第6話:すれ違う想い
翌日、マティルダの気分はとても沈んでいた。
朝食の後、ブレンダンにエスコートされるラウラローズを見たからだ。
最近は、マティルダがブレンダンにエスコートされていた。
しかし今日は、屋敷の主が客人に対応するという意味で、ブレンダンはラウラローズを優先している。
マティルダよりもラウラローズの方が家柄が上ということは横に置いたとしても、客人を饗すのは、至極真っ当な判断である。
ブレンダンとラウラローズは、どちらも長身で美男美女。
寄り添う姿はまるで1枚の絵画のように美しく、思わず見惚れてしまうほどにお似合いだった。
160センチあるマティルダは、決して小さくはない。
しかし、180センチをゆうに超える赤い髪と金目のブレンダンには、マティルダよりも背が高くて、マティルダよりも華やかで女性的な四肢を持つラウラローズの方が、しっくりきているような気がした。
因みに、マティルダをエスコートする時と異なり、ブレンダンの表情はほぼ無表情に近い。
更に、距離が非常識に近いということは決して無く、エスコートのお手本のように適切な距離感である。
それでも、ちょっと嫌だと思ってしまう自分に気づいてしまって、マティルダは泣きたくなった。
(お兄様をとられたくない)
昨日、ラウラローズとの話し合いにはマティルダも同席をとブレンダンは提案していたし、ラウラローズもそれを受け入れた。
それでも同席を断ったのは他でもない自分なのに、こんな風に思うのは良くない傾向だ。
(昨日のラウラローズ様のお話に嘘はないと思うけれど、やっぱり、お兄様にはラウラローズ様の方がお似合いだわ。
きっとお兄様なら、ラウラローズ様を幸せにできる。
でも、今のお兄様の婚約者は私で、私はお兄様のことが好き。
この場合、選ぶのはきっとお兄様ね)
もやもやとした不愉快さが、胃のあたりに溜まる。
マティルダは、自分に自信があるタイプではないが、別に自己卑下が酷いタイプでもない。
それなのに何故こうなるかというと、全ては、ラウラローズが見た目も中身も優れていると認めてしまったからだ。
マティルダが嫉妬して、負けてたまるかこの女狐めと奮起するには、あまりにもラウラローズは出来た人すぎた。
最早、この一言に尽きる。
(どうすればお兄様は私を選んでくださるかしら。
王命で決まった政略結婚だけど、もし政治的な思惑があるなら、ヤーウェイ子爵家出身の私に、お兄様との婚約話なんて来ない気がする)
マティルダの前には2人の婚約者がいた筈だが、いずれも、マティルダよりも高位の貴族令嬢だったらしい。
どちらもタイプが違う女性だったと、マティルダの父親――つまり、ヤーウェイ子爵は言っていた。
そして、婚約解消になった理由を、ヤーウェイ子爵もマティルダも知らされてはいなかった。
(だとしたら、目的は多分、お兄様に婚姻を結ばせることそのものよね。つまり、子供ということ?)
知力や武力に優れ、見目も麗しい高位の貴族男性の結婚の目的が、もし力のある家と縁をつなぐことではないとすれば、血を繋ぐことしか思いつかない。
つまり、子孫を作るということである。
突き詰めて考えた時、マティルダは閃いた。
さっさと妊娠してしまえば、形はどうあれブレンダンの側にいられるのではないか、と。
結局、その日の日中、マティルダがブレンダンに会うことはなかった。
ブレンダンが、午前中には済んだらしいラウラローズとの話し合いの後、遠征で不在にしていた間の執務を片付けるべく、執務室にこもってしまったたからだ。
マティルダは不安な気持ちを抱えたまま、マティルダに任されつつある屋敷の帳簿管理などをしていた。
しかし、どうにも集中できず、庭師とともに庭弄りをして過ごすことにした。
低く曇った冬空は、まるでマティルダの心みたいだった。
*****
その日の夜、寝る準備を終えたマティルダは、ブレンダンの部屋の前にいた。
すー、はー、と大きく深呼吸して、コンコンとドアを叩く。
「入れ」と、ブレンダンの声。
マティルダは、ドアを開けて入室した。
「!マティルダ」
書き物机に座っていたらしいブレンダンは、少し驚いた顔をした。
そして、慌てて立ち上がってドアまで足早に近づいてくる。
ブレンダンの執務用の立派な机には、それなりの量の山積みの書類、そしてペン。
「こんな時間に申し訳ありません。お仕事でしたか?」
「いや、大丈夫だ。それより中へ。廊下は寒かっただろう」
夜着に大判のストールを巻いたマティルダに、ブレンダンは優しく微笑んだ。
心配してくれることも、ちゃんと此方を見てくれることも、その全てが嬉しいと思ってしまう自分に気づき、マティルダは切なくなった。
もしかしたら、夜の訪問は悪手だったかもしれない。
ブレンダンのことがやはり好きだと、ますます強く自覚してしまった。
同時に、少し寂しいと思った。
こんなにもマティルダは意識して緊張しているのに、ブレンダンには大人の余裕しか無いからだ。
ソファに並んで腰掛け、二度三度と深呼吸した後、マティルダはブレンダンにやっと話しかけた。
ブレンダンは、ただじっと、マティルダを待ってくれていた。
「お兄様、お願いがあります」
「何だ」
「ラウラローズ様を助けてあげてください」
「……は?」
「ラウラローズ様は素敵な方です。
今日、どのようなお話をされたのかは分かりませんが、ラウラローズ様ならばきっと、辺境伯夫人に相応しいと思います」
「本気で言っているのか」
「はい。ラウラローズ様は侯爵令嬢です。華やかでお美しい上に、私よりも遥かに優秀で、家柄も釣り合います」
「マティルダは、それでいいのか?」
「……はい」
マティルダは淡く微笑みながらも、青い瞳を潤ませた。
今にもこぼれ落ちそうな涙を瞬きで誤魔化すマティルダに、ブレンダンは複雑な気持ちになる。
ブレンダンは、傷付いたような笑みを浮かべた。
「マティルダは優しいのだな。もし私が、ラウラローズ嬢などどうなってもいいと言ったらどうする?」
「……え?」
「いや、いい。忘れてくれ。
ただ、現時点において、私の正式な婚約者は貴方だ。
貴方との婚約について私から王都へ何も連絡していない以上、国王陛下が水を差してくるとは思い難い。
それでも彼女は、ワイルダム侯爵の指示で、国王陛下のご了解があって、この地にやって来たらしい。
その意味は何だと思う?」
「私には分かりません」
「そうか。ラウラローズ嬢から聞いていないか?ワイルダム侯爵は野心家だと」
「それは伺いました。もしかして、ワイルダム侯爵が、国防の要であるオルフェイで権力をお持ちになりたいとか」
「その可能性はある。しかし、もしそうなら尚更、王命ではない可能性が高い。
実態をよく知りもせず、下手に口だけを出してくる身内は邪魔なだけだということは、国王陛下の方がよくご存知のはずだ。
特に国防については、慎重にご判断されるはずだからな」
「では、王命というのは嘘ということですか?」
「真っ赤な嘘、というわけではないだろうな。
恐らく、それとなく国王陛下に伝えて、了解を取ってはいるのだろう。
大方、視察を兼ねて暫く滞在させたい、もし必要があればそのまま婚約者となりオルフェイを支えたい、くらいのことは言ったかもしれないな」
「では、ラウラローズ様はお父様に騙されているのですか?」
「いや、どうだろう。恐らく彼女も、何かおかしいと気付いてはいた」
「そんな……」
「彼女は、此処へ来たのが王命だとは言わなかったしな。
それに、家長に逆らうことなく家を出るためには、取り敢えず騙されたふりをするのは賢明な判断だろう。
一か八かの賭けに違いないがな」
マティルダは、ブレンダンの冷静な分析に感心した。
そして、ラウラローズを思うと胸が痛んだ。
実の父親を知らず、義理の父親には利用され、嫁ぐために遠路遥々やってきたというのに、頼みの綱だったはずの婚約者には既に正式な婚約者がいた。
しかもその婚約者は、マティルダという平凡かつ格下の貴族令嬢。
想像するに、なかなかにプライドを傷付けられる状況ではある。
それでもやけを起こさず、ヒステリックにもならず、平静を保ち、凛とした淑女でいられるラウラローズは凄い。
「それにしても、随分と仲良くなったようだな」
「そうでしょうか」
「彼女から聞いた。出自も目的も、マティルダには昨日、全て伝えてあると。それから、私達の婚姻を邪魔するつもりはないということもな」
「――!」
ブレンダンの言葉に、マティルダは驚いた。
ラウラローズを信じていなかったわけではない。
けれど、まさかブレンダンにまでそのようなことを言うとは思っていなかったからだ。
「私は、マティルダと結婚して、責任を取りたいと思っている。マティルダは違うのか?」
真っ直ぐに、三日月のような金色をした目で見つめられて、マティルダは言葉に詰まる。
どくりと心臓が音を立てる。
(違わない。私は、お兄様と結婚したい)
本当は、ブレンダンの隣を誰にも譲りたくなんてないと心が叫ぶ。
けれど、ラウラローズという優れた女性が新たな婚約者候補として現れた今、マティルダは以前ほど素直に気持ちを表現できなくなっていた。
何故なら、ラウラローズと政略結婚するほどの価値がマティルダにはないと、理解しているからだ。
(責任を取る、か。真面目なお兄様らしい。王命だものね。
近い将来、お兄様がラウラローズの素晴らしさに気づいてしまったら、私はどうなるのかしら)
マティルダは、何かを言いかけた唇をきゅっと引き結んだ。
そして、ただ黙って、その青い瞳を切なく揺らした。
その沈黙をどう受け止めたのか、ブレンダンはため息をついた。
「分かった。話はもういいか?今日はもう遅い。部屋に戻ると良い」
ブレンダンは、疲れたようにそう言った。
ブレンダンが何を分かったと言ったのかは、マティルダには分からなかった。
けれど、いつになく硬い表情をしたブレンダンに、マティルダは問い返せなかった。
「はい。遅い時間にお時間をいただき、ありがとうございました」
マティルダは、無理やり微笑んで礼を述べ、ブレンダンの部屋を後にした。




