病院の待ち時間が長いので、時間を潰すことにした
体がだるい。コホンコホンと咳が出る。喉がいがらっぽい。熱がある気がする。
ようするに、風邪をひいてしまった。
風邪ってのはひき始めが肝心だというし、病院に行くことにした。
診察で風邪ってのを確定してもらって、薬でも貰って、家で大人しくしていよう。
こういう時俺が行くのは、自宅から徒歩10分ほどのところにある小さな病院。
予約は受け付けてないので、このまま直接向かうしかない。
中に入るとすぐに待合室だが、すでに患者がぎっしり。こりゃ待つなぁ……と早くもうんざりする。
まずは受付を済ませよう。受付カウンターには40代か50代ぐらいのおばさんが陣取ってた。
「すみません、ちょっと風邪気味で受診したいんですけど……」
「では保険証と診察券をお願いします」
出すと、番号札を渡される。『30』と書いてある。
「こちらの番号でお呼びしますので、お待ち下さい」
「分かりました」
ソファに座る。ここからが長いんだ。一時間、二時間待つのは当たり前。
なんで病院ってのはやたら待つんだろうなぁ。
待った挙げ句、診察は1分で終わったりするしな。いや、もちろん医者や看護師さんが大変だってのは理解してるけどね。それでももうちょっとどうにかならないものかねって思っちゃうわ。
とりあえず、備え付けの雑誌でも読むか。週刊誌が何冊かある。どれどれ……。
ふむふむ、誰々の不倫、政治家の黒い噂、巷で騒がれてる事件の真相に迫る……刺激的な記事が目白押しだ。
俺は夢中になって読んでしまい、数冊あった雑誌を全部読破してしまった。
だが、まだ呼ばれない。いつもより長いなぁと思って、受付のおばさんに確認をする。
「すみません、30番の者なんですけども、順番はまだでしょうか?」
「もう少しかかりますねー」
「そうですかー……」
大人しく引き下がる。
俺はここで「いつまで待たせるんだよ!」とクレームをつけるほど、人間ができてないわけじゃないんだ。
だとしたら、スマホで映画でも観ようか。
近頃契約したサブスクがあって、気になってた映画が一本あったから、とりあえずこれでも観てみよう。
耳にはイヤホンして、なおかつ番号を呼ばれたらすぐ気づけるような音量にする。
俺はこの状態のまま、黙って映画を鑑賞した。
話題作だけあって、ハラハラあり、ドキドキあり、ラブラブあり、で楽しめた。
しかし、映画鑑賞中、俺の番号が呼ばれることはなかった。
スタッフロールまで観終わり、俺はもう一度受付に行く。
「すみません、30番の者なんですけど、まだですかね?」
「もう少しかかりますねー」
「そうですかー……」
映画を一本観終わっても、「もう少し」とは、今日はよほど混んでるらしい。
自分が呼ばれるかにも意識をやりながら映画観るのは案外しんどいし、さすがにもう一本映画って気分にはなれず、俺は待合室を見渡す。
週刊誌が入っていたラックを見ると、『健康に満腹になれるヘルシー料理集』なる本があった。
病院だし、こういう本があっても不思議じゃないけど、じゃあ待合室で悠長にレシピをメモろうなんて人いるのかな。少なくとも俺は見たことない。
とりあえず、読んでみるか。
なるほど、ヘルシー料理を謳うだけあって、魚やら野菜やらを使う料理が多いな。どれも写真も載ってて美味しそうだ。
見ていると、なんだか腹が減ってきて、俺はこの中の一品を作って食べてみたい気持ちになった。
受付に外に出ますと言ってから、近所のスーパーで材料を買い込む。
病院に戻ったら、キッチンを借りる。
さっそく作っていこう。
まず、木綿豆腐を適当な大きさに切って、薄力粉をまぶして、フライパンに油をひく。
醤油、酒、みりんを混ぜたタレも用意しておく。
温まったフライパンに豆腐を投入して焼いていく。焦げ目がついてきたら、タレを投入して、ひっくり返して、両面ともじっくり焼く。
皿に盛りつけて、お好みで野菜をトッピングしたら、ほら“豆腐ステーキ”の出来上がり。
「いただきまーす」
俺はさっそく出来上がったステーキを食べる。
うーん、なかなかイケる。豆腐だけじゃ味気ないところだけど、タレがいい味なので、なかなか満足感のある味に仕上がっている。
なるほど、これならあまりカロリーを取らずに、なおかつ満腹になれそうだ。
なかなかやるじゃないか、『健康に満腹になれるヘルシー料理集』。
とまぁ、お腹も満足したところで、俺は受付に行く。
「すみません、30番はまだですかね?」
「もう少しかかりますねー」
「そうですかー……」
こうなったら大人しく座ってるしかないか。
ぼんやりしつつ、ふと、隣を見る。
杖を持参しているおばあさんが、腰かけながら痛そうに足をさすっている。
あまりに痛々しいので心配になり、俺は声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、足がちょっと痛くて……」
「よろしかったら、マッサージしましょうか?」
「いいんですか?」
「はい。これでもマッサージの心得がありまして」
俺はおばあさんの承諾を得ると、おばあさんのズボンの裾をまくって、ふくらはぎを手でさすってみた。
筋肉はだいぶ弱ってて、神経痛もあるな。手で触っただけで分かる。
でも、大丈夫。俺のマッサージならこの程度はすぐに治せる。
丁寧に、ゆっくりと、しかし的確に、俺はおばあさんの足を揉んでいく。
筋肉をほぐし、神経の伝達をよくし、さらには骨や血管にも活性化を促す刺激を与える。
「こんなもんでどうです?」
俺がマッサージを終えると、おばあさんは杖を使わずに立ち上がった。
「凄いわ! すっかりよくなった!」
「でしょう?」
「今なら100メートルを全力ダッシュできるわ! これでも私、陸上少女だったの!」
こう言って、おばあさんは嬉しさのあまり病院の外に駆け出していった。陸上部だっただけあって綺麗なフォームだ。
さて、おばあさんを一人救ったことだし、俺は受付に向かう。
「すみません、30番まではまだかかりそうですかね?」
「もう少しかかりますねー」
「そうですかー……」
本当に今日は待つなぁ。待合室でやれることといったら、あとなんだ?
そうだ、ノートパソコンでも持ってきて小説でも書いてみるか。
病院の待ち時間という余暇を使って、長年温めてた物語をキーボードに叩き込むという形で表現してやる。
おおっ、面白いようにスラスラ書けるぞ。病院特有の緊張感ある空気が、俺の集中力をアップさせているのかな。
途中、他の患者から「そこ、漢字間違ってる」「もっとちゃんと心理描写した方がいい」「体言止め多用するな」などの厳しい添削を受けながら、俺は小説を完成させた。
さっそく、ある出版社の新人賞に応募してみた。
すると、なんと見事入選。
俺が書いた小説は本となって、全国の書店に並ぶことになった。
添削してくれた他の患者らともハイタッチし、喜びを分かち合う。
もし本が売れて印税でも入ってくれば、今回の診察費にあてられるかもしれないな。
さて、その診察だが、順番はまだだろうか。受付のおばさんに尋ねる。
「すみません、30番は……」
「もう少しかかりますねー」
「そうですかー……」
本まで出したのに、まだかかりそうだ。
だったら次は筋トレでもするか。俺が文才だけじゃなく、文武両道だってところを見せてやる。
ここは待合室だが、筋トレはどこででもできる。
立った状態でスクワットをして、床で腕立て伏せをして、足を押さえてもらって腹筋をして、待合室のソファはバーベル代わりになる。
見違えるようにムキムキになった俺は病院のトイレで、鏡に向かってポージングを決める。
ううむ、仕上がってる。
この筋肉を使わない手はない。俺はそのまま格闘業界に殴り込みをかけた。
デビューして10戦10勝10KO、破竹の勢いで勝ちまくり、あっという間にチャンピオンへの挑戦権を得る。
満員の観客の中、俺はチャンピオンとの決戦に挑む。
ゴングが鳴り、試合が始まった。
チャンピオンはキックボクシングやムエタイを習熟しており、その蹴りは鋭く重い。一撃もらうだけで、肉体が悲鳴を上げる。
だが、俺はタックルで寝技に持ち込むことに成功した。
そのまま腕をアームロックで極め、ギブアップを奪う。俺は新チャンピオンとなった。
大歓声の中リングを下り、チャンピオンベルトを巻いた状態で、俺は受付のおばさんの元に向かう。
「すみません、30番はどうなってますでしょうか?」
「もう少しかかりますねー」
「そうですかー……」
とりあえずベルトは外して、いつまで待たせるんだと苛立ちつつ、俺は待合室の席に座る。
すると、横に座っている女性と目が合った。年は同い年ぐらいで、黒髪を後ろで結わいて、白いブラウスを身につけ、なかなか可愛らしい見た目をしている。
……なんてことを考えていると、彼女から声をかけてきた。
「今日はどうして、この病院へ?」
「ちょっと風邪をひいてしまって……。あなたは?」
「私は胃もたれで……」
「あー、辛いですよね、胃もたれ」
お互いの病状トークに花を咲かせ、あれよあれよという間に、俺たちは仲良くなった。
幾度かのデートを重ね、愛情を深め、ちょっと背伸びした高級レストランで俺はプロポーズする。
「結婚して欲しい」
「……はい!」
こうして俺は結婚した。
さあ、式も挙げたところで、病院の受付に向かう。
「すみません、30番ってどうですかね?」
「もう少しかかりますねー」
「そうですかー……」
まだかかりそうなので、俺はいよいよ政界に進出することにした。
選挙に出馬し、悪戦苦闘の末、俺はどうにか議員になった。
議員になった後も俺はもちろん気を抜かない。画期的な政策を次々打ち出し、俺は与党の中心人物となった。
そして、総裁選で総理大臣に選ばれる。
青いスーツを着こなし、これからも国民のために頑張るぞ。
総理にもなったし、そろそろ俺の番だろうと思い、受付に行く。
「すみません、30番の患者なんですが……」
「もう少しかかりますねー」
「そうですかー……」
俺は世界に目を向けることにした。
世界には未だ、戦争、貧困、差別、環境破壊……問題は山積みだ。
実にやりがいがあるじゃないか。
俺は世界中を飛び回り、戦争があるところでは両陣営を粘り強く説得、貧困にあえぐ者には支援をしつつ自立できる仕組みを作り、差別の愚かさをあちこちで説いた。自然保護運動にも着手し、地球に綺麗な水や緑を蘇らせた。
大変だったけど、やり遂げたぞ。
俺は妻や支援者とともに盛大な祝賀会を開いた。みんなで大いにはしゃぎ、笑い、泣き、とても幸せな一日となった。
仕事もひと段落したので、俺は受付に向かう。
「すみません、30番の者なんですけど……」
「もう少しかかりますねー」
「そうですかー……」
まだかかるのか。まあ、焦っても仕方ない。気長に待つしかない。
だったら、俺ももうすっかり有名になって、自分一人の体じゃないことは自覚してるし、空き時間を使って人間ドックでも受けてみようかな。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。