2 キョンシー、燃える
俺はどうやら大変なことをしでかしたらしい。
「お前はワタシの使役者になったきょん」
きょんきょん五月蠅いキョンシーはしょんぼりして言った。
嘘だよな? お前、俺のサーヴァントになって聖杯でも奪い合うのか?
「その札を貼った後に命令されたことには絶対逆らえないきょん」
「え、つまり毎朝俺にご飯作ってくれるってこと?」
「……最悪きょん。この札は目的を達成するまで剝がせないきょん」
キョンシーは自分で札をぐいぐい引っ張った。でも額にくっついたままで痛そうだ。俺も引っ張ってみると「きょ~ん」って可愛く鳴いた。
「お前を殺せば剥がせるけど、それだと毎朝ご飯を作る契約が果たせなくなるから殺せない。お願いだから今すぐ死んでくれきょん」
「嫌に決まってるだろ! 他に方法は無いのか? 命令の破棄とか」
「あるけど……今は無理。魔界にあるきょん」
「あ、そっか。帰り方も知らないんだよな。……じゃあ俺が手伝ってやる」
俺がやらかしたことだしこれぐらいはさせて欲しい。でもキョンシーは、
「……帰りたくないきょん」
また寂しそうな顔だ。小動物が怯えるような感じ。
「なんか俺に出来ることはないか? 俺のせいでもあるし願いがあれば叶えてやるぞ」
「じゃあ死ぬきょん」
「却下だ! それ以外で」
この野郎即答しやがった。でも、ちょっと震えが止まったかも。
「ちっ。なら成仏するの手伝って。それが一番の目的きょん」
「成仏? 死にたいってことか?」
「勘違いしないでド低能。ワタシたちにとっては成仏することが一番の幸せきょん」
「まあ未練が無いって事だもんな。確かに俺も成仏したいかも」
「ならとっとと死ぬきょん。ワタシはお前のエサを作ってる暇なんてないの。ほら、今すぐ死ね。どうせお前が生きてても意味ないきょん」
そこまで言わなくてもいいだろ。泣くぞ?
「お、俺だってしたいことくらいあるわ」
「はっ、どうせ彼女が欲しいとかヤリたいとかでしょ。オスは馬鹿で羨ましいきょん」
「なっ……!」
「図星ね。さっきからワタシの胸見過ぎだし。バレバレきょん」
「~~~~~~~!」
正直見てましたよ。ああ、ガン見してましたとも。
「お前ってド低能なうえに童貞脳なのね。あはは、面白いきょん」
「くそおおおおお! 馬鹿にしやがって! 俺をその辺の下半身で生きてる男と一緒にするな。お前なんてこれっぽっちも好きじゃねえわ。このおっぱいキョンシー!」
「ワタシだって大っ嫌いきょん。この妖怪ドーテーノォ!」
糞生意気で失礼なこの女は、俺を新種の妖怪扱いして嘲笑する。
ちくしょう。一人で立ち上がれないくせに偉そうに。
なんとか俺もコイツにカウンターを……ってあれ?
「お前、燃えてね?」
「きょん?」
なんだ、そのきょとんて首傾げるの可愛いな。お前わざとやってるだろ。
じゃなくて、燃えてる燃えてる! 背中から火出てるぞ!
「熱い! 熱いきょん! きょおおおおおん!」
「バカ何やってんだ。このっ!」
俺はジャケットを脱ぐと風を送って鎮火してやる。キョンシーは慌てふためき、
「た、太陽昇って来てるきょん! 日陰! 日陰!」
「ああそうか。燃えちまうのか。ならこれ被ってろ」
ジャケットを頭に乗せて光を遮る。コイツの帽子は飾りみたいなもんだから防御力ゼロ。
「とりあえずウチ来い。まだ聞きたいことも山ほどあるしな。命の方が欲しいだろ?」
「きょん!」
汎用性高いなそれ。俺も今度から使おうかな。俺は駅に向かうため走り出す──
「おいお前ふざけてるのか? 走れって」
手を前に伸ばしてピョンピョン跳んでやがる。おもしれー女。
「死にたくないきょん! 助けてきょん!」
「しょうがないな。暴れるなよ?」
キョンシーをお姫様抱っこして担ぐ。ジャケットで隠すと死人を運んでるように見えるな。あ、キョンシーだから一回死んでるのか? それにしても軽いなコイツ。
電車に乗ると、車内は始発帰りの仮装した若者がちらほらいた。一見紛れているように見えるが、キョンシーは座ってる時も水平に手足を伸ばすため、筋トレしてるみたいで浮いていた。
午前6時15分。帰宅。
「うわっ、狭すぎ。片付いてるけどボロいきょん」
「そうか? 一人暮らしなら八畳で十分だろ」
俺の家は家賃四万の1K。くしゃみをすれば隣の音が聞こえるほど壁が薄いが、入居者がほとんどいないから関係ない。物欲などもないため住めればいいと俺は考える。
「廃れた顔のお前にはお似合い。ああ、やっと自由に動けるきょん!」
キョンシーは膝を曲げて屈伸を始めた。こんな嬉しそうに屈伸する奴は初めてだ。
「太陽に当たらなければ動けるのか?」
「きょん。札にも太陽と同じ効果があって、貼ると関節が曲がらなくなるきょん」
今はカーテンと雨戸も閉め切っている。直射日光を浴びると発火するが、家の中や日陰にいても太陽を感じれば手足の関節が曲がらなくなるらしい。首と腰は動くようだ。
「もう一枚の方か。あれは俺でも剥がせたぞ?」
「あれは高度な術式が組まれてない。魔力ゼロのゴミ人間でも無力化できるきょん」
「へー、そうか……えいっ」
「きょん──っ⁉」
拾っておいた札を試しに貼ってみると、キョンシーはまた尻もちをつき、ピンと張った手足をバタバタさせた。剥がしてあげると自分の力で起き上がった。
「何するきょん!」
「あ、ほんとだ。お前面白いな」
「酷いきょん! ほんと鬼畜きょん! お前絶対彼女できないきょん!」
「悪かったって。でも関節が曲がらなくなるだけなんだな。映画とかゲームでは完全に動きが停止するみたいだけど、お前はぶんぶん振り回すもんな」
面白いけどコンクリートを破壊する威力だから怖い。家を壊されないように気をつけよう。
「ワタシをその辺の低級キョンシーと一緒にしないで。上級をも凌ぐ冥級キョンシーのワタシだからこの程度で済んでるきょん」
「へー、そういえばキョンシーなのに視力もあるんだな。それに顔色も良いし正直肌は白くて綺麗だ。ぱっと見は美少女にしか見えない」
「当然きょん。キョンシーだけど人間以上の美貌きょんっ」
どんなもんだと胸を張るキョンシー。確かにおっぱいお化けだ。
「でもお前めっちゃ臭うぞ?」
「きょんッ⁉」
「一応女の子だから言いにくかったんだけど、腐敗臭が凄い。シャワー浴びてきた方がいいぞ」
「匂うじゃなくて⁉ 女の子に言うセリフじゃないきょん!」
「いや、マジだから。電車でも俺が臭いみたいに思われて居心地悪かったぞ」
「~~~~~~~⁉」
きょんきょん言いながら、慌てて自分の身体をくんくんするキョンシー。
「うげぇっ」と引きつった顔をすると耳まで真っ赤にし、
「ま、魔界ならこれが普通だから! ていうかデリカシー無さすぎ! お前ほんとゴミクズきょん! 生ゴミきょん!」
「ゴミみたいな臭いする奴に言われてもな。タオル貸してやるから行ってこい」
新品のタオルをビニールから破って投げ渡す。いつか彼女が出来た時に使ってもらう用で置いてた物なのだが、まだ当分先になりそうだしまあいいや。いくらコイツでも俺のタオルを渡してキモいとか言われたら傷つくしな。
俺は風呂場やトイレのあるキッチンと部屋を区切るカーテンを閉めて、キョンシーの着替えが見えないようにする。
「ぐむむぅぅぅぅ……ほんと大っ嫌いきょん」
カーテンの向こうでそう言いながら、服を脱ぐ音が聞こえてくる。
肌を擦る布の音。見た目は人間と同じだった。あいつの見てくれを思い出し、何も思わないと言えば嘘になる。いやしかし、あいつに変な気を抱くのは負けた気がするな。
「きょおおおおおおおおおん!」
俺がアホな事を考えていると、浴室から悲鳴が聞こえた。
「どうしたキョンシー!」
「きょおおおおおおおん! きょんきょん! きょきょきょきょきょきょん!」
「ちゃんと日本語で言え! くそ、なんかダメなものでもあったか⁉」
虫が出ただけならいいんだが──俺はスマホを開いて、キョンシーで検索。結構違う点も多いみたいだが何か手がかりがあるはずだ。えっと……あ、これだ! 風呂場の鏡!
「おいキョンシー! 入るぞ⁉」
「きょん!」
いいよって意味だよな? 後で「はい」と「いいえ」ぐらい教えておくか。カーテンを開けるとあいつの服が脱ぎ散らかされていた。それらには目もくれず、浴室のドアを開け放つ。
「大丈夫か⁉」
額から札を垂れ流し、黒いブラジャーとパンツだけのキョンシーが目を抑えて転がっていた。全裸になる前に浴槽にお湯を溜めようとしたらしい……って、コイツ生きてるか⁉
「きょ~~~~ん!」
「おいどうしたらい──んがっ⁉」
突然、キョンシーが俺の首筋に噛みついた。
そのまま押し倒されて、俺は抵抗できずに吸血を許してしまう。
「かぷっ……はむっ、あむ……んぅ……」
艶めかしい息づかいで貪るように歯を当てられる。舌で血を舐めとられる。
俺は血が抜けていくのを感じながら、キョンシーの横顔から目が離せなかった。
「いっ……たくはない? お、おい何するんだ。別に覗こうとしたわけじゃないって。お前が心配だっただけだから怒らないでくれ」
「ちゅっ……るる。くちゅぅ────っ。ぷはぁ!」
俺の生き血を吸ったキョンシーは、真っ赤に染まった口元を拭った。
「ハァ、ハァ、助かった……死ぬかと思った……ありがときょん」
「お、おう。素直に言われると変な気分だな」
やばい。ちょっとドキドキした。
「ワタシを殺す作戦かと思ったけどお前は頭よくなさそう。お風呂なら鏡があるって気づけなかったワタシが悪いから怒らないであげるきょん」
「あ、あざす」
「ん? どうしたの? きょどり方がキモいきょん」
だってしょうがないだろ! ブラ越しで胸押し付けられてるんだぞ? 谷間の深淵が目の前に広がってるんだぞ? それに顔もめっちゃ近いし……くそ、なんか悔しいな。
「えっと、どいていただけると嬉しいです」
「あ、もしかしてワタシに興奮してるきょん?」
「はっ⁉ な、なわけねーだろ! お前は恥ずかしくねえのかよ!」
「人間のガキに見られたところで特に。あは、さすがド低能の童貞脳。こんなので欲情するなんておこちゃまきょんっ」
「うるせえ早くどけ! そんでシャワー浴びろって」
「起きれないきょーん。キョンシーだから立てないきょーん」
ニヤリと笑って、曲がる腕をバタバタする。そのたびに服越しとはいえ俺の身体にキョンシーはの柔らかな肌という肌が擦り合わされる。
「ぐ……くそ、やっぱお前好きじゃないわ。この淫乱キョンシーめ」
俺は本当に人間みたいなキョンシーの肩を掴み、無理やり引き剥がして起き上がる。
コイツに目を瞑らせてから鏡を取り外すと、部屋に戻ってカーテンを閉めた。
やがてシャワーの音が聞こえてきて、俺は必死に妄想を打ち消した。