第一章 池はクワイのためにある
室町時代風の架空の世界を舞台にした軽めの恋愛ものです
――真盾の馬鹿、何で出て行っちゃったのかなぁ――
刺し子刺繍で補強したお手製の手甲を嵌めた手で、泥に埋もれたクワイの茎をせっせと引き抜きながら、颯子は久々にらちもないことを思った。
「幸福を探しにいきます。捜さないでください」
そんな旨のふざけた置き手紙を残して双子の兄の真盾が失踪してからもう半年にもなる。
父は今も行方を捜させているようだが、手がかりはまるでつかめないらしい。唯一の希望はしっかりものの乳兄弟の長谷雄も同時期にいなくなっていることだ。
真盾ひとりでは三日で野垂れ死にそうだが、もしも長谷雄が一緒なら、たぶんどこかで生き延びてだけはいるはずだ。
――私が前日にまた恋文の代筆をしたのと何か関係ある? 思うお方に袖にされて身をはかなんで羽栄川に身投げ? ないないない、絶対ない。真盾に限って絶対ない。
颯子が双子の兄の恋文を初めて代筆したのは十三の春だ。それから三年間、代筆は何度頼まれたかしれない。一度として同じ相手ではなかったところを見ると、ただの一度もまともに相手をされたことはなかったのだろう。
だから、たぶん色恋関係ではない。
真盾は見た目はそりゃいいのだ。
すらっと細身の色白で、目はくりくりと愛らしく、つやつや豊かな黒髪を稚児髷に結って桜色の水干を来たときなんか、「何と愛くるしい花の精じゃ!」と側仕えを進めてくる中年公卿がぞろぞろ湧いたらしい。
ちなみに双子の颯子もほぼ同じ容姿をしているのだが、こっちはそんなに絶世の美少女とまでは思われていない。
真盾は男児だからかわいさに希少価値があったのだ。
そんなかわいい真盾だが、気の毒なことに女性には全くもてなかった。
本人の性格も悪いのだ。
美少年好みの姫君は当然優美繊細な桜の精さまを期待するのに、あの兄ときたら中身は十一歳の悪童から殆ど成長していない。十五にもなって妹の一張羅の小袖にあまがえるを仕込むような馬鹿なのだ。だから、断じて恋に破れて世を儚んで失踪なんて、そんな一人前の貴公子みたいな動機であるはずがない。
――それにしたってもうそろそろ帰ってきてくれたっていいのに! 今年は池の芦刈もクワイ植えもクワイの収穫も、結局私と七瀬の二人だけでやる羽目になっちゃったじゃない。
泥池からクワイを引き抜く手を止めないまま、颯子は横目でちらっと右隣の七瀬を見やった。
七瀬は長谷雄の妹で、颯子たち双子とは同い年の乳兄弟だ。
ふっくら優しい下ぶくれの丸顔で、目は糸みたいに細く、常に何事にも動じない穏やかな雌牛みたいな性格をしている。
七瀬は黒髪を枯れ葦で束ね、生成り色の小袖の裾を帯に挟んでたくし上げ、むき出しの脛の半ばまで冷たい泥池に浸って、泥まみれのクワイを引き抜いては背負子の籠に放りこんでいる。
さっきからずっと同じ作業をしている颯子の服装も似たり寄ったりだ。
違うのは髪を束ねているのが色あせた緋色の組紐であることと、手甲の刺し子に赤糸が使ってあることだけだ。
小春日和とはいえ肌寒い霜月の泥池で収穫に励む颯子の姿は淡海西岸あたりのちょっと富裕な農家の働き者の娘さんそのものだが、この場所は淡海ではなく、花の京の右京三条通に面する寝殿造りの邸宅の、母屋の南の曲水池である。
そして颯子は働き者の農家の娘さんではなく、雅楽を家の業として代々従五位上雅楽頭に任じられてきた由緒正しいお公家さまたる山鶉家のお姫さまである。
由緒正しいお公家の御姫さまが、なんでまた自邸の曲水池で乳兄弟と一緒にクワイの収穫に励んでいるのか?
そこに特別な理由はない。
意地悪な継母に虐げられているのでもなければ、美少年の真盾に比べると相対的に不器量だから政略結婚はできまいてとお父さまに絶望されているわけでもない。なんか家系に特有の特殊能力に欠けるからお姫さまなのに幽閉されて虐待されているんだけど、ほんとは力にあふれていて黒呪術に長けた異母妹に不当に奪われているとか、そういうドラマチックな設定でも全くない。(ちなみにこの世界に特殊能力系はない)
少なくともここ八十年来、山鶉家の若さま姫さま乳兄弟は霜月になると曲水池でクワイを収穫してきた。場合によってはレンコンなんかを栽培していた時期もある。だから、颯子もクワイの収穫自体には何の不満も抱かずに淡々と作業に励んでいる。
不満なのは今年に限って真盾も長谷雄もいないことだけだ。
――ほんとにあの馬鹿兄、どこ行っちゃったのかなあ?
颯子が今年何度目になるのか分からないため息をついたとき、母屋の廊のほうから家令の呼ばわる声がした。
「姫さまぁ――殿と北の方がお呼びですよ――!」
「は――い今行きま―――す! ちょっと厨へ寄ってからね――!」
「どうぞお急ぎあれ――――!」
一辺半町の寝殿造りはとにかく無駄に広い。
上は家令から下は厨の雑仕女まで、家中に仕える召人がぽっきり七人しかいない山鶉家に、言づて専門のお小姓だの女童だのを遊ばせておく余裕はない。伝達はいつもこうして船乗り同士の呼び合いみたいな大声で行われるのだった。
これも八十年来の慣習だから、颯子はおろかその場の誰も疑問には思っていない。