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第四章 まさかの一目惚れ?

 曲水池のある中庭に面した中門廊はふき晒しだった。

 板の間にずらっと狩衣姿の武士たちが坐って、同じ数だけの従者が廊の下の地べたに控えている。梅若丸は何も聞かずにそちらの列に加わった。頼りになる牛飼童だ。


 颯子は注目の的だ。

 誰もが何も言わず、ただ一様に、「ほう」とか「はああ」とか息を漏らしながらじっと視線を向けてくる。実になんとも居心地が悪い。颯子は気を紛らわすために、目の前に広がる中庭の池に蓮根を植えたらどれだけの収穫があがるかを妄想することにした。



 ――うちの池より広いみたいだから結構穫れるだろうなあ。蓮根が高く売れたら新しい小袖を誂えられるかもしれない……



 新しい小袖を誂えて上葱神社の流鏑馬か何かを見物にいったら、どこぞの若様が見初めてくれて、密かに通ってくるかもしれない。



 --ああ、いいなあ。夫が一人来てくれれば、ずいぶんいろいろ楽になるだろうなあ。



 理想を言えば昔語りの蛍源氏や蟻中将みたいな見目麗しい貴公子が良いが、よく働く真面目な人だったらこの際顔はどうでもいい。若い男手が増えれば北の対に繁茂している青竹を多少はどうにかできるかもしれないし、母屋の廊の雨漏りも修繕できるかもしれない――と、芳紀十六のお姫さまにしては所帯じみた妄想に耽っているとき、ようやくに案内の老爺が現れた。

 待機者一同がぞろぞろと連なってどこかへ移動してゆく。

 颯子も粛々と倣った。


 何やら長い廊を歩いて一度右手へ折れ、大きそうな建物の中を抜ける。

 するとその先にまた池があった。対岸に屋根付きの舞台が設けられて、三方に板づくりの桟敷が拵えられている。



 ――うわあ!



 颯子はうっかり声を出しそうになった。

 こんなものがお屋敷の中にあるなんて、さすがは花の御所だ。これから始まる演目もきっと面白いに違いない。

 わくわくしながら池の端をめぐって、舞台の左側の桟敷へと通される。

 そこから見ると左手にあたる正面の桟敷は紫の幔幕に取り巻かれていた。

 真ん中に一対の薄縁が敷かれて、一方の周りには几帳が立てられている。



 ――きっとあそこが公方様のお席だ。お隣は北の方かな?



 興味深く眺めていたとき、ふいに左右の武士たちがざっとばかりに頭を低めた。



 ――え、何なになに?



 慌てながらも倣った瞬間、


「公方様のおなーり―!」


 正面の桟敷のほうから朗々たる声が響いた。



 --うわあ、うわあ、うわあ。本物の公方様かあ。



 ひれ伏しながら颯子はどきどきした。今の京で最も権力(ちから)ある征東大将軍を間近に見る機会など滅多にない。

 珍獣を前にしたどきどきを抱えながらひれ伏していると、


「みな面をあげい」


 なんとなくやる気のなさそうな若い男の声が命じた。

 目の前の出来事を心底なんとも思っていなそうなダルっとした若者の声だ。



 ――え、これが公方様のお声……?


 意外の念に打たれながら顔を上げると、正面の桟敷に鮮やかな紅葉色の狩衣をまとった若い貴公子がやる気なさそうに趺坐(あぐら)をかいているのが見えた。



 --うわああ……



 颯子は絶句した。

 


 美形だ。

 そうとしか形容しようがない。



 年頃は二十歳くらいだろうか、やや浅黒い面長の顔と細く通った鼻梁、目元の鋭い怜悧な造作は、色白で柔和な都風の美男とは全くかけ離れているのに、なぜかものすごく美しく見える。颯子の心拍数はどきどきと上がりっぱなしだ。



 ――あれが公方様かあ。



 その大層な美男の公方様は、あからさまに不機嫌そうな様子で脇息に肘を立て、掌に頬をあずけて、つまらなそうに、退屈そうに、ときどきクワッと欠伸をしながら舞台を眺めていた。お隣の几帳の陰に誰かが坐っている気配はない。



 --北の方は後からいらっしゃるのかなあ?



 あの美男の公方様のお隣に並ぶのはどんなお方なのだろうか?  

 興味津々と眺めていても、そちらの席に誰かが来る様子は見られなかった。


 やがてピィイ――っと鳶の長鳴きのような横笛の音が響き、小鼓の音とともに、金襴緞子の華やかな装束を身にまとった役者が現れた。面をつけずに現れた役者を見るなり、颯子は目を疑った。



 ――ええ、女猿楽?



 女猿楽は市井では結構流行っているが、あまり格式が高いものとは見なされていない。御所で催される猿楽だったら演じ手は当然みな男だと思っていたが……目の前の盾烏帽子をかぶった役者はまるで男装の美女のようだ。

 そのうちに歌が始まった。

 役者が舞を始める。

 公方様は相変わらずダルっとした様子で、心の底からつまらなそうに手の甲に頬を預けている。

 颯子はしばらくそのさまに気を取られていたが、初めの舞が終わって語り付きの芝居が始まるなり舞台に引き込まれた。


 羽衣を奪われた天女と人の男のあいだの悲恋物語が終わるとしばらく静かになった。館のほうから茶と干し柿が運ばれてきて、桟敷の観客全員に振る舞われる。

 ねっとりと甘い干し柿は舌が蕩けるほど美味しかった。これを食べられただけでも来た甲斐があるというものだ。

柔らかい果肉を細くちぎって、ほんの少しずつ丁寧に味わっていたとき、不意に背の後ろから水音が立った。

「な、なんじゃ?」

 桟敷の観客たちが腰を浮かせて振り返る。 

 颯子もそれに倣った。

 見れば、後ろの池から、数羽の水鳥が一斉に空へと飛び立ったところだった。



 ――なんだ、鳥かあ。



 ほっとして視線を戻したとき、颯子はぎょっとした。

 公方様がまっすぐに坐っている。


 そしてまっすぐにこちらを――颯子のほうを凝視しているではないか!



 ――えええええ!



 颯子は愕いた。



 まさか――まさか一目惚れ?



 そこまで考えてしまってからハッとする。



 ――まずい。私いま真盾なんだ……



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