仮初めの婚礼と本当の想い1
「それでは失礼いたしますわ」
皇女殿下の侍女長なる人物一行を見送り、玄関扉がぴしゃりと閉まった瞬間です。屋敷の廊下が、まるで舞台の幕が降りた後のように静まり返りました。慣れないほど張り詰めた空気に、わたくしセレスティアは思わず肩をぐるぐる回してしまいます。
「はあ、やっと終わりましたわね。あれで“話し合い”ですって? ただひたすら殿下のご威光をちらつかせてきただけな気がいたしますけど」
横でルーファスがこほんと咳払い。ご機嫌斜めなご様子ですね? 目元は笑っているようで笑っていませんもの。
「やれやれ、侍女長どころか“皇太子のスパイ役”みたいだったな。何か一言でも『指輪文化』に触れてくれたらまだ面白かったんだが」
「本気でわたくしたちを丸め込みに来たようなものよね。変に問い詰めてこないところを見ると、クロード皇太子と皇女殿下の思惑が絡んでいるのは確実でしょうけれど」
わざわざ派手な馬車で乗りつけてきた割に、収穫ゼロな顔をして帰った侍女長。彼女が持ち帰る「報告」はきっと“グレンフィールド家はなかなか一筋縄じゃいかない”という内容に終わるはず。わたくしとしてはざまぁ味が薄くて物足りなさもありますが、まあ第一ラウンドはこんなところでしょうか。
「セレスティア様、お疲れじゃありませんか?」
そんなわたくしを気遣ってくれたのはカトレア。彼女は見た目に似合わず毒舌家なのだけど、やっぱり優しいところもあるのです。わたくしは軽く笑って応じました。
「ありがとう。でも疲れるより先に、あらたなやる気がゴリゴリ湧いているわ。クロード皇太子と皇女殿下、わたくしをただのお飾り婚約者と舐めてくれているらしいもの」
「それならば奮起するしかないですね。ざまぁ返しのリストがまた増えそうです」
「そうよ、そろそろ一覧表を作ってみようかしら。『お返し計画:皇太子編』とか『皇女殿下対策リスト』とか」
冗談めかして言うと、カトレアだけでなくミモザやダリアまでわくわくした表情です。使用人がこんなにモチベーション高いお屋敷なんて、ここ以外にあります? むしろ王国一アグレッシブなご一同さまかもしれませんわ。
ところで、先ほどの交渉前にちらっと耳に挟んだのですが、執事のロランが何やら「孤児の子を迎えたい」との相談を旦那様――ルーファスに持ちかけたとか。きちんとした手順を経て、使用人見習いとして屋敷に住まわせたい、という話らしく。
「あら、ロランが面倒を見ている子がいるなんて、初耳ですわね」
わたくしが尋ねると、ダリアは密かに目を輝かせました。
「以前から細々と続けていたらしく、ロラン様が毎月寄付をしている孤児院で優秀な子を見つけたんですって。それで公爵家の許可がおりるならと……」
「あらあら、うちも随分と器の大きい話をするわね。もちろん大歓迎よ。ロランが信頼して支援してきた子なら、きっと真面目な子に決まってますもの」
ルーファスも頷きつつ、微妙に気恥ずかしそう。
「実は、俺の両親も昔から孤児院に支援を続けていてさ。ロランはその代理役みたいなものだ。だから当然、正式に迎えたいというなら反対はしない。ただ、両親が滞在している間に急に持ち出された話だから、ちょっとタイミングが……」
「まあ、いろいろ根回しが要りそうですね。でもわたくし、この手の話はけっこう好きですもの。きっといい方向に転がりますわよ。むしろ公爵家の評判アップにつながったりしそう」
するとルーファスが少し苦笑して、「お前って時々、本当に悪役令嬢なのか疑わしいよ」と首をかしげました。な、なんですって?
「あら失礼ね。悪役の定義は“自分勝手で華麗に突っ走る”ことですから。優しい行為をするときだって、結局は自分の満足のためだもの。言うなれば“悪役令嬢の善行”ですわ」
「……はは、そういう発想もあるのか」
るんるんと笑うわたくしに、彼はくすっと声を漏らします。その少し照れた顔がまた可愛いのです。
そうこうしているうちに、サロンへ戻るとシャルロットから新たな報告が入りました。
「皇太子側から続々と招待状が届いております。次期園遊会への出席とか、音楽発表会への出番要請なんかもありますよ? なぜかセレスティア様宛が多いです」
「皇太子がわたくしをどう扱いたいか、もうわかった気がするわ。目玉ゲスト枠というか、話題作りの道具かも。しかも破滅フラグを量産して、自滅させる腹積もりかもしれませんわね」
「出席なさいます? 確かに地雷の香りがしますけど、『ざまぁトラップ返し』を仕掛けるのも面白そうですわ」
うーむ、考えます。残念ながら今は公爵家内の“新生活”が始まったばかりでスケジュールもぎっしり。わたくしとルーファスの婚約は形ばかりと周囲は噂していますが、その分、式典やら挨拶回りやら、社交界の行事が山盛り。ここでいきなり皇太子絡みの催しに出て行って、得体のしれないボムを踏むリスクを犯すのは得策かしら?
「あの男は、わたくしを引きずり下ろして“王家の権威を誇示”ってシナリオを狙っているに違いないわ。でも、わたくしたちは奴らに踊らされるほどおバカではありませんの。まずは確実に地盤を固めることが先決、よ」
わたくしが若干本気モードで言うと、シャルロットをはじめ侍女たちがわっと拍手喝采。正直、もう一波乱くらい起きても不思議じゃありませんが、今のうちはこちらのペースを重視したいところ。
そして一方で、わたくしの義両親――公爵夫妻も、それはもう静かに観察しておられます。先ほどもロランの孤児受け入れ話を聞いて、「大変ねえ、新入りが増えるなら慣習もきちんと教えて差し上げないと」なんて呑気におっしゃっていた。内心どう思っているのかはわかりませんが、わたくしが屋敷を取り仕切るところを、ちらちらと見定めているご様子。
「ふふ、そういうのも全部ひっくるめて、わたくしの“嫁の務め”ですわ。任せてくださいな」
わざとらしく声に出して言えば、ルーファスが意外そうに眉を上げました。
「嫁の務め、って言うと……何だ、それも俺のプランに含まれてるのか?」
「当然。形だけの婚約とはいえ、わたくしは今やグレンフィールド家の人間。そこをしっかり示さないと、周りに足元を見られてしまう。『ここで嫁に踏ん張られたら困る』と、誰かさんが泣きそうになるかもしれないでしょ?」
冗談めかした口調のつもりだったのに、ルーファスが「あんなヤツらに泣かされる気はないけどな」と真面目に返してきて、わたくしは思わずけらけら笑いそうに。
そうしてわたくしたちは、まずは“内側”を万全に整える作戦へとシフトすることに決めました。
例えば、公爵家特有の複雑な行事スケジュール管理。執事ロランだけでは分が悪いので、わたくしも積極的に書類に目を通して、全体の流れをつかみます。
少し驚いたのは、毎週のように各地方から来賓が訪れ、庭での小規模パーティや茶会が繰り返されていること。おかげで使用人たちは常にてんやわんやの大忙し。けれど彼らが愚痴るどころか、「ソファ座る暇があるなら仕込みを済ませたい」なんてニコニコ話しているから恐れ入ります。
「この屋敷、意外にファミリー感強いのね。悪役令嬢の毒牙にかけて破滅させるには惜しい組織体だわ」
「おいセレスティア、そんな怖いこと言うなよ……」
「冗談ですわ。むしろわたくし、この人たちをもっと活躍させたくてうずうずしているんですの。だって、みんな優秀で情熱的だもの。皇太子や皇女殿下とのやり取りも一枚噛んでもらえそうよね」
まさかの“侍女スパイ大作戦”なんて考えているとは、ルーファスの耳には聞かせないでおきましょう。そこまで腹黒いと思われると、彼に嫌われちゃうかもしれませんし? ……なあんて、今さら引き返す道もありませんけどね。
そうこうして、あっという間に夕暮れ時が近づきます。もう少ししたら一日の業務も一段落。ロランが改めて孤児の子を連れてくる段取りもあるらしく、玄関先をバタバタと確認している音が聞こえます。
「さて、形だけの婚約生活とはいえ、ここからが本当の勝負ですわね。わたくしの働き次第で、皇太子と皇女がビビるような“第二の指輪騒動”も起こせそうですし」
隣に立つルーファスをちらりと見ると、彼も負けじとまっすぐこちらを見返してきました。
「あなたが先導してくれるなら、俺もついていくさ。皇族にあれこれ仕掛けられても、一緒なら不思議と怖くないんだ」
「……あら、まさか甘えてくれちゃうの? ふふ、頼もしい公爵様だこと」
こうして声をひそめて語り合うわたくしたちを、ダリアが面白そうに観察しているのを感じますが、まあスルーして差し上げましょう。夫婦というものは傍目から見るほど綺麗事だけじゃございませんのに、こうやって少しずつ“形”を作り上げていくのです。
円滑に? いいえ、時にはドッタンバッタン大騒ぎするでしょう。毒舌も、ざまぁ展開も、一筋縄ではいかない陰謀も。すべて引っくるめて――わたくしのこの胸は、今最高潮に燃えております!
だって、わたくしの人生目標はただ一つ。“破滅エンド”から華麗に生還し、すべての敵に「ざまぁ」と笑いかけること。おまけに(形だけとはいえ)この婚約生活が、案外悪くないかも……なんて期待する気持ちにさせてくれるのが、渦中の公爵閣下なんですもの。
「ええ、覚悟なさいませよ、クロード皇太子。あなた方が蒔いた種は、せっかくだから、わたくしが最高に美味しい果実に仕上げてみせますからね」
そう、まだ動き出したばかりの新生活。同時に、噂に踊らされる社交界も開幕したて。婚約生活の行く先など今は誰にもわかりませんが、だからこそ面白い! 次こそはどんな騒動がやってきて、どんな“返り討ち”を披露できるのか――わたくしたちの恋と陰謀劇は、まだまだこれからが本番ですわよ!




