波乱を呼ぶ隣国からの客人8
晩餐会が終わって大ホールに移動すると、そこはもう別世界のように煌びやかな空間でしたわ。シャンデリアの眩い光がフロアを照らし、あちらこちらで候爵令嬢や公爵夫人たちが舞う優雅なドレスの裾がきらめいています。これぞ社交界の華、これぞ王宮舞踏会。……という美しい光景を、わたくしは心から堪能したかった。ほんの数分前までは、ですけれど。
「セレスティア、ずいぶん楽しそうだな。俺と踊る準備はいいか?」
背後から絡みつくような声。その正体はもちろんラフレス皇太子。わたくし、この方の執念深さにはもう慣れましたが、どうしてこうも毎回しつこいのかしら。「ご遠慮いただきたいんですけど?」とウッカリ本音を漏らしかけたところで、胸中にブレーキを踏みます。大勢の貴族が目を光らせている以上、できるだけ穏便にいきたいところ。
「あら、ラフレス皇太子。お気遣いありがとうございますわ。でも先ほどたっぷりお話ししましたでしょ? もう十分に堪能なさったのでは?」
にこりと微笑んで返せば、皇太子は「まだ物足りないな。お前の優雅なステップを堪能していない」とかなんとか、まるで恋人同士の会話みたいに言ってきましてよ。……やかましいわ! と叫びたい衝動をグッとこらえて繕った笑顔を浮かべていると、「セレスティア、何かあれば呼べ」とリリアが目で合図。カイもフロアの端でさり気なく待機してくれているのが視界の隅でわかります。みんなが気を張ってくれるおかげで、わたくし負ける気がしませんわ。
「それにしてもグレンフィールド公爵はどこだ? 相変わらず“病弱”で休んでいるところか?」
ドストレートに煽ってきますね、この皇太子殿下。いつもの嫌味攻撃、いただきましたわ。わたくしは肩をすくめてわざとらしくため息をつきました。
「さあ、わたくしにはわかりませんけれど? 少なくとも拉致と薬瓶の悪趣味な二段構えを仕掛けてくる方よりは、圧倒的に信頼できますのよ」
昨日ちらりとお見せいただいた“眠り薬”だか“幻覚薬”だか知りませんけれど、あんな舞踏会の華やかさに水を差すアイテム、素敵とは到底言えませんわ。これでも礼儀正しく皮肉っているつもりですが、皇太子にはまるで通じていない様子。
「お前は早く現実を見ろ。グレンフィールド男はただの飾り。それより俺の国のほうが、お前に相応しい地位を――」
「ありがたいお言葉、しかと胸に刻みますわ。でもその“地位”とか“権力”とか、あと数分もすれば大暴落するかもしれませんのに?」
何せ皇太子と皇女の黒い企みを示す証拠が、あの晩餐会場の奥に転がっているのですから。わたくしが軽く扇子で口元を隠して笑うと、皇太子は「ああ?」とけげんそうな顔。頭の回転が早いわりに、ちょっとお脳が強引な方向にシフトしすぎですのよ。
一方、フロアの中央ではシャルロットが他の紳士と踊るふりをしつつ、こちらを横目で監視中。あらあら、ちょっと視線が合っただけで「絶体絶命のときは合図して!」と口パクしてますわ。これがなくちゃ始まりませんものね、女同士の連携プレーは。カイもテーブルに腰かけたまま、いつでも飛び出せるように靴底をキュッと鳴らして準備完了。リリアは周囲貴族の会話に紛れ込んだまま手鏡をちらつかせ、合図を送る準備万端。もう完全に総力戦です。
「セレスティア、踊るか? 断るなら、お前を抱えて踊ってやるが?」
ラフレス皇太子がわたくしの手を強引に取り、周囲からも「あらあら」という小さなどよめきが起こります。わたくしの場合、“断られた男の仕返しがエグい”という噂が立つこと自体も面倒なのに、これではまるでわたくしが皇太子の愛人候補みたいに見えるじゃありませんの。……勘弁していただきたい!
「いいえ、紳士というものは淑女の意志を尊重なさるものだと思いますけれど?」
「細かいことを言うな。さあ、俺の腕の中へ――」
彼が勝手に腰を引き寄せようとした瞬間、まるで深海魚の電撃のような“異臭”がふわりと漂いました。……うわ、これさっき控え室で見た薬瓶と同じ香りではありませんか? ヴェロニカ皇女の仕業でしょうか、やはり仕掛けてきましたね。周囲の貴族も「ん?」と首をかしげるほどの怪しげな香り。幸いわたくし、鼻をセットしたマスク(リリアが工夫した仕組み)をドレスの袖に忍ばせてあったので、慌ててそれを口元に当てます。
「さすがに一筋縄ではいきませんわよ、悪趣味殿下!」
と、思わず小声で毒舌を吐きかけたそのとき――突然、わたくしの背後に力強い腕が回されました。
「失礼。彼女とのダンスのご指名は、すでにわたくしが押さえておりますので」
その声はルーファス様! わたくしの背中越しに、まるで夜空の月のような涼やかな眼差しでラフレス皇太子をにらみつけたのです。周囲から一斉に息を呑む気配がして、ホール中の空気が変わるのがわかりました。
「グレンフィールド公爵……来ていただけるなら、もっと早く姿を見せればよかったのに?」
皇太子が言葉の端々に毒を混ぜて笑うと、ルーファス様は肩をすくめながら微笑み返します。どこか余裕たっぷりの態度が、いつもの“繊細で儚げ”な印象とはまるで別人。ふふ、皇太子も少し戸惑っているようですよ。
「少々準備がありましてね。おかげで、こんな派手な舞会にぴったりの“大ネタ”を握ってきました」
そう言ってルーファス様が目配せすると、カイとリリアが「今だ!」とばかりに合図。それに合わせて衛兵が流れるようにホールへ突入し、みるみるうちにラフレス皇太子の取り巻きを取り囲んでいくではありませんか。そして衛兵長が手にしたのは、先ほど控え室で回収された眠り薬の小瓶。「これがあなた方の仕業だという証拠は十分揃っております」と毅然とした口調がホールに響き渡ります。ざわめきが広がり、貴族たちが一斉にひそひそ声で噂話を開始。まるで公開処刑の見世物みたいに、みんな好奇心丸出しです。
「なっ……馬鹿な! この香水はただの気分を和らげるための……」
皇太子が言い訳しかけるも、さらに衛兵長が奥から出てきたヴェロニカ皇女を押さえつける形で続きます。「皇女殿下、これはすでに事件として王宮でも調査中です」。がっちり腕を押さえられた皇女は目を見開き、取り繕う笑顔もどこへやら。ああ、ざまあがすぎますわ。わたくし、心の声が「イェーイ!」と大はしゃぎしているのが自分でも分かりますもの。
「危機を救ってくださり、ありがとうございますわ。ルーファス様、とても頼もしかったです」
わたくしは少し息を整えながら微笑みかけると、彼は「当然のことをしただけだよ」と柔らかく返してくださる。その穏やかな表情を見ていたら、隣国の陰謀も薬瓶騒ぎも吹っ飛ばしてしまえる気がします。
けれど、こんな重大事を企んだ人々がそうそう簡単に終息するとも思えません。周囲の貴族たちも「あちらの国は信用できない」と口々に言い始め、王宮内は後々まで波紋が広がるでしょう。今回出した“証拠”を盾に、きっと彼らはもうファーレン王国で好き勝手はできないはず。だけど本当にこれで終わり? 何だか、彼らの裏にはもっと不穏な計画が隠れているような気がしてならないのです。
「まあ、わたくしは今はただ、この瞬間を楽しませていただきますわ。踊りましょうか?」
思わずルーファス様に手を差し出すと、彼は「もちろん」と、憂いをはらんだ笑顔を浮かべて応じてくれました。舞踏会を邪魔していた不穏な存在が、ひとまず取り縛られた今こそ、フロアの中央で堂々と踊らなくては損というもの。
リリアやシャルロット、そしてカイは遠巻きにこちらを見つめ、「やったね!」と口パクで応援。ディオンも安心したのかホッと息をついています。わたくしはそんな仲間たちに目を向けて軽くウインク。
……そう、まだ先には別の火種が待ち受けているかもしれません。でも、この危機を乗り越えたわたくしたちなら大丈夫。ラフレス皇太子もヴェロニカ皇女も、そう簡単に再起できないところまで追い詰めて差し上げます。そもそも悪役令嬢をナメていただいては困りますわ。これからもっと、華麗にそして痛快に、ざまぁでお返ししてみせますから――。
音楽が高らかに流れ始め、ルーファス様とわたくしは人々の視線の中へゆっくりと足を踏み出しました。心臓の鼓動はさっきの騒ぎではなく、隣を見つめるこの人への高揚かもしれません。さあ踊りましょう、華やかで騒がしいこの社交界を最高に盛り上げるために。そして、わたくし自身の運命を覆すためにも。もう絶対に、誰にも好き勝手はさせませんわ!




