3 共同生活
6時45分。
風呂から出てきたキョンシーが鏡を見ずにドライヤーで髪を乾かす。ハーフアップのお団子はストレートにおろされていて、こっちも良く似合っていた。
着ていた服や下着は洗濯機の中。札は額に貼りついたまま、今は俺のパーカーと短パン姿。地味な服なのにコイツが着るとオシャレに見えてなんかムカつく。
あとこれって俗に言う彼シャツだろうか。彼氏の服着ちゃったみたいな奴だろうか。くそ、コイツは俺がいつか出来る(予定)彼女にしたい初めてをどんどん奪っていきやがる。
「なにこのドライヤー。ボッロ。お風呂も狭いしマジ最悪きょん」
「悪かったな。貸してやってるんだから文句言うな」
「よくこんな生活できるね。ゴブリンみたいきょん」
「お前だってさっきまで……いや、何でもない。今はめっちゃ良い匂いするもんな」
安物なのになんだこの清涼感は。草原で白いワンピースの女の子が笑っているような匂いがする。髪もすげぇサラサラしてんなおい……って、ペースを乱されるなよ俺。
「ごほんっ、俺噛まれたんだけど死なないよね? キョンシーにもならないよな?」
「その辺の低級キョンシーと一緒にしないで。ワタシぐらいのレベルになるとそれぐらい制御できるから。ただ生き血を吸って体力を回復させただけきょん」
「吸血鬼みたいに食事も血液なのか?」
「基本的には人間の食事で十分。お前の血はあんまり美味しくないからいらないきょん」
「悪かったな。でもまあ、お前が死ななくて良かったよ」
「きょん?」
キョンシーは首を傾げる。だからお前それ反則だって。
「未練があるんだろ? お前のことは好きじゃないけど幸せに成仏して欲しいとは思ってるからな。俺も出来ることなら手伝ってやるよ。どうせ暇だし」
「きょっ……!」
「どうした。のぼせたのか?」
「は? とっとと死んでよ。今すぐ死ね。それが一番ワタシのためになるきょん」
「お前ほんと口悪いな。可愛くきょんきょん言ってれば何言ってもいいわけじゃないんだぞ?」
まあいいか。独りが辛いだろうことは想像できる。ましてや俺の常識が通じないだろう世界の住人だ。不満をぶつけられるうちはまだ大丈夫だと思うし、少しくらい目を瞑ってやろう。
それはさておきだ。
「……思ったんだけど語尾を『にゃん』に変えてみろ。きょんきょんうるせえんだよ」
これだけは譲れない。ゲシュタルト崩壊が起きそうだ。
どうせ何か付けるならにゃんにゃん言った方がいい。……別に俺の趣味とかではないがな。
「は? お前ほんと意味わかんない。マジキモいにゃんきょん」
一応、嫌がりながらも言う事を聞いてくれたが、なんだその語尾は。
「にゃんきょんってなんだよ! 『きょん』じゃなくて『にゃん』だ!」
「きょん!」
くそ、なんて力強い返事だ。確固たる信念を感じるぜ。
「……じゃあ語尾をのじゃにしろ。わかったか?」
「は? なんでお前に指図されなきゃならんのじゃきょん」
「絶対言いにくいよな? キャラ崩壊を恐れず『のじゃ』って言え!」
「きょ! ん!」
い! や! って言ってるのか? なんとなく通じるな。
「……わかったよ。ならきょんって言うのやめろ。普通に喋れるだろ?」
「最初から普通に喋ってるきょん」
「お前さては俺をおちょくってるだろ」
「そっちこそ変な言い掛かりしないでほしいきょん」
「はぁ……もういいよ。頭がおかしくなりそうだ」
「きょん」
なんだろ。付けない時もあるし気分なのか?
マジで俺なにやってんだろうな。朝帰りの頭にはキツイきょん……。
「ため息吐きたいのはこっち。こんなところに住むなんて御免だから。しかも四六時中お前の顔を見るなんてオークと同棲する方がまだマシきょん」
キョンシーは露骨に嫌そうな顔をする。……ん? ちょっと待て。
「お前は床で寝てよね。ワタシはベッドで寝るから。ちっ、この枕カバーとシーツも洗濯しないと臭いが移りそうきょん」
お前が俺のベッドで? え、何言ってんの?
「ワタシ真っ暗じゃないと寝れない派だからね。豆電球にしたらぶん殴るきょん」
「待て待て待て待て! なにお前、この家に住むの?」
朝食を作る契約だけのはずだろ? いくらコイツでも女の子と一つ屋根の下なんて俺には覚悟が出来てないぞ。そういうのは本物の愛を分かち合った者同士が──
「毎朝ご飯作れなんて、結婚しろって言ってるのと同じ。ほんっと最悪きょん」
「そんな月がきれいですね、みたいなノリなのか? 別に律儀に守らなくていいだろ。なんか公園とかで寝て朝になったらご飯作りに来いよ」
あれ、この会話だけ切り取ったら俺クズ過ぎないか?
「こっちだって守りたくないけど契約でそうなっちゃったの。それにお金無いし住む場所も無いきょん!」
契約なんてあってないようなもんだろ。じゃなきゃみんなホワイト企業だっつーの。あー、それにしても腹減ってきたな。コンビニでなんか買って来ればよかった。冷蔵庫になんか入ってたっけ? うわー、作るのめんどくせー。でも腹減ったー。
「きょん──!」
「おいどうした急に。お前犬よりよく鳴くんじゃないか?」
「うるさい、お前は座ってて。無性に朝ご飯を作ってあげたくなったきょん」
「は?」
キョンシーは立ち上がると冷蔵庫を開けた。
観察していると食パンを二枚トースターに入れたではないか。次に卵を二つ割って溶くと砂糖を入れ、フライパンに油を敷いてスイッチオン。熱が通るとじゅわっと卵を流してふんわりスクランブルエッグを作り、焼けたトーストの上にハムと一緒に乗せた。
「出来たきょん」
料理と呼べるか微妙なラインの手軽さ。でもこれは正真正銘、女の子が作ってくれた朝ご飯だ。キョンシーがちゃぶ台に運ぶと、俺は一つ手にとった。キョンシーも一緒に、
「はむっ」
食いついた。スーパーに売ってる食パンと卵とハム。それだけなのに、俺はなぜこんなにも胸がいっぱいなのだろうか。一人暮らしを始めて一年半。初めて誰かに用意してもらって一緒に食べた。俺はこの瞬間を渇望していたのかもしれない。
「美味い! マジで最高だぞキョンシー!」
「そ、そこまで? 別に普通だと思うけど。……まあ、悪い気はしないきょん」
キョンシーも小さく齧る。おでこから顎の下まで札が垂れてるから食べにくそうだ。
「ああ嬉しいよ! 今のは契約が実行されたってことなのか?」
「きょん。お前なんかのために作りたいわけないのに身体が勝手に動いたきょん」
俺が腹減ったって思ったからか? 料理下手って訳じゃなさそうだし他に手の凝った物も食べてみたい。なかなか悪くない生活だ。むしろ良い……って、なんで俺こんなウキウキなんだよ。好きでも何でもないはずなのに。
「不服だけど仕方ない。お前以外に当ては無いし屋根付きの部屋があるならご飯作って共同生活するぐらい我慢してあげる。ギブアンドテイクきょん」
キョンシーはそう言って手を差し出してきた。もっと駄々をこねると思ったのに意外だ。あれ、もしかして緊張してるの俺だけか?
「お、おうよろしくなキョン……そういえば名前何て言うんだ?」
「特に無い。好きに呼べばいいきょん」
「じゃあ……キョン子」
やばい、安直過ぎた。ド低能って罵られ──
「きょんっ!」
おいなんだその嬉しそうな顔は。お前そんな顔も出来るのか?
超気に入ってそうなんだけど。名前で呼ばれるの初めてなのかな。
「俺は倉部鈴斗だ」
「ふぅん、じゃあリンって呼ぶ。お前とか人間とかより短くていいきょん」
「そんなに面倒か? まあいいやそれで。よろしくキョン子」
「きょん!」
俺は白くて小さなキョン子の手を握る。コンクリートの壁を破壊したとは思えない柔らかさで、俺が初めて触れた異性の手。今はまだ、人間とキョンシーの共同生活を祝すただの握手。
だが思い返すと。俺たちの禁断の恋は、ここから始まったのかもしれない。