第九章 いきなり捕り物帳
失意と決意を胸に抱いて颯子が帰宅しているころ――
京の東の荒れ寺の裏門を検非違使の放免が見張っていた。
放免というのは一度捕らえられた罪人が、検非違使庁の捕り物に協力するのを条件に解き放たれた人物である。
この放免は髭面の小男で、通称は「髭鼠」という。
髭鼠が張っているこの寺には、数日前から、錫白の関を破って東国から逃れてきたらしい盗賊と思しき小集団がけが人を抱えて逃げ込んでいるのだった。
それならさっさと踏み込んでお縄にすればいいではないか――と、髭鼠は思ったが、捕り物の指揮を執る看督長が愚痴るには、事態はどう簡単ではないらしい。
なんでも、一味のなかに京風の言葉を話すこぎれいな若者が混じっているのだという。
もしかしたらあれはどなたか京の有力者の放蕩者の若君なのかもしれん――と、看督長は渋い顔でいった。
貧乏公家の若様だったら大した問題ではないが、万が一御所に出入りする大身の武家の若様なんかをうっかり捕縛してしまったら、怒り狂った郎党の手で検非違使庁が焼き討ちされかねない。
「けが人が出ているからには、彼奴等、監視が緩むのを待って、あの若君のご生家に助けを求めに行くかもしれぬ。よいか髭鼠よ、その行き先を確かめて報告するのだ」と、看督長は命じた。
かくして髭鼠は――霜月の寒空の下、薦にくるまった乞食に身をやつして――荒れ寺の小集団が動きを起こすのを待っているのだった。
さて、そうして待っていると、ようやくに裏門の木戸が開いて、柿渋染めの筒袖に藍の袴、張りのない折れ烏帽子をかぶった若い男が現れた。
四角張った顔つきがいかにも生真面目そうなずんぐりとした男だ。
腕に黒漆塗りの文箱のようなものを抱えている。
おお、文使いか! と髭鼠は勇み立った。
男は道端に転がる放免には目もくれず、左右をササっと見回してから、足早に洛中のほうへと急いでいった。髭鼠は勇んで追った。
男の行き先は六条大納言家だった。慣れた様子で門前の侍に文箱を渡している。
「こちらを奥の姫君に。山鶉の若君からじゃ」
髭鼠は勇み立った。
――聞いたぞ。山鶉の若君だな!
文使いは侍に文箱を託すと、返事は待たずにまた荒れ寺へと戻っていった。
髭鼠は見張りには戻らず、大急ぎで検非違使庁まで走った。
「看督長どの、看督長どの、荒れ寺の若君の身元が知れたぞ――!」
「おお鼠、ようやった。どこじゃ、公家か? 武家か?」
「山鶉の若君だそうじゃ! 六条大納言様のお邸に文を届けておった!」
「なんと、六条大納言様というと――かの桜児さまのお家か!?」
看督長は蒼褪めた。
六条大納言家の名花たる桜児姫に公方様が恋文を送り続けていることは、洛中で出世を志す下級官吏の誰もが知るところである。
そして山鶉の若君といったら、今の帝と相争って敗れた南朝さまの綸旨を東国へ届けに走ったかもしれぬ――と、密告があった要注意人物ではないか!
「髭鼠、よう報せてくれたな。今すぐまた見張りに戻れ。山鶉の若君が寺を出たら後をつけて、行き先を確かめるのだ」
看督長は放免に小金を握らせて見張りに戻らせてから、大急ぎで身支度を調えて花の御所へと走った。
この報せは今すぐ公方様のお耳に入れる必要がある!