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第八章 全員一方通行

 御所へ戻った颯子は、できるだけ面目なさそうな表情を取り繕って、そのまま返却されてきた文箱を公方様へと差し出した。


 公方様は期待に満ちた様子で蓋をあけたものの、中に入っているのが自らしたためた文だけだと気づくと、肩を落としてはーッと長いため息をついた。

「やはりそなたでも駄目か――……桜児姫はどうしたら文を返してくれるのかのう? のう山鶉の真盾よ、この昭光はそれほど見苦しい男か? ろくに政にも口を出せずに管領どもに操られている情けない公方と思うか?」


「い、いいえ!」

 思わず声を出してしまってから、颯子ははっと口を抑えた。



 ――まずい! ばれた!?



「そなた――」

 公方様が――昭光が切れ長の目を見開く。


「あ、あの、わたくしは――」


「声が、出たのか?」


「え?」


 颯子は呆気にとられた。

 これも呆気にとられた様子で、昭光がずいっと膝を進め、大きな両手で颯子の肩をつかんできた。


「そなた、よもやずっと本当は声が出せていたのか? ならばなぜ喋れぬふりをした? 何を企んでいる?」

「いえその、何も企んでなど」

 颯子は慌てて言い募った。


 有難いことに、どうやら女だとはばれていないらしい。

「その、十六にもなってこのような女子のような声では、いろいろと面倒がございますゆえ……」


 苦し紛れの言い訳を口にするなり、昭光がはっとしたように目を見開き、だいぶ慌てた様子で颯子の肩から手を離した。


「そ、そうか。それはすまん。ああ、儂は稚児は愛でんぞ? 案ずるな。何もせぬ。な、怯えなくていいぞ?」

「いえ、その、わたくし怯えてなど」

「強がるな。顔が蒼褪めておる」

 昭光が妙にしみじみとした口調で言い、下座に控える猫夜叉丸を見やって命じた。

「猫、真盾を門まで送ってやれ。お前ならこれも怯えぬだろう」

 そう言って微笑する昭光の顔を見上げたとき、颯子は自分の心拍が怖ろしい勢いで高まっていくのを感じた。

 頬が熱くて息が苦しい。

 公方様が笑うだけで涙ぐみたいほど幸せな気持ちが湧き上がってくる。



 ――ああ、これが恋か。



 颯子ははっきり悟った。

 そう悟るなり泣き叫びたくなった。


 始まったそのときから、この恋は終わっている。

 公方様が恋しているのは桜児さまだ。

 桜児さまが死ぬまで真盾を恋い慕おうと、公方様だってきっと死ぬまであの方を恋し続けるのだ。



 ――私、初めから何のかかわりもないよ……



 そう思うなり涙が滲んできた。


「え、おい真盾?」

 昭光が焦りに焦った声を出す。「どうした、なぜ泣く? 儂が怖ろしいのか?」

「いいえ、いいえ、公方様は怖ろしくなどありません!」

 毒を食らえば皿までといった心地で颯子は言い募った。

「ただ――ただ、哀しいのです。実らない恋が哀しいのです」

「そなた――儂のために泣いてくれるのか?」

 昭光が呆気にとられたように言う。


 颯子は自分の言葉が誤解されたことに気付いた。



 ――ああ、でもこの恋心を正直に伝えたって仕方ない。私はせめて公方様の恋の応援をしよう。私はこの方が好きなんだから、この方にはお幸せになってもらわなくちゃいけない。



「ええ公方様、わたくしは幾度でも文使いをいたします。桜児さまのお心が変わるまで、何度でも文使いをいたします」



 ――それで私の心が破れたって、あなたがお幸せになるなら安い代償です。



 心の中でだけそう付け加えながら告げると、昭光はきょとんとし、そのあとで声を立てて笑った。

「山鶉の真盾よ、感謝するぞ。――頭を撫でてもいいか?」

「……公方様でしたら、もちろん構いません」

 本心から告げると、昭光は渋面を浮かべて、大きな掌で颯子の頭を軽く叩いた。

「真盾、そなたのような美童が軽々しくそのような言葉を口にするな。幸い儂に稚児趣味はないが――そんなことを告げたら男はつけあがるであろう?」

 公方様でしたら、つけあがってくださってかまいませんよ?

 颯子は心中でだけそう答えた。

 そのとき、

「若君、そろそろ参りますぞ?」

 背後から猫夜叉丸が声をかけてきた。

心なしか不機嫌な声音だった。



                ◆



 颯子を送って戻った後で、猫夜叉丸はしばらく躊躇ってから呼んだ。

「のう公方様―-」

「何じゃ?」

「憚りながら、あの若君に文使いをさせるのはこれきりにしたほうが良いと思うぞ?」

美貌の猿楽者が物思わしげに言う。

昭光は揶揄い笑いを受浮かべた。

「なんじゃ猫、悋気か?」

「ああ、それもある」と、猫夜叉丸は不機嫌さを隠さずに応じた。「しかし悋気だけではない。――あの若君、奥に独りだけで呼ばれ、出てきたときには六条大納言の姫君の移り香を帯びていた」

「……移り香?」

 昭光は目を見開いた。

「あの稚児が姫と何をするというのだ?」

「稚児、稚児と仰せだが、あの若君は十六だと聞くぞ? 桜児姫とはいくつも違わぬ。並べれば似合いの二人かもしれぬ」

「戯け。あれがそのようなことをするものか。下がれ猫。不快じゃ。しばらく顔を見せるな」

 昭光は叩きつけるように命じた。

 猫夜叉丸は一瞬哀しげな表情を浮かべたが、すぐに静かな無表情に戻って頷いた。

「仰せのままに。―-忠告はいたしましたぞ?」



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