第17話:ハイリンヒの帰還
「マティルダ!?大丈夫か」
「あ……おに、さま……」
ブレンダンは慌てた。
カッシュと目が合った瞬間、マティルダが突然、怯えたようにガクガクと震え始めたからだ。
「閣下、こちらを」
「ああ、すまない」
カッシュは、部下が持ってきていた大判のブランケットを受け取り、ブレンダンに手渡す。
ブレンダンは、震えるマティルダをブランケットで包みこんで、落ち着かせるように抱き締めた。
カッシュは、ただならぬマティルダの様子を目にして、大体何があったかを察した。
ブレンダンがマティルダを、カッシュに預けようとした瞬間から、マティルダは物凄く怖がり始めた。
ということは。
(大方、この子爵令息に乱暴でもされたのか)
カッシュは、地面に転がされているリチャードを金色の目で睨んだ。
マティルダはいつも笑顔で、明るくて愛想の良い、可愛らしい人だった。
それが今は、まるで別人だ。青白い顔で、見ているこちらが苦しくなるほどに怯えている。
「閣下。ワイルダム侯爵令嬢の捜索へは私が行きます」
「しかし」
「閣下は、その状態の婚約者から離れるのですか」
「――っ」
何も言い返せないブレンダンに、マティルダは、震えながら答えた。
「申し訳ありません。私も行きます」
「マティルダ!?何を無茶な……!」
「犯人の顔は、私しか知りません。それに、ラウラ様がこうなったのは私のせいでもあります」
「しかし」
「私が嫌なのです。お兄様と離れるのも、ラウラ様を失うのも。
足手まといになるかもしれませんが、私がお兄様に同行すれば、リチャード様の移送をする2名以外は、捜索に加われます」
「駄目だ。危険すぎる」
「大丈夫です。だって、お兄様が守ってくださいますよね?」
震えながらもそう言い、青白い顔で微笑むマティルダに、ブレンダンは物凄く渋い表情になった。
そして、眉間の皺を思い切り深くして、心配だと大きく書いたような顔で悩み始めたその時、向こうから猛スピードで単騎で駆けてくる男性が見えた。
「ブレンダン!!」
その人は、紺色の髪と目を持つオルフェイ騎士団長・ハイリンヒだった。
ハイリンヒは王都から戻ったばがりだというのに、ブレンダン達と同じ騎士団の制服を着ている。
恐らく、つい先程オルフェイの中心部に到着して、炊き出し場所で事情を聞いてすぐ、馬を交換する間に制服に着替えて、慌てて飛んできたのだろう。
ハイリンヒはブレンダン達の近くで馬を止め、ひらりと飛び降り、騎士団のメンバーに馬を預けて駆け寄った。
「ハイリンヒ、よく戻った。合流に感謝する」
「問題ない。2人は無事なのか」
「マティルダはこの通りだ。しかし、ラウラローズ嬢は見つかっていない」
「!?ラウラローズ嬢は何処に」
「分からない。だが、手掛かりはある。
ラウラローズ嬢は、マティルダと共に拘束されていたが、先に外国人男性に連れて行かれたらしい。
行き先は不明だが、マティルダを炊き出し所から攫うように依頼したのはリチャードだが、ラウラローズ嬢については何も依頼していないと言っている。
そして、リチャードが依頼相手と出会ったのはミズーリらしい」
「なるほど。可能性があるとしたらミズーリか」
「ああ。急がないと日が暮れる」
「そうだな。すぐに向かおう」
ブレンダンとハイリンヒは頷きあった。
しかし、ハイリンヒは、毛布にくるまれてブレンダンに守られるように立っているマティルダの弱々しい様子を見て、念の為に確認した。
「マティルダちゃんはどうするんだ」
「連れて行く」
「正気か?――マティルダちゃん、本当?」
「はい。そもそも私のせいでもありますから。それに、私は犯人の顔を見ています」
「いや、マティルダちゃんのせいではないと思うけどね」
ハイリンヒは、申し訳なさそうに答えたマティルダの頭を、いつものように撫でようとした。
しかし、マティルダは伸びてくる手を怯えたように凝視し、ビクッと身を竦ませた。
ハイリンヒはハッとして、少し厳しい表情で手を引っ込めた。
マティルダには目立った外傷、つまり、殴る蹴るの暴行を受けた様子はない。
となると、女性の場合に多いのは性的な被害を受けた可能性が高いと即座に思い至る。
「ブレンダン。何があった」
ハイリンヒは、凍てついた氷のように冷たい怒りを瞳に宿し、ブレンダンに問う。
それはハイリンヒが、カッシュ同様に、マティルダと同じような目に遭った女性や子供を保護したことがあるからに違いなかった。
「恐らく想像通りだ。状況的に未遂だとは思うが……マティルダ。つらいことを聞いてすまないが、私の理解は正しいか」
マティルダは、泣き出しそうな顔をして、力無く頷いた。
その反応に、ブレンダンは怒りのあまりギリ、と歯を食いしばる。
「守ってやれなくてすまななかった」
「いいえ。お兄様はきちんと助けにきてくださいました」
マティルダは、苦しげなブレンダンに、儚く微笑んだ。
ハイリンヒは、ふぅ、と息を吐いて言った。
「ブレンダン――いや、オルフェイ辺境伯。この場の指揮権を俺にくれ」
「お前、王都から戻ったばかりだろう。大丈夫なのか?」
「出征から戻ったばかりのお前にだけは言われたくない。それに、国王陛下のご承認を得て、ラウラローズ嬢は正式に俺の婚約者になった。私が先陣を切るのは当然だ」
「正論だな。分かった。
――オルフェイ騎士団員に告ぐ!騎士団長が戻った。これよりこの場の指揮権をオルフェイ騎士団長に戻す」
ブレンダンが了解し、声を張り上げる。
ハイリンヒは、それに続けて毅然とした態度と言葉で号令をかけた。
「オルフェイ騎士団は、これより、ワイルダム侯爵令嬢の捜索を開始する。
オルフェイ辺境伯は、ヤーウェイ子爵令嬢の護送と馬車の先導を。
カッシュともう1名は、エデルフィン子爵令息の移送を。
残る4名は私に続け」
「はい!」と騎士団の面々から声が上がる。
マティルダの胸は、心配と罪悪感で痛んだ。
ハイリンヒは、多分正しい。
ブレンダンは主戦力に違いないが、マティルダがいては間違いなく足手まといになる。
しかし、今この状態でブレンダンから離れて別の男性と行動を共にするのはできそうにない。想像するだけで震えがきてしまう。
その一方で、ラウラローズが気になって仕方ないのもまた事実。
マティルダは、今ここでラウラローズのためにできることをしないと、きっと後悔すると思った。
「ハイリンヒ様、ありがとうございます」
「ん。無理しないでね」
「ありがとうございます。
あの、ラウラ様を連れ去った犯人の特徴なのですが、恐らく、最低でも2人組の外国人男性です。
1人は金髪で、その人が外国語でラウラ様と会話をしていました」
「へえ、金髪。オルフェイでは珍しいね」
「はい。背の高い金髪の人が、ラウラ様を軽々と抱き上げてどこかへ連れていきました。
もう1人、入口を見張っていたと思います。
盗賊というよりは、至って普通の街の人という雰囲気でした。
ラウラ様が、今もあの人たちと一緒にいるかはわかりませんが……」
抱き上げて、の部分で、ハイリンヒはピクリと反応した。
そして、直後から、その青みがかった黒い目が完全に据わった。
相手を夜の闇に呑み込まんとするほどの、黒ぐろとした底なしの沼のような瞳が、すんと細められる。
「そう。2人組の内、金髪野郎がラウラローズ嬢を抱き上げて連れ去ったんだね」
「は、はい」
「2人を誘拐したことも勿論許せないけど、私より先に抱き上げるなんて、更に許せないね」
そこ?とマティルダは思ったが、言える雰囲気ではなかった。
静かに怒るハイリンヒは、非常に怖かった。
まるでハイリンヒの周りに吹雪のようなものが見えた気がして、マティルダはふるりと小さく身を震わせた。
抱き寄せたマティルダの変化に気付き、ブレンダンは咎めるように声をかける。
「ハイリンヒ」
「ああ、ごめん。ちょっと気持ちが抑えきれない」
そう言って、ハイリンヒは深呼吸した。
殺気立つハイリンヒは、まるで戦場にいる時の姿を彷彿とさせる鋭さで、ブレンダンはぞくりとする。
ブレンダンの戦闘能力は高いが、ハイリンヒも高い。
しかし、硬派なブレンダン対比ハイリンヒは軟派で人当たりがよいため、平時と有事の印象の差が甚だしいのはハイリンヒの方である。
「ラウラローズ嬢は必ず見つけ出す。俺は、彼女を花嫁にすると決めている」
言い切ったハイリンヒは、切れ味鋭い刃物のような雰囲気を纏っている。
ブレンダンは、戦場で共に戦う時にハイリンヒに背中を預ける安心感を思い出し、短く答えた。
「分かった。任せる」
「マティルダちゃん、怖がらせてごめん」
戸惑いが若干顔に出ているマティルダに、ハイリンヒは優しく微笑みかけた。
マティルダは、黙って1つ頷くに留めた。
「ハイリンヒ。何かあればすぐに伝令を」
「了解」
「もし日が暮れても見つからなければ、明朝、ミズーリに応援を出す」
「頼んだ」
ブレンダン、ハイリンヒ、そしてカッシュを含む騎士達は、確りと頷き合った。




