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18 覚悟

 翌朝。キョン子の関節は固まったままだった。

 先に起きたキョン子が俺に朝ご飯を作るため起き上がろうとしたが、立ち上がることが出来ずにギシギシベッドを鳴らし、その音で俺は目覚めた。


「おはよ、キョン子」

「立てないきょん。起こしてきょん!」


 ばたばた跳ねるキョン子。面白い。


「ご飯を作ってあげたいきょん」


 潤んだ瞳で見上げてくる。なんて可愛い生き物なんだ。


「……あれ? 俺の血吸ったらどうなるんだ?」

「あ! その手があったきょん!」


 ふと思いついたことで、昨日は考えが及ばなかった。

 以前、鏡を見て死にかけた時には体力が回復するという理由で吸われた。

 キョン子の上半身を起こしてあげて、長座体前屈みたいに座らせてあげる。


「じゃ、じゃあ……吸うか?」

「……きょん」


 人差し指をキョン子の口元に持って行くと、歯を立てた。

 一瞬、虫に食われたような小さな痛みが走る。でも次第に快感へと変わっていった。

 キョン子は一心不乱に俺の指をちゅーちゅー吸い取る。


「くちゅる……じゅ……ずず~……」


 赤く火照った顔で、恥ずかしさを隠しもせずに吸う。

 我慢できなくなったのか、俺の手首を引いて腕にまで噛みついた。


「ちょ、キョン子」

「美味しい、きょん。まだ、足りないきょん」


 くちゃくちゃと音を立てて俺の腕を唾液で濡らしていく。そこで俺は気づいた。もうとっくにキョン子の関節は曲がっている。でも俺は止めようとしない。キョン子も止まれない。


 言葉に出来ない愛情表現を、俺たちは気が済むまで続けた。


「あ、やばい……かも──」


 否。先に俺の体力の限界が来た。こういう言い方をすると卑猥だけど、ただの貧血だ。

 俺はキョン子に搾り取られて、意識を失いかけた。



「だ、大丈夫きょん?」

「おう。もう落ち着いてきた」


 完全復活したキョン子に水を貰い、俺も調子を取り戻してきた。

 キョン子が作ってくれた朝ご飯も食べて血色が良くなったと思う。


「ごめんなさい。でも、リンの血が美味しいのが悪いきょん」

「前にまずいって言ってたじゃないか」

「それは……多分好感度が上がったから。今日はすっごく甘かったきょん」

「そ、そうか」


 そういう仕組みだったのか。てことは今どれくらいなんだろう。というか、昨夜の辱めはなんだったんだ。血を吸わせておけばあんな気まずい雰囲気になることも無かった。


「リン、えっとね。あの……きょ~ん」


 キョン子は何か言いたそうに口をぱくぱくさせる。昨日見た水族館の魚がこんな感じだったなと思って、キョンシーの襲撃が夢ではなかったのだと改めて実感した。


「ゆっくりでいいよ。俺はキョン子を見放したりしない」

「でも危ない。死んじゃうかもしれないきょん。だから、アイツらに従ってワタシが──」

「そんなこと言うな」

「きょんっ⁉」


 俺は気づけばキョン子を抱きしめていた。

 もう我慢できなかった。こうすれば、キョン子の泣きそうな顔を見なくて済む。


「俺の側からいなくならないでくれ」

「……リン」

「キョン子は独りにさせない。だから、俺を独りにしないでくれ」


 ぎゅっと抱きしめて離さない。キョン子が肩に顔をうずめると、じわっと冷たいものが広がった。キョン子の肩を持って離すと、涙を拭ってあげる。キス……は、俺の理性が待ったをかけた。この先はまだダメだ。


 それはキョン子も分かっている。代わりに天気雨みたいに笑って。言葉に出来ない──してはいけないモヤモヤを、たった一言に込めて吐き出した。


「きょん!」


 その魔法のような短い返事がありったけの感情を伝えてくれる。俺も笑い返し、


「よし。じゃあ学校行ってくるからお留守番しててな」

「早く、帰ってきてきょん」

「ああ、行ってきます」

「行ってらっしゃいきょん」


 控えめに小さく手を振るキョン子。

 俺は名残惜しく、ドアが閉まるぎりぎりまで手を振った。



***



 昼休み。食堂にて。

 学校に着いてからはキョン子が十分おきに連絡をしてきた。メッセージで「きょん」って一言だけ送られてくるのだが、どんな感情で打ってるのかわからない。トーク画面はなかなかシュールだ。俺は自分のスマホにだけダウンロードしておいたキョン子のスタンプで「きょん!」と返しておく。カオスだ。帰ったらキョン子のタブレットにも適応しておこう。


 そんな「きょん」のみで行われるトーク画面にニヤニヤしていると、


「お待たせしました、鈴人くん」

「あ、咲耶さん。ごめん、呼び出して」


 昨日の襲撃について、サキュバスである咲耶さんにも共有しようと思い連絡した。咲耶さんは「構いませんよ」と言って隣でうどんを食べ始める。俺はラーメンだ。


 ちゅるちゅる一口啜ると、咲耶さんが切り出した。


「随分お楽しみみたいですね。キョン子ちゃんと進展あったんですか?」

「そっ、その言い方は誤解があるぞ。でも、ちょっと伝えておきたいことがあってさ」


 昨晩の羞恥プレイを思い出して、俺は鼻から麺が出そうになった。水を飲んで落ち着くと、キョン子が襲われたことを話す。咲耶さんは真剣な表情で、黙って最後まで聞いていた。


「……そんなことが。私も一応魔族なのでキョン子ちゃんの恐怖とか鈴人くんに対する罪悪感とか分かります。向こうでは強さが全てみたいなところがあるので価値観の違いと言えばそれまでですが、それでも無理やりなんてキョン子ちゃんが可哀想です」


 奴らの目的はキョン子を連れ戻すか、従わなければ殺すこと。

 居場所は突き止められたし、逃げ場はない。


「何か方法は無い? ……情けないけど、俺は何も知らないし出来ることも無い。だからこうして頼るしかないんだけど、それでもキョン子を助けたい」


 俺は咲耶さんの方を向いて頭を下げた。その頭を、咲耶さんがそっと手を添えて持ち上げる。


「覚悟はあるんですか?」

「死ぬのが怖いわけないけど、命なら賭けられる」


 俺の答えに、咲耶さんは薄く笑う。


「ああ、そっちもありましたか。そっちではなくて、もう一つの方ですよ」

「……」


 俺の沈黙に、咲耶さんは意地悪く笑った。


「厳しいことを言うと、正直あなた方が迷惑ですよ。だって平穏に暮らしているのにキョンシーたちが暴れに来るんですから。下手したら街が破壊されて無関係な人を巻き込んだり人間界が荒らされたりするかもしれません。キョン子ちゃんが大人しく言う事を聞けば、こっちで生活しているサキュバスも人間の皆様も迷惑しません」


 その覚悟が。全人類を敵に回す覚悟があるのかと咲耶さんは言う。


「……だよね。それでも俺は──」


 キョンシー軍はキョン子の持つ力を求めている。それに反抗するんだから、キョン子以外からしたら迷惑な話だ。それでも、俺は──


「うふふ。そんな怖い顔しないでください。あくまで、サキュバス代表としての一般論です。私個人としては、力になってあげたいですよ」


 咲耶さんが悪戯っぽく笑う。俺の反応を見て愉しんでるみたいだ。


「手段があるのか? 奴らを退ける何かが」


 アイツらは分身を送り込んでくるだけだから、殺しても殺してもまた襲ってくる。

 キョン子に殺しなんてさせたくないし、この世界を敵に回し続けることに俺は耐えられてもキョン子が耐えられないだろう。そこまでの覚悟を、キョン子に背負わせたくない。


「ありますよ。一番簡単な方法が。無血で、被害も全くのゼロで勝利できます」

「本当か! そんな方法があるならすぐ教えてくれ!」


 俺はすぐに食いついた。だが、そんな旨い話には当然大きな欠陥がある。


「私、言いましたよね。覚悟って」


 今日一番の真面目な表情。咲耶さんは、俺の頭の片隅にあった気づきたくない部分に触れてくる。無理やり掴んで、引っ張り出した。


「キョン子ちゃんを成仏させればいいんですよ」

「……ぇ?」

「分かってるくせに。未練を晴らしてキョン子ちゃんが幸せに逝けばキョンシーたちは諦めてくれるでしょう。だって、存在しないんですから。キョン子ちゃんが苦しむ必要も無くなりますし、人間界の皆さんもこれまで通りです。ね? みんなハッピーです」


 ああ、やっぱりこの人は悪魔なんだなって思った。だって、それって……。


「俺はもう、キョン子に会えなくなるってことでしょ」

「もちろん。あ、自分も死ねばキョン子ちゃんと同じところに行けるとか考えない方がいいですよ? 死と成仏は似て非なる概念ですから」

「それは、分かってるつもり」


 おそらく、それが最良の答えなんだろう。でも俺は。少なくとも俺にとっては、ハッピーエンドじゃない。好きな人と会えなくなるなんて、殺されるのと同じだ。


 そんなの悲しすぎる。禁断の恋とでもいうのか?

 そんなロマンティックで特別な恋愛なんて求めてねえよ。もっと普通に。ただ笑って過ごせるだけの日常が欲しい。なんで何も悪いことしてないのに苦しまないといけないんだ。


 不運なことに、俺はキョン子の気持ちにも気づいてしまった。

 そして、キョン子の未練も分かってしまった。

 キョン子は俺と同じだ。


 前に俺の夢を語った時に、キョン子は嬉しそうに笑ってたんだ。俺が馬鹿みたいに本気の恋がしたいって語ったのを、キョン子は馬鹿にしなかった。キョン子も俺と同じ。恋をすることに、飢えているんだ。そしてそれを叶えたら、俺たちは二度と会えなくなる。


「はは……」


 笑える。笑うしかねえよ。どうしろって言うんだ。俺はこんなにもキョン子のことが大好きなのに、幸せを感じれば感じる程別れが近づく。ふざけるなよ、運命。呪うぞ、神。


 俺には最愛の人を愛する資格すらないのか?


「あの、鈴人くん。大丈夫ですか? もっと、言い方を変えればよかったです」


 抜け殻みたいに死んだ顔の俺を、咲耶さんが心配そうに窺う。


「……あ、ごめん。咲耶さんを悪くなんて思ってないよ。むしろごめん。正直に言ってくれて嬉しかった。俺にはまだ覚悟が足りてなかったみたいだ」

「いえ、お役に立てなくてすみません。何でも相談は乗りますし、力にはなりたいと思ってます。ただ、考えられる方法はこれしか……」


 咲耶さんも意地悪で言ってるわけじゃない。

 これ以上咲耶さんに迷惑をかけるのも申し訳ないな。


「わかった、ありがとう。もう少し考えてみるよ」


 俺は精一杯の強がりをして、この話を切り上げた。

 この強がりがキョン子の前で通じるか。俺が取る決断は何が正解なのか。

 考えても分からず、俺は冷めて伸び始めた麺を静かに啜った。

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