第十章 どっちに嫉妬しているの?
勇んで御所へと注進に走った看督長は、ちょうど門前にいた公方様御寵愛の美貌の猿楽役者に取次を頼んだ。あいだにいろいろ挟まると手柄が奪われかねない。ここはひとつ直訴と行きたいところだ。
「六条大納言家の姫君のことで検非違使から至急申し上げたいことある。そう申し上げてくれ!」
「分かった。すぐ取り次ごう」
先だって奥から追い出されてむしゃくしゃしていた猫夜叉丸は、今こそ失地回復とばかりに勇んで報せに向かった。
昭光は書院にいた。
狭い畳敷きの間にだらっと仰向けになって、腕を枕にぼんやりと天井を眺めていた。
「公方様、至急申し上げたいことが!」
「なんじゃ猫、そなたはしばらく顔を見せるなと申したはずだぞ?」
「しかし、火急の報せなのじゃ。門前に検非違使が参って、六条大納言家の姫君についてすぐさま申し上げたいことがと」
「なに、桜児姫について?」
昭光はがばりと立ち上がった。
「通せ。話を聞く」
看督長は市場へ引かれる子牛みたいにびくびくと書院にやってきた。
苔むした坪庭に平伏して、廊に昭光が現れるなり、
「はは――っ」
と、叫んで烏帽子を地面に打ち付ける。
昭光はいらいらしながら命じた。
「礼はよい。面をあげよ。姫に何があったのだ?」
「実は、わたくしども、このごろ東国からやってきたと思しき盗賊の巣窟を見張っておったのです」
「盗賊? 盗賊が桜児姫と何の関わりがある」
「その盗賊のなかに、どうも京の貴公子と思しき若君が混じっておりまして、その若君の文使いが、六条大納言のお邸に文を届けていたのでございます」
「--おぬし、わが姫の家が密かに盗賊を飼っていると、そう申したいのか?!」
昭光が修羅の形相で怒鳴る。
看督長は縮み上がった。
「め、滅相もありません! おそらくその盗賊若君が、もったいなくも恐れ多くもかのお家の姫君に懸想しているのでありましょう!」
「なに、儂の桜児に!?」
昭光は勝手に所有格をつけて怒った。
「どこのどいつじゃ、この手で成敗してくれる!」
してやったりと看督長はほくそえんだ。公方様おん自らの御成敗を助太刀するとなったら、今後の出世は確約されたも同然である。
「申せ検非違使、そのたわけた盗賊若君とやら、どこの家の誰なのじゃ? 大臣だろうと参議だろうと知ったことではない、この征東大将軍たる入鹿賀昭光、必ずやうちとって首級をあげてやろう……!」
「おお、さすが武家の棟梁でござりますなあ!」
看督長は如才なく持ち上げ、得心の笑みを浮かべて告げた。
「曲者の名はすでに知れております」
「だれじゃ」
「山鶉の若君でございます」
その瞬間――
昭光は全身の動きを止め、腕を振り上げたまま硬直してしまった。
「……公方様?」
「真盾……が?」
昭光がかすれた声で呟いた。
「信じぬぞ。儂は信じぬ。あの真盾が盗賊と一味同心したうえ、わが姫と密かに通じておったなとと。――猫!」
「なんじゃ公方様」
「いますぐ真盾を呼べ! あれの口から釈明させる!」
御所からの使いはすぐさま山鶉家の邸へと走った。
取次を命じられた青侍の帯刀が大慌てて母屋へ走る。
「殿――! 殿――! 御所からお使者が参りました――! すぐに若さんを寄越せって仰せで――!」
ちょうどそのとき、母屋では、打ちひしがれながら帰宅してしばらく寝込んでいた颯子が、さめざめと涙にくれながら、父母に御所での成り行きを説明しているところだった。
青侍の呼び声を耳にするなり、三名は凍り付いた。
「――なあ殿」
「なんだね北の方」
「今の姫さんの話では、若さんは六条大納言の姫君を妻問うために、本気で南朝さまの綸旨を東国へ届けようとしていると、そういうことになるのだよな?」
「ああ。どうもそういうことになるらしいな。あの若さんがそんな賢しいことをするとは、この公照、父ながら些か信じがたいのだが」
「母ながらわらわも信じがたいわ。しかし、長谷雄もついているからの」
「そうじゃな。長谷雄もついているし」
山鶉家の一同は嫡男の乳兄弟に絶大の信頼を寄せている。
「となると、今あらためて御所から召し出しがあるというのは――?」
三人は顔を見合わせた。
全員が蒼褪めている。
「姫や――」
「お母さま。分かっております」
颯子は覚悟を決めた。
「わたくしがまた参ります」
一目ぼれした半日後に失恋した相手の顔を見るのはまだちょっと辛いが、背に腹は代えられない。山鶉家には七人ぽっきりだが家人だっているのだ。お家が取り潰されたら絶対に引き取り手のなさそうな帯刀が露頭に迷ってしまう。
――真盾はどうせ失敗するに決まっている。逃げ帰ってきたら匿えばいいんだ。今は誤魔化さなくちゃ。