番外編:忘れられない人(side.ハイリンヒ)*
ハイリンヒとラウラローズの出会いです。
本編に組み込めなかったので、番外編として投稿します。
朝目が覚めたら、飲み屋の上階にある部屋――つまり、連れ込み宿のベッドに1人きりだった。
ハイリンヒは愕然とした。そして、少し残念に思った。
何故ならば、数時間前まで肌を合わせていた相手が、隣にいなかったからだ。
(いない、か。もう少し会話してみたかったのに、本当に一夜限りの思い出作りだったんだな)
ハイリンヒは、苦い笑みを浮かべてため息をついた。
ローゼとは昨日、たまたま街で出会っただけだった。
当然だが置き手紙などあるはずもないし、平服だったため、うっかり落としそうなアクセサリーの類をつけていたわけでもない。
ハイリンヒは、夜の闇のような黒に近い紺の髪と瞳を持つ26歳の美丈夫だ。
2年前からオルフェイ辺境伯領の騎士団長を務めており、数日前に此処、王都に来ている。
目的は、2年に一度、ノート王国の王城で開催されるオルフェイ騎士団長の任命式に出席することである。
*****
ハイリンヒはそもそも、ノード王国の王都生まれの王都育ちだ。
オズウェル伯爵家の次男で、長男のスペアとして、文武共にそれなりの教育を受けてきた。
その後、長男がつつがなく立派に後継者として成長したため、ハイリンヒは約10年前、16歳の時に騎士団に入団した。
そしてその3年後の19歳の時、オルフェイ辺境伯領へ派遣されることになった。
オルフェイ辺境伯領は国境に面しており、隣国との諍いがよく起こるため、国防の要としてオルフェイ騎士団が置かれている。
この騎士団は王都の騎士団とは別物で、オルフェイ辺境伯による私設騎士団だが、国王陛下公認の組織であり、オルフェイ騎士団長は国王陛下から任命される。
扱いとしては王都の騎士団長と同格だが、オルフェイ騎士団の方が圧倒的に実戦経験を積める環境である。
よって、事実上、オルフェイ騎士団の騎士たちの方が強いというのは周知の事実であり、暗黙の了解となっている。
王都からオルフェイ辺境伯領は遠い。
そして、文化や雰囲気も違う。
しかしハイリンヒは、オルフェイ辺境伯領にすぐに馴染んだ。
ハイリンヒはオルフェイの地を、そしてその生活を気に入ったし、オルフェイ辺境伯の長男であり、同い年であるブレンダンと切磋琢磨し、メキメキと力をつけた。
やがて時は流れ、ハイリンヒが24歳になった頃、同じく24歳になっていたブレンダンは、父親の急逝によりオルフェイ辺境伯を継ぐことになった。
それは丁度、次のオルフェイ騎士団長はハイリンヒか、それともブレンダンかと言われていた時期であったため、このタイミングで、ハイリンヒが騎士団長になることが事実上決定した。
その後ハイリンヒは、前任のオルフェイ騎士団長からブレンダン同席の場で引き継ぎを受けた。
その数ヶ月後には、ブレンダンと共に王都へ向かった。
そして、ブレンダンはオルフェイ辺境伯に、ハイリンヒはオルフェイ騎士団長に、国王陛下から正式に任命されたのだった。
今回、ハイリンヒは単独で王都に来ている。何故ならばブレンダンには任期がないからだ。
しかも、2年前は前任のオルフェイ騎士団長が領地に残ってくれていたが、今はハイリンヒとブレンダンが実力者ナンバーワンとツーなのだ。
2人同時に王都に行くというのは、なかなかにリスクが高い。
ハイリンヒは王都に着いてからの数日間、単騎で駆けても約1週間かかる長旅の疲れを生家である伯爵家のタウンハウスで癒しつつ、王都の騎士団に顔を出していた。
そして、ついに昨日は朝から一大イベント――久々の国王陛下夫妻と対面する任命式があった。
その後は、ろくに飲食などできやしない挨拶まみれの懇親会という名目の立食パーティーが催され、ハイリンヒはすっかり疲れて果てていた。
時は既に正午を過ぎ、午後のティータイムにすら遅い時間だ。
空腹を訴える胃を救うべく、ハイリンヒは庶民的な街の定食屋に入った。
ハイリンヒが食事の後に店を出ると、そこには3人の男性に絡まれている1人の女性がいた。
下の方で2つに結んだ長い金の髪と、大きなエメラルドグリーンの瞳を持つ整った顔立ちのその人は、キッと強い目で相手を見据えていた。
(化粧っ気がないのに、随分美人だな。身なりは裕福な平民といったところだが、お忍び貴族か?)
ハイリンヒはそんなことを思いつつ、特に苦労することなく、酷くあっさりとその女性を助けた。
何せ、ハイリンヒは辺境伯領の騎士団長なのである。その実力は折り紙付きだ。
実際、つい先程まで王城で任期延長の儀式をしていた。
しかも再任である。
「助けてくださってありがとうございます。私はローゼと申します」
恐らく少女と女性の間くらいの年齢なのだろう。
ローゼは、複数名の男性に絡まれて怖かったためか、水分の多いキラキラしたエメラルドグリーンの涙目でハイリンヒを見つめ、はにかんでお礼を述べた。
瑞々しさと女性らしさが絶妙に相まっており、はっと目を引くような一輪の薔薇のような美しさを感じさせる女性だった。
「素敵な騎士様、是非お礼をさせてください」
「お礼には及びません。ご無事で何よりです。もうすぐ暗くなりますので、早くご自宅にお戻りください」
「では、お願いがございます。今夜、どうか私と一緒に過ごしてくださいませんか」
「……は?」
「私はもうすぐ、親の決めた相手の所へ嫁ぎます。ですから、最初の相手くらいは自分で選びたいのです」
「しかし……」
「ご迷惑でしょうか」
「いえ、そういうわけではありませんが」
「では、お情けをくださいませ。今どき処女性を重んじるのは王族のみでしょう?何の問題もありませんわ」
そう言って、ローゼは少し恥ずかしそうに頬を染め、上目遣いでハイリンヒを見つめた。
ハイリンヒは、ぐっと息を呑んだ。
率直に言って、ハインリヒは渇いていた。
より正確には、渇きを自覚しないほどに忙しかっただけなのだが、オルフェイを出発してから本日までの2週間弱は勿論、既に1ヶ月程度ご無沙汰だった。
(確かに、間違った理屈ではないな。貞操観念とか危機感とか、そういうものがどうなっているのかと思わなくもないが)
基本的にハイリンヒは、黙って立っていればそれなりにモテる。
別に、自らすすんでチャラチャラと女性に声をかけているわけではない。
ただ、伯爵家出身で顔面偏差値と容姿が良いこともあり、持ち前のコミュニケーション力を少々発揮して適当に優しくすれば、女性に不自由はしなかった。
来るもの拒まず、去るもの追わずのスタイルである。
「お気持ちは分かりました。しかし、貴方は本当にそれでよろしいのですか?」
「勿論です。私からお願いしていますので」
「初対面の私をそのように誘惑して、少々危機感が薄いのではないかとも思いますが」
ハイリンヒは年長者かつ紳士らしく、言葉を選んでやんわりと苦言を呈した。
するとローゼは、瞠目した後、怯えも躊躇いもなく微笑んだ。
「ありがとうございます。
初対面の私を心配してくださる時点で、貴方ならばとますます思いました。
最初で最後の、最高の思い出をください」
ハイリンヒは、なかなか度胸のあるお嬢さんだと感心した。
丁度溜まっている。しかも、巨乳で金髪碧眼な上に、若くて美人な女性に誘われているこの状況を、据え膳と言わずなんだというのか。
ハイリンヒは、潔く欲望に正直になった。
「そうですか。では、遠慮なく貴方の誘いに乗らせていただきます。私も男ですので」
そもそもハイリンヒは、基本的には女性や色事が好きなほうである。
ローゼは、ハイリンヒの色よい返事に、ぱあっと明るい笑顔になった。
「本当ですか!?ありがとうございます」
そしてその後、2人は宿屋に雪崩込んだ。
ハイリンヒは、出会って間もないローゼの初めてを優しく散らした。
ローゼは、甘く啼きながらハイリンヒに身を委ねた。
ぽろぽろと涙を零し、「騎士様」と幸せそうに呼んで、快楽を享受した。
経験豊富なハイリンヒは、紳士らしく一度で終わろとした。
しかしローゼは、とろりと溶けた表情と瑞々しく豊満な体で、「もっとしてください。一生、この夜を忘れられないように」と縋り付く。
体の相性も良く、想像よりも乱れるローゼに強請られて、悪い気がする男はいない。
ハイリンヒは目の前のご馳走を食い尽くし、ローゼが力尽きて寝落ちするまで可愛がった。
そして、後始末をした後に、自らもローゼの隣で眠りに落ちた。
目が覚めたら、きちんと自己紹介をしなければならないと思いながら。
その数時間後、冒頭に至る。
*****
それから1年以上が過ぎた。
今年もまた、冬が終わって春が来る頃に、王都へ行く時期を迎えることになる。
あれからハイリンヒは、結婚はおろか婚約もしていない。
ハイリンヒは伯爵家令息だが、あくまでも次男。
生家の爵位や財産を引き継げはしないが、妻や子を持たぬことを煩く言われることもなかった。
しかも此処は生家のある王都でもないため、両親を含めた親族の声は基本的に届かない。
(いつかまた、ローゼ嬢に会えるだろうか。
いやしかし、もしローゼ嬢が本当に婚約を控えているならば、場合によっては会うことすらご法度か)
率直に言うと、ハイリンヒはローゼのことが忘れられずにいた。
ローゼと体の関係を持ったあの日以降、娼館に行く気にもなれず、女性に秋波を送られても、分かりやすく誘われても、全く食指が動かなくなったのだ。
(私は不能になったのか?)
ハイリンヒは暫く悩んだ。
しかしある時、最早悩んでも無駄だという思いに至り、諦めて現状を受け入れた。
その結果、そうか自分はローゼのことが好きなのかと、ハイリンヒは初めて気づいた。
しかし、気づいたところで連絡の取りようがない。
それどころか、ローゼがどこの誰なのかも分からない。
よってハイリンヒは、内心じりじりしながら、次の王都行きの日を待つことにした。
やがて王都へ向かう時期を迎えた頃、ハイリンヒは28歳になっていた。
結論から言うと、王都へ向かう直前に、ハイリンヒはオルフェイ辺境伯の屋敷で探し人を見つける。
何の因果か、ブレンダンの4人目の婚約者候補としてやってきていた女性が、まさにハイリンヒの想い人であるローゼだったのだ。
ハイリンヒは、その時初めて、ローゼが侯爵令嬢で、本名がラウラローズ・ワイルダムだと知る。
そして、ブレンダン経由でざっくりと彼女の生い立ちや事情を知り、ならばマティルダという婚約者と心を通わせているブレンダンではなく、自分がラウラローズと婚約しようと思い立つ。
しかし、再会の感動に浸ったり、きちんと想いを通じ合わせる間もなく、王都へと旅立つことになった。
王都でハイリンヒは、無事、国王陛下からオルフェイ騎士団長に再任されることとなった。
懇親会では、国王陛下に対して、ラウラローズのことが好きだから婚約したいという話を、ハイリンヒは自ら切り出す。
ついでに、自分の片想いだ、とも言い切った。
すると、いい笑顔の国王陛下から、ブレンダンへの手紙と共にいくつかの話をされた。
「彼女の過去を知っているか?」
「ええ、少しだけですが」
「彼女はとても賢い女性だ。しかし哀れな女性でもある。
6年程前、家を盛り立ててもらいたいという、ある伯爵家たっての願いで、彼女の婚約が決まった。
政略結婚にしては旨味が少なく、ワイルダム侯爵は気に食わない様子だったが、彼女の能力をもってすれば、伯爵家の立て直しも夢ではなかっただろう。
私は、悪くない話だと思っていた。
しかし、伯爵令息の我が儘で、婚約は破談になった。
本来であれば、あれは一国を背負う王妃にもなれる器があるようにも思い、どうにも惜しいとは思ったが、実の父親が確かではない者を王族に迎え入れるのは、なかなか難しくてね。
だから、彼女を一番に想い、大切にできる相手であればと思っている」
「随分と気にかけていらっしゃるのですね」
「ああ。彼女は、若い頃の知人に似ていてね。
ただ、もうこの世にはいない人だから、真偽の程を確認のしようもない。
他人の空似かもしれないし、そうではないかもしれない」
「そうですか。では、ラウラローズ嬢がオルフェイ辺境伯の新たな婚約者候補というのは、一体何だったのですか」
「私はそんな王命を下してはおらぬ」
「!」
「聡いそなたらならば、既に気付いておるのだろう?
大方、ワイルダム侯爵が下心を出し、娘を自らの手駒にしたのだろう。
オルフェイには、それだけの価値がある」
「王命と偽る行為は、処罰の対象になるのでは?」
「その通りだが、確固たる証拠がない。
大方、ラウラローズ嬢には、視察を兼ねて社会勉強のためにオルフェイに行くように言っただけで、もし万が一の事があれば、4人目の婚約者として残るように言っただけ、とでも言うのではないか?
あの侯爵はそういう男だ。少々権力に目がくらんではおるが、頭が切れる。阿呆ではない」
「なるほど」
「私が思うのは、あくまでも国のことだ。
そなたらもよく分かっておるだろうが、オルフェイは国防の要でありながら、農業も産業も栄えていて、豊かな土地だ。
そのオルフェイの柱であるブレンダンとそなたが、良き伴侶に恵まれ、その血を繋いでくれればそれでよい。
優秀な者の血を引く後継者は、何よりも大切だからな。
聡明なラウラローズ嬢がそこに加われば、わが国は安泰だ。何も言うことはない。
あとは私情だ。先代のオルフェイ辺境伯とは、昔からの友人でね。
あれは早くに妻を亡くしたのに再婚もせず、一途に想いを貫いた男だ。
そんな男の息子のくせに、未だに婚約すらしていないと知り、つい世話を焼いてしまったというのはある。
まあ、最初の2人については残念なことになってしまったが、3人目とは上手くいっているようで安心した。
……というようなことを、そこに書き記した。
オルフェイに戻ったら、ブレンダンと一緒に読むがいい」
「承知しました」
「ハイリンヒよ。
オルフェイ騎士団長に三度も任命されたその実力を讃え、そなたに1代限りの騎士爵を授ける。
オルフェイに骨を埋める覚悟で、引き続き励んで欲しい」
「ありがとうございます。もとよりそのつもりでございます」
「そうか。心強いな。そなたの結婚祝いとして屋敷を与えたいが、王都にあってもあまり意味はないか。屋敷の代わりに、祝い金を授けよう。オルフェイでの結婚資金にするがよい」
「はい。ありがとうございます」
ハイリンヒは、その日の夕方には生家であるオズウェル伯爵家の了解を取りつけた。
オズウェル伯爵夫妻も、ハイリンヒの実兄も、やっと結婚するといい始めたハイリンヒに喜び、安堵し、諸手を挙げて賛成した。
翌日には、オズウェル伯爵家から正式にワイルダム侯爵家に婚約を申し入れした。
その結果、ハイリンヒとラウラローズの正式な婚姻は、オルフェイ辺境伯の婚姻の後にするということで、まとまったのだった。
終
読んでくださってありがとうございました。




