第11話:変化する関係*
ハイリンヒが王都に向かってから2週間と少しが経った頃、朝食の席でブレンダンが口を開いた。
「ラウラローズ嬢」
「はい」
「ハイリンヒから書面が届いた。貴方とハイリンヒの婚約は、無事、国王陛下に認められた」
「!」
「それから、オルフェイ騎士団長を歴任していることを踏まえ、結婚祝に騎士爵を叙爵したとのことだ。陛下からは、今後も末永くオルフェイのために身を尽くせとのお言葉を受けたらしい」
「そうですか。オズウェル伯爵家とワイルダム侯爵家は何と?」
「問題ない。ハイリンヒが、その日の内にオズウェル伯爵家の了解を取り、翌日には正式にオズウェル伯爵家からワイルダム侯爵家に婚約を申し入れしたようだ。
ワイルダム侯爵は若干渋り気味だったらしいが、陛下と直接言葉を交わして許可を取ったと、ハイリンヒが正面から切り込んだらしい。
たまたま視察兼社会勉強としてオルフェイ辺境伯家に滞在しているラウラローズ嬢を、たまたま決まった相手のいないオルフェイ騎士団長が見初めただけならば、何の問題もないしな。
正式な婚姻は、オルフェイ辺境伯の婚姻の後にするという話でまとまったそうだ」
「かしこまりました」
「異論はあるか?」
「ございません。ただ、疑問はございます」
「何だ」
「結局、私が此処へ来たのは王命だったのでしょうか」
「いいや、違った」
「!」
「私が書いた国王陛下への手紙の返事は、ハイリンヒが持ち帰ってくる。ハイリンヒが直接、国王陛下から受け取ったらしい」
「そうですか。薄々気付いていたこととはいえ、ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
「別に、貴方のせいではないだろう」
「それはそうかもしれませんが」
「貴方はもう、ハイリンヒの正式な婚約者だ。
これからはオルフェイ騎士団長の妻として、力を貸してほしい。
共にこの地を守り、より豊かにしていくことを考えてもらいたい」
「かしこまりました。閣下の御心のままに」
淡々と述べるブレンダンに、ラウラローズは根性で微笑んでみせた。
薄々気付いてはいたが、やはりワイルダム侯爵はなかなか図太い。ある意味尊敬に値する。
場合によっては、国王陛下の王命を捏造したワイルダム侯爵ではなく、その娘たるラウラローズが嘘偽りを言っているとでも言われて、切り捨てられていたのではないか。
その恐怖とに、ラウラローズは人知れずふるりと身震いした。
(命拾いをしたわ。それにしても、本当に、あの時の騎士様と結婚するのね)
かつて婚約がだめになったラウラローズは、ヤケクソとまでは言わないが、結構な捨て身で、この人ならばと思う初対面の男性を誘って、処女を捨てた。
その時の相手とオルフェイで再会するだけでも衝撃だったが、まさか結婚するだなんて、想像もしていなかったことが今起きようとしている。
「あの、横から申し訳ございません。ラウラローズ様、大丈夫ですか?」
「ええ、勿論よ。ただ、今はまだ実感がなくて」
大丈夫かどうかと言われれば、大丈夫と答えるのが道理だからだろう。
心配そうなマティルダに、ラウラローズは力無く笑顔を見せた。
「決して、嫌ではないの。気持ちがついていないだけよ」
「そうですか」
ラウラローズは以前、鉄仮面のように淑女の鏡らしいアルカイックスマイルを浮かべていたものの、最近では、マティルダの前では、比較的分かりやすく表情を変える。
マティルダは、淡く微笑むラウラローズを気遣わしげに見つめたが、それ以上かける言葉が見つからなかった。
ラウラローズは、ハイリンヒとの婚約が嫌ではない。
むしろ嬉しいはずなのだが、とてつもなく心配だった。
それは決して、騎士団長夫人という肩書や、この地での生活についての不安ではない。
純粋に、ハイリンヒにどう思われているのかが分からないという1点に尽きる。
(きっと、はしたなくて身持ちの軽い女と思われているのでしょうね)
ラウラローズは、2年前のあの日を後悔したことは、これまでに一度もなかった。
けれど、今この瞬間初めて、後悔の念を抱き始めていた。
*****
その日の夕食後、マティルダはブレンダンに声をかけ、2人でダイニングからリビングに移動して座っていた。
「ラウラローズ嬢と街へ買い物に行きたい、だと?」
「はい」
「許可する。但し、これまで通り護衛は必ず連れて行くようにしてほしい」
「はい、分かりました。ありがとうございます」
「欲しいものがあれば、好きに買うといい。宝石商や仕立て屋なら明日にでも連絡すればいいし、屋敷に呼ぶこともできるが、どうする?」
「ええと、私ではなくて、ラウラローズ様に街を案内したいのです。
あとは、ラウラローズ様と一緒に、庭弄りやお料理などもしたいのですが、軽装というか、作業着のようなものはお持ちではないようでして。
お貸ししようにも、私とは身長も体格も割と違っているので、困っています」
「なるほど」
「しかもその……男性に言うことではないのかもしれませんが、ラウラローズ様が持参された下着類が、かなり確りとしたものが大半のようで、まずはそれを何とかしなければと」
「下着?」
「はい。普段から、まるで夜会に着るようなガチガチのコルセットを着ているようなのです。
しかも、普段からお胸を潰すようなものをお召しのようで、毎日、お辛いのではないかと思います」
「何故そんな無理をするのだ。
私には既に嫁いだ姉がいるのだが、特別な日にしかそういったものは着ないし、着たらろくに食事などできやしないと嘆いていたと記憶している」
「はい、仰る通りです」
「……ワイルダム侯爵家か」
心配そうなマティルダの台詞に、ブレンダンは渋い顔になった。
もしかしてラウラローズは、身体的に傷付けられるような虐待こそ受けていなかったものの、精神的な虐待のようなものを受けていたのかもしれない。
極端な教育なり思想なりを刷り込まれてきたのではないかという思いが、ブレンダンの脳裏を一瞬よぎる。
「恐らくは。常に最高に美しくあるためにはどうすべきか、ということなのかもしれません。
あとは、大ききなお胸は見苦しいから、きちんと隠すようにと、口酸っぱくご両親に言われたそうです。
……というのを、お兄様に言うのも変な話なのですが」
「侍女は何をしている?」
「私と同じで、ラウラローズ様が連れてきた侍女は既に帰っています。
このお屋敷にいる侍女が、足りないものや困りごとを尋ねたことはあるらしいのですが、ラウラローズ様自身が、『仮初の婚約者候補のために、そんなに気を遣わなくてもいい』と仰ったそうです」
「あの女、平気で言いたい放題するくせに、変なところで遠慮があるな。
大体、身体的特徴は単なる個性にすぎない。
胸がどうであれ、彼女の価値は変わらないと思うがな」
「はい。……いや、お胸は大きい方がいいのではありませんか?」
「それは好みの問題だろう。というか、何の話をしてるんだ私達は」
「ラウラローズ様のお話です」
「はあ。私は別に、あの女のことはどうでもいいのだがな」
真面目に答えるマティルダに、ブレンダンはやれやれと肩を落とす。
そして、隣に座るマティルダの腰をぐっと引き寄せた。
「!?」
「全く、ラウラローズ嬢と仲が良すぎるのではないか?夕食の時も楽しそうだったではないか」
「はい。お友達になりました」
「ふっ。なるほど、お友達か」
若干皮肉っぽい笑みを浮かべたブレンダンに、マティルダは不思議そうな顔をした。
するとブレンダンは、どこか遠くを見るような目でマティルダを見つめた。
「いや、なんというか、貴方に絆されたあの女の気持ちがわかるような気がしてな」
「お兄様は、ラウラローズ様と同じことを言うのですね」
「ほう、同じことを言っていたのか。それは奇遇だな。マティルダ、少し目を閉じてほしい」
「?はい」
マティルダはきょとんとしたが、素直にその青い瞳を閉じた。
何一つ疑わず、言われるがままにするマティルダに、警戒心がなさすぎるだろうとブレンダンは内心思う。
だけど、そういうところも含めて全てが愛しいとも思うのだ。
ブレンダンは、そっと、大きな手のひらをマティルダの頬に添える。
ぴくりと震えたマティルダの睫毛に、ブレンダンは金色の瞳を細め、己の唇をマティルダの唇にふわりと一瞬だけ重ねた。
「――!」
マティルダは、思わず目を開いた。
しかし、この上なく至近距離にある整ったブレンダンの顔に、ヒッと息を呑み、ぎゅっと目を閉じた。
身を強張らせたマティルダに気付き、ブレンダンは小さく笑う。
そして、マティルダの小柄な体を、まるで宝物を抱えるかのように、包み込むように抱きしめ、再び唇を重ねた。
キスから解放されたマティルダは、どこかほわほわした顔でブレンダンを見つめた。
ゆらりと潤んだ青い瞳に映ったブレンダンは、酷く甘い笑みを浮かべていた。
(今、キスした……?)
顔どころか全身が熱くて、思わずブレンダンから目を逸らし、感触を確かめるように片手で唇を押さえた。
呆然としているマティルダの額に、ブレンダンはちゅ、とキスを落とし、蕩けそうな表情で微笑みかける。
「マティルダ、好きだ」
低く囁くように、ブレンダンは告げた。
マティルダは驚き、そして、涙目になる。心臓がドキドキし過ぎて、呼吸ができなくなりそうだと思った。
ブレンダンは、目の前で羞恥に震えるマティルダを片手で抱きしめたまま、もう片方の手でマティルダの手を取り、その甲に口付けた。
「!」
びくりと身を震わせ、マティルダは恥ずかしそうに身悶える。
初々しすぎる反応に、ブレンダンは、愛しくてたまらないという顔で見つめる。
そして、薄く開かれたマティルダの唇にもう一度キスをした。
抵抗一つすることなく、されるがままのマティルダの口内を、ブレンダンはゆっくりと懐柔する。
「んっ……ふっ……」
ブレンダンが、マティルダの唇から舌をそろりと侵入させると、マティルダからは鼻にかかった甘い声が漏れた。
暫くは、ぴちゃ、くちゅ、という唾液の音と、マティルダの甘い吐息だけが聞こえた。
深い大人のキスの後、マティルダは、恥ずかしすぎて泣きそうになっていた。
慣れない経験と酸素不足で、もういっぱいいっぱいだ。
蕩けた表情で、くったりとブレンダンに寄りかかる。
大きな手が、よしよしとマティルダのココアブラウンの髪を撫でた。
「ラウラローズ嬢との付き合い方は、マティルダが思うようにすればいい。だが、私の婚約者は貴方だからな」
「はい、ありがとうございます。あの……」
「ん?」
「私もお兄様が好きです」
恥じらいつつも、はっきりと口にして、マティルダはブレンダンのシャツをきゅっと掴んだ。
すると、髪を撫でていたブレンダンの手がピタリと止まり、そのすぐ後に、マティルダはぎゅうっと強く抱きしめられた。
「ありがとう。街へはいつ行くつもりだ?」
「いつでも構いません」
「分かった。では、外出の際の護衛を増やす。今はマティルダ1人を護衛対象とした配置になっているからな」
「ありがとうございます。お手数をおかけして申し訳ありません」
「客人――いや、オルフェイ騎士団長の婚約者のためとなれば、まあ、それなりに志願者も多いだろう。
それから、軽装だろうが下着だろうが、我が家には懇意にしている店がある。
侍女が貴方のものを用意した仕立て屋を知っているから、この屋敷に呼ぶといい。
街へ行くのは好きにして構わないが、適当な店で衣服を選ぶのはあまりお勧めしない」
「どうしてですか?」
「相手が、此方の身なりや立ち居振る舞いで勧めるものを変えてくるからだ。
どんな格好で店に行くのかにもよるが、マティルダとラウラローズ嬢がそれなりの身なりで街の店に入ったら、間違いなく、貴族然としたものを勧めると思うからな」
「確かに」
「折角だから、貴方に似合いそうなものがあれば、それも持ってこさせよう」
「えっ?私の分は大丈夫です。ちゃんと一通り揃っていますから」
「そうか?貴方の好みのものを増やせばいいと思うがな。華やかなドレスや宝飾品には見向きもせず、動きやすくてシンプルなものばかり好むと、侍女から報告を受けている」
「!申し訳ございません。折角高価なドレスをいただいたのに、ろくに袖も通さず」
「気にする必要はない。貴方が好きなものを着ればいい」
ブレンダンが、頭上でふっと笑う気配がした。
マティルダは幸せだと思った。
衣食住が十分に与えられて、好きな人にこんな風に抱きしめてもらえて、素敵な女友達もできて、この世のすべてに感謝したい気持ちになった。
同時に、ほんの少しだけ引っかかりを覚えた。
子爵令嬢など、いざとなれば貴族にも平民にもなれるような身分だ。
ドレスなどよそ行きのものが1着か2着あれば十分だし、そもそも普段から立派な宝石をつけたり、豪奢な衣装を纏ったりはしないのだが。
(きっと、お兄様のこれまでの婚約者は、そうじゃなかったということね)
マティルダは、心の中だけで呟く。
胸にちくりと刺さったトゲのような痛みには、気付かないふりをした。




