠かせませんから」とさらりと受け流します。なるほど、病弱オーラを装いつつも矛盾を上手く言い繕うとはやりますね。皇太子殿下は納得いかない様子ながら、「ふん、本当にそうなのか、いずれ確かめさせてもらう」と吐き捨てるように言ってきて、どうにか追及を終える気配。そして座を立つと、「音楽会とやら、興味深いね。わたしも出席しよう」と勝手に宣言し、颯爽と部屋を出て行きました。……ああ、なんでしょう、この敗北感。結局あちらの思うツボではありませんか。
部屋を後にした殿下を見送りながら、わたくしはルーファス様に視線をやりました。すると彼は少しだけ眉尻を下げ、小さく息をついています。
「……正直、皇太子殿下がこれほど早く動くとは思わなかった。音楽会で牽制し合うつもりだったが、先手を打たれたみたいだな」
「いえいえ、まだ慌てることはありませんわ。今はただ、皇太子殿下をどう喜ばせて――じゃなくて、どう丸め込んで差し上げるか考えればよろしいのでは?」
「……君はやはり強いな」
「お褒めにあずかり光栄ですわ」
そう返事しながら、わたくしは内心これっぽっちも気が抜けません。このタイミングであの皇女殿下がやって来たら、ますます面倒事が倍々ゲームになるのですから。それを察してか、シャルロットが「実はもうすぐ皇女殿下も動くらしくて……」などと小声で告げてきたときには、本気で目眩を覚えましたわ。
その一方で、ディオンはどうやら魔力の不調が少し和らいだらしく、廊下で見かけたときには沈んだ顔色が多少マシになっていました。彼はわたくしに気づくと、すこしバツが悪そうに会釈し、「もしお力になれることがあれば言ってほしい」と言葉少なに申し出てくれます。おお、心強いじゃありませんか。怖いのは皇太子&皇女のツープラトン、そして引き続き謎の間者疑惑。仲間は多ければ多いほど助かります。でもディオンが無理をして倒れたら、今度はそちらの騒動が拡大しかねませんから、きちんとペースを考えて行動していただかなくては。
そして夜になり、わたくしは自室で一日の疲れを思い切り布団にぶつけておりました。ゴロン、と転がりながら「あー、もう!」と壁に小さく当たり散らしたい気分です。ルーファス様が匂わす“秘密”は一体何なのか、皇太子殿下がそこにどう絡んでくるのか、わたくしは全貌を知る前に振り回されてばかり。
――しかも、あの夜に囁かれたドキドキ台詞とか、今朝のシャルロットたちの探りとか、もう少女漫画ばりに胸が躍る展開がありながら、現実は皇族の圧力と謎の多さに潰されそう。恋愛の楽しさを味わいたい気持ちと、悪役令嬢としての腹黒モードを発動させてザマァ展開を狙いたい気持ちが、わたくしの中で大渋滞しています。ほんとにジェットコースターみたいで、まったく落ち着きませんわ。
でも、音楽会はすぐそこ。あの皇太子殿下も宣言した以上、やつらが来ないとは考えにくい。いっそ大勢の客人の前で“ルーファス様はやっぱり病弱なので~”と強烈にアピールして、特徴的な咳でも練習しておけば、あちらの裏をかけるでしょうか。それとも正々堂々、“あら、こんなに元気だったのですね”と開き直られて、かえって不都合が表面化するのか。うーん、こっちが一枚上手を行くかあちらが先手を打つか。次の一手を誤れば、婚約破棄どころか公爵家丸ごと大炎上もあり得る。やっぱりこの国の社交界はいつの時代もスリル満点すぎますわね。
――まあいいでしょう、覚悟を決めるしかありません。どう転んでも、わたくしはわたくし。悪役令嬢の誇りに賭けて、“皇族の御前で堂々と踊り狂ってやります”くらいの勢いで行きますわよ。そう決意を固め、深呼吸をしてみると、どこかでドアをノックする音が……まさか、またルーファス様? 心臓が一気に暴走しかけたわたくしでしたが、どうやら今回は違うみたい。
「セレスティア様、そろそろ休まれますか? お茶でもお持ちいたしましょうか?」
控えめなクイナちゃんの声に胸をなでおろし、わたくしは返事をします。
「ありがとう、そうね…。では一杯だけお願いしようかしら」
お茶を飲みながら、改めて頭をめぐらせる。音楽会、皇太子殿下、皇女殿下、そしてルーファス様の“病弱疑惑”――いずれすさまじいクライマックスが待ち構えているのは確実。わたくしの心臓は緊張半分、期待半分でドキドキしっぱなしです。恋も陰謀も一緒くたに突き進むこの展開、いよいよ“形だけの婚約”に終止符を打つ日が近いのかもしれません。
次なる嵐がどれほど恐ろしいかは分かりませんが、ここで引き下がるくらいなら最初から悪役令嬢なんて名乗りませんでしたもの。さあ、皇太子殿下が見せようとする手の内を、わたくしは片っ端から暴いてざまぁいたしましょう。ルーファス様の秘密も、どうせなら抱きとめてあげましょうじゃありませんか。――優雅に笑い、毒舌と策謀を両手に携えて、次の幕を呼び込む準備はばっちりですわよ!




