第21話:愛することはないと言った理由*
ハイリンヒが騎士団を率いてラウラローズの捜索に向かうのと時を同じくして、ブレンダン率いる残りのメンバーは帰路に着いていた。
マティルダは、ブランケットに包まれたままブレンダンと馬に乗った。
拘束されたリチャードはカッシュと共に馬車に乗っている。
それはマティルダがリチャードに襲われた馬車でもあり、マティルダは同じ馬車に乗るのが嫌だと思っていたため、ハイリンヒの気遣いに心から感謝した。
道中、ブレンダンとマティルダの間に特に会話はなく、マティルダは不安を埋めるように、大人しくブレンダンの胸元に頬を擦り寄せていた。
ブレンダンは、そんなマティルダを大切そうに抱きしめたまま馬を操った。
オルフェイの中心部に着くと、炊き出し所はすっかり片付けられていた。
一行は、炊き出しをしていた場所の直ぐ側にある騎士団の宿舎を通過し、騎士団の詰め所に向かう。
そこで騎士たちに別れを告げ、ブレンダンとマティルダは屋敷に向かった。
*****
音を聞きつけ、慌てて駆けつけたのだろう。
マティルダとブレンダンが屋敷に着くと、屋敷を取り仕切る家令のジョセフと、マティルダ付きの侍女であるアマンダをはじめとする使用人達が、玄関ホールで迎えてくれた。
ジョセフがブレンダンに声をかける。
「おかえりなさいませ、旦那様。マティルダ様もよくぞご無事で」
「ああ、今戻った。アマンダ、マティルダの着替えを」
「かしこまりました」
ブレンダンは、肩を抱いていたマティルダをアマンダに引き渡す。
どこか不安げなマティルダに、ブレンダンは心配そうに微笑んで、優しく頭を撫でた。
「大丈夫だ。いっておいで。
着替え終わって落ち着いたら、少し話を聞きたい。
疲れているところ申し訳ないが、構わないだろうか」
マティルダは、いつになく頼りない様子でこくりと頷くと、アマンダと共に自室へ向かった。
普段とは異なる様子のマティルダを見て、察しのいいジョセフとアマンダは目配せをした。
アマンダとマティルダが見えなくなってから、ジョセフは尋ねた。
「すぐに医師を呼びましょうか」
「そうだな……いや、医師は男性だったな。ならば、明日にしよう。大きな外傷はなかったが、改めて怪我や体調の確認と手当てを頼む」
「かしこまりました。旦那様もどうぞお召し替えを。お湯の用意もございます」
「私は後でいい」
「さようでございますか。
ですが、出征から戻られたその足で、マティルダ様を追いかけられたと伺いました。
お時間が許すならば清潔にされて、少しでもお休みになられたほうがよろしいかと」
すっかり忘れていたが、その通りだった。
言われてみれば確かに、ブレンダンは結構疲れている。
やっと国境から戻ってこれたと思ったら、マティルダもラウラローズも行方不明と聞き、ブレンダンは着の身着のまま馬に跨り、最速で捜索に向かったのだ。
入浴なんて出征先でできるはずもない。
つまり臭うかもしれない。
しかし、この状態でマティルダを抱きしめてしまったなと、ふと思った。
「分かった、湯をもらおう。しかし、この後また出掛けるかもしれない」
「ラウラローズ様でございますね」
「ああ。今、ハイリンヒが何人かの騎士を連れて捜索に行っている。夜が来る前に見つかるといいのだが」
*****
マティルダは、軽く体を拭いて、炊き出しスタイルから普段着のドレスに着替えた。
リビングルームに足を運ぶと、ブレンダンがソファに座って真剣な表情で書類を見ていた。
シャツにスラックスという、騎士服よりはラフな格好をしていて、まだ乾ききっていない赤い髪をほどいていた。
「お仕事中でしたら、出直しできましょうか」
「いや、問題ない。座って話そう」
そう言って、ブレンダンはマティルダに優しく微笑みかけた。
服装のせいなのか髪型のせいなのかは判然としなかったが、ブレンダンがいつも以上に大人の男性の魅力に溢れているように見えて、マティルダは不覚にもドキリとした。
マティルダは向かい側に座ろうとしたものの、ぽんぽんと、ブレンダンがソファの座面を軽く叩いた。
隣に座れの意味だと理解したマティルダは、いそいそと隣に腰かける。
「つらいかもしれないが、今日あった出来事を教えてほしい」
「はい」
マティルダは、順番に話した。
炊き出しの準備中にリチャードに声をかけられ、物陰に入った際に薬のようなものを嗅がされ眠らされたこと。
目が覚めたら倉庫のような建物の中で拘束されていて、マティルダを心配して追いかけてきてくれたラウラローズも同じ状況だったこと。
ラウラローズだけ金髪の男性に抱え上げられ、先に連れて行かれたこと。
そして、1人残されたマティルダのことはリチャードが迎えに来て、2人で馬車に乗ったこと。
「リチャード様は、惨めな私を救うためだと仰っていました。
3人目が4人目になったとしても、大差ないと。
ですから、ラウラ様にお兄様の婚約者の座を奪われる前に、リチャード様が私のことを引き受けてくださると仰っていました。
それに、私が辺境伯夫人になるなんて、身の程知らずだとも仰っていました。
釣り合っていない自覚はあったのですが、面と向かって言われると、流石にちょっと傷付きましたが」
悲しく微笑むマティルダに、ブレンダンは渋い顔になった。
「そんなことはない。マティルダは努力家で優秀だ。優しくて、柔軟で、周囲を明るくする才能がある。私には勿体ないくらいだ」
「褒め過ぎです。でも、ありがとうございます」
マティルダは、照れたように微笑んでそう言った。
ブレンダンは、マティルダの表情の変化に少しホッとしたものの、首筋に赤い跡があることに気付く。
「マティルダ。つらいことを聞いてすまないが、あの男に何をされた」
「……」
「マティルダ」
つらそうに眉根を寄せ、マティルダは俯いた。
ブレンダンが暫く待つと、マティルダは重々しく口を開いた。
「抱きしめられて、キスされました」
「どこに」
「……唇と首です。申し訳ありません」
正直に答えた声は、少し震えていた。
目頭が熱くなり、視界が滲む。思い出すだけで恐怖と嫌悪感がぶり返し、マティルダは、思わず自分自身を抱きしめた。
ブレンダンは、その痛々しい様子に胸が痛んだ。
同時に、言いようのない怒りのようなものが腹の奥底に渦巻く。
ブレンダンは、隣に座るマティルダをぐっと引き寄せて抱きしめ、マティルダの顎を指で掬い上げ、マティルダの唇に軽いキスをした。
マティルダはぽかんとして、ブレンダンを見つめた。
「マティルダは私のものだ」
ブレンダンは、たった一言、すとんと感情を消し去ったような表情をして呟いた。
しかし、その金色の瞳は、静かに燃えているような熱量を孕んでいる。
ブレンダンは、マティルダが嫌がる様子を見せないのを確認すると、再びマティルダの唇を塞ぐ。
「お兄さ……っんぅ……」
再び口づけられ、開いた唇に舌を差し込まれたマティルダは、びくんと身を震わせた。
甘く絡み、全てを奪うような深い口付けに、次第に力が抜けていく。
「んっ……はぁ」
長いキスのあと、くったりとしたマティルダを抱きしめ、ブレンダンはマティルダの首筋にも口づけた。
ちりっとした小さな痛みに、マティルダはぴくりと反応する。
抵抗されないのをいいことに、ブレンダンは、リチャードがつけたのであろう赤い跡2つをきっちり上書きしたあと、反対側にもう1つ、衣服にギリギリ隠れる位置に、追加でキスマークをつけた。
「お、おにいさま……?」
ブレンダンが反対側の首筋にも印を刻んだ後になってから、戸惑うようなマティルダの声が聞こえた。
ブレンダンは、ハッと我に返り、マティルダから身を離す。
するとそこには、羞恥のあまり真っ赤になっているマティルダがいた。
とろんとした目元は、今にも泣き出しそうで、不安げに揺らめいている。
「すっ、すまない。思わず手を出してしまった。怖い思いをさせてすまない」
「大丈夫です。お兄様ですから怖くはありません。でも、怒っていますよね。お兄様と婚約しているのに、他の男性とあんなこと……本当に申し訳ありません」
マティルダは、ブレンダンに操を立てることができなくなりかけた。
その事実だけは明らかで、マティルダは悲しくなった。
今だって、直接的に責められてはいないようだが、ブレンダンは不愉快そうだ。
「それは違う!――いや、違わない。でもマティルダは悪くない」
ブレンダンは、不安げなマティルダを見て慌てる。
そして、下手に誤解を生むのを避けるべく、ふーっと1つため息をついて、乱れた心の裡を白状した。
「誤解しないでほしいのだが、私があの男に嫉妬しただけだ。もし私が怒っているとしたら、貴方に手を出したあの男と、貴方を守れなかった自分自身に対してだ」
「しっと……」
「マティルダ?」
「……え?その……えぇ?き、聞き間違い?」
マティルダは、嫉妬を正しく変換した結果、盛大に驚いた後、激しく動揺した様子を見せた。
ぶわっと顔から首まで赤くなり、視線を泳がせる。
照れまくるマティルダに、ブレンダンは思わず瞠目した。
そして、ふっと吹き出した後、穏やかに微笑んだ。
「聞き間違いではない。嫉妬だ。私はマティルダのことが好きなんだから、当然だろう」
「お兄様……」
「怖い思いをさせてすまなかった。無事で良かった」
再びブレンダンにぎゅっと優しく抱きしめられ、マティルダは胸がドキドキした。
恥ずかしさと嬉しさで、心臓というよりはもう、全身が爆発しそうだと思った。
微笑むブレンダンはとても格好良い。優しくて、強くて、頼りになる。
こんなに素敵な人と一緒過ごして大事にされたら、落ちない女性などいないのではないかとマティルダは思う。
同時に、自分が3番目の婚約者であることを思い出し、胸が痛んだ。
本当はずっと気になっていたから、くよくよしても仕方がない、ブレンダンに聞いてみようとマティルダは決めた。
「あの、もしお兄様がお嫌でなければ 、私より前の婚約者様のことを聞いてもよろしいでしょうか」
「構わないが、急にどうした」
「気にしないようにしてきましたが、リチャード様に言われてから、やはりまた気になってきてしまって」
ブレンダンから体を離したマティルダは、困り顔で無理矢理笑顔を見せる。
ブレンダンは、リチャードの名前に少し苛立ちを覚えつつ、即座に腹を括った。
「分かった。話す」
「えっ、よろしいのですか?」
「構わない。そもそも婚約しているのだから、貴方には知る権利がある。むしろ、もっと早く話しておくべきだったのかもしれない。不安にさせてすまない」
そして、ブレンダンは語った。
1人目は慣れない環境に病み、4ヶ月で生家へ帰り、5ヶ月目には相手の希望で婚約解消になったこと。
そして、2人目は2ヶ月で婚約前から懇ろだった使用人と駆け落ちし、3ヶ月持たずに婚約解消になったことを。
「マティルダもそうだが、確かに2人とも王命だった。
私には婚約者も愛人もいなかったため、心配した国王陛下の気遣いで王命が下ったのだ。
聞こえは良いが、要は、国防の要であるオルフェイを確り治め、王国に長く安寧を齎せという意味だろうな。
私もいい年だ。しかし、愛想が無いし、女性の扱いに慣れているとは言い難い上に、遠征で屋敷を空けがちだからな」
「そうだったのですね」
「隠していたわけではないのだが、一応、国王陛下から箝口令が敷かれている。だから、表立っては誰も口にしない」
「よく分かりました。今日まで事情を知らず、申し訳ありません。本当に私に話してもよろしかったのですか?」
「問題ない。当然、使用人を含め、私に近しい者たちは知っているしな」
「では、私を愛するつもりはないと最初に仰ったのは、何故ですか?」
「安心して健やかに暮らしてほしいと思ったからだ」
「?確かにあの時、そう仰っていましたが、やはりよく分かりません。何故そうなるのですか?」
「1人目には、良き夫婦になろうと伝えたが心を病んでしまった。負担を感じさせたのかもしれない。
2人目には、自由にしてもらって構わないと伝えた結果、駆け落ちした。自由という表現は不適切だったのかもしれない。
これらを踏まえて、貴方に対してあのような言葉をかけたのだが、私は今でも、彼女達に何と言えば正解だったのかが分からない」
ブレンダンは、困り顔で肩を落として苦笑した。
マティルダは、初めて知ったブレンダンの苦労に驚き、そして同情した。
「そうだったのですね。色んな人がいますものね。お話ししてくださってありがとうございます」
「その……貴方を愛する許可は、取ったと思うのだが」
「!は、はい。取りました。問題ありません」
マティルダは、その日のことを思い出して赤くなった。
ブレンダンは、明らかにほっとした様子でマティルダをまた抱きしめた。
「そうか。よかった」
なでなでと、ブレンダンはマティルダの後頭部を撫でた。
マティルダは、ブレンダンが初対面で「愛するつもりはない」と言った理由がやっと理解できた。
今でこそ、言葉も笑顔もくれるが、出会った頃のブレンダンは、基本的に無口で無表情だった。
それに、貴族だが騎士でもあるため、身体が大きく、整った目鼻立ちも鋭い方なので、近寄りがたいのは間違いなく、親しみを持たれやすいタイプでもない。
話を聞く限りは女性側にも問題があるように思ったものの、ブレンダンは優しくて真面目なせいか、自責の念を相応に抱いている様子だ。
よって、不器用であるが故に、あのように伝わらない言葉選びになったのもしれない。
しかし、それにしたってブレンダンは女運がなさすぎる。
そして、国王陛下の人選のセンスはいかがなものかと、マティルダは密かに思った。
第3話に、ブレンダンの過去の婚約者の説明があります。
次回最終話です。




