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15 日常の影

 その日の夜。遅くまでやっている水族館に、キョン子を連れてやってきた。

 薄暗い幻想的な雰囲気の中、悠々と泳ぐ魚たち。

 客はほとんどおらず、俺とキョン子の二人を魚が歓迎してくれているようだった。


「見てリン! こっちも綺麗きょん!」

「あんまりはしゃぐなよ? わ、でも凄いな」


 小さな水槽を二人で覗くと肩が当たった。でもそんなの気にせず夢中で鑑賞した。

 クマノミ、クラゲ、エビ、カニなどを見ると目の前に大迫力の水槽が。


「サメきょん!」


 自分よりもずっと大きいサメの姿に興奮し、水槽に張り付くようにして見るキョン子。

 俺もやっぱりサメはテンション上がる。かっこいい。


「リン! 写真撮るきょん!」

「おう、待ってろ」


 自然にキョン子と密着して、自撮りモードでサメと一緒に写真を撮る。

 喜んでいるキョン子を見ると、楽しいなと俺も思った。


 今までも楽しいとは感じていたのに、今はそれに加えて恥ずかしさとか言葉に出来ないもどかしさを感じる。……まさかな、と思って魚に集中する。魚だけに。

 それからチンアナゴやタコを見て出口に着いた。


「イカがいなかったきょん!」

「なんかイカってあんまりいないらしいな。飼育が難しいとか寿命が短いとか」

「……残念きょん。でも楽しかったきょん!」

「だな。なんかお土産買ってくか」


 売店ではクッキーやチョコなどのお菓子や魚のストラップが売られている。

 そんな中、キョン子は目当ての物を指差して物欲しそうに俺を見てきた。


「買ってやるよ」

「やったあ! どれにしよっかなー……あ、このサメにするきょん!」


 一メートルぐらいあるサメのぬいぐるみ。よほど気に入ったのか、ぎゅぅぅっと抱きしめて頬をすりすりしている。そういえば俺もバーで抱き着かれた。あの時のキョン子は酔っていたし、俺も洗脳されている最中だったから無かったことみたいになってるな。


「……」

「リンも欲しいきょん?」

「し、して欲しいとか思ってねえよ! ほら、レジ持ってくぞ」

「きょん?」


 誤魔化す俺。サメのぬいぐるみ(値段は見なかったことにする)と色違いのイルカのストラップを買って、さっそくスマホに付けると水族館を出る。今日は満月で、一段と綺麗な夜空だった。キョン子はサメを抱きしめたままきょんきょん歩く。


「そだ、夜は何食べたい?」

「魚がいいきょん!」

「よくそのチョイスできるな。まあいいけど、スーパー寄って帰るか」

「きょん!」


 その横顔を見て、久しぶりにゆっくり過ごせて楽しかったなと思う。

 いつまで続くか分からないけど、もう少しこのままでいたい。

 ひと月前では退屈だった些細な日常も、色づくように特別になった。


 全部、キョン子のおかげだ。

 キョン子に会えて、俺は心からよかったと思う。

 だからキョン子の願いを叶えるまでは、キョン子と今を目一杯楽しみたい。

 キョン子のいない生活を想像して、俺はちょっぴり切なくなった。

 きっと夜のせいだろう。夜は違う姿を見せてくれる。

 明日が来なければいいのにって思って、でもすぐに明日はやってきて、やがて夜が来る。


 それが当たり前。変わらない特別な日常。

 俺はこんな日がいつまでも続くと思っていた──

 キョン子と出会う喜劇が突然だったように、悲劇もまた突然だということを失念していた。

 そいつらは、突然俺たちの前に現れた。


「……リン」


 ごとんと、キョン子が大事に抱えていたぬいぐるみを落とした。

 俺の腕にしがみつき、ぶるぶると震えを伝えてくる。

 初めて……いや、何度か見せた。こっちが泣きたくなるくらい寂しそうな顔。

 その宝石のような瞳が見据える先には、十体のキョンシー。


「久しぶりね。ようやく見つけたわ」


 夢を見ているようだが、十体のキョンシーは空間を捻じ曲げるようにして現れた。魔界と繋がるゲートみたいなものだろう。全員見た目は女の子だが、人間の俺にも一目でヤバい奴らだと察知できるほど禍々しいオーラを放っている。


「ぁ……ぁぅ……ぁぅぅぅ」


 言葉にならない声を漏らすキョン子。いつもの俺をからかってくる勢いなど見る影もない。


「えっと、どちら様で? 日本を征服しに来たとかか?」


 俺は内心ビビりながら、でもキョン子の不安を少しでも緩和しようと平静を装う。

 するとリーダーらしきキョンシーが答えた。


「人間には興味ないわ。安心なさい。ただそこの出来損ないを渡してくれればいいわ」

「キョン子が何かしたのか? 怖がってるじゃないか」

「才能ある者は才能を使う義務があるのよ。悔しいけど、その愚図は冥級キョンシーに選ばれた。だからその力を行使してもらわなければ困るのよ」


 そういやキョン子だけが進化したって言ってたな。でも、


「キョン子はそんな強くないぞ。争いも好まない優しい子だし、お前ら強いんなら勝手にやってろよ。キョン子を巻き込むな」


 キョン子はただ普通の生活を願っている。コイツらの世界のルールとか知ったことか。


「人間のくせに偉そうね。いいわ、それなら力づくで連れ戻すまでよ!」


 リーダー格のキョンシーが襲い掛かる。夜だから関節が曲がるらしい……って、分析してる場合じゃないな。完全な不意打ち。俺に出来ることは正直ないぞ。

 一瞬の出来事。敵のキョンシーは俺の懐に入り込み、俺にしがみつくキョン子を奪い去った。


「キョン子!」

「大人しく言うこと聞きなさい、このダメキョンシー」

「きょおおおん! きょんんんんんん!」


 必死に抵抗するも、キョン子は拘束魔法で身体を締め付けられ、苦しそうに悶える。


「相変わらずきょんきょん五月蠅いわね。ほら、これでどう!」


 ぐさり──とキョン子の腕にナイフが刺さった。赤い液体が指を伝い、ぼたぼたと地面を汚す。それを見て、俺はようやく現実離れした現実だということを認識した。


「ぎょおおおおおおおおおおおおん!」

「きゃははっ! アンタは虐め甲斐があって愉しいわねっ」


 周りのキョンシーもそれを見て哄笑する。俺の中で、何かがぶちりと切れた。


「ふざけんなよ! キョン子に何すんだ!」


 俺はキョン子を取り戻そうと、未知のバケモノに突貫する。

 キョンシー軍団は、俺がただの人間で油断してくれたんだろう。怒り狂いながらも頭は妙に冷静だった俺は、懐から札を取り出し、リーダーの額にバチンと叩きつける。


「ぐ──ッッッ⁉」


 一瞬で無力化され、キョン子のバインドも解けた。

 キョン子よりも効果は絶大のようで、手足も完全に動かせていない。


「キョン子、逃げるぞ!」

「きょ、きょん……」


 俺はキョン子をお姫様抱っこして回れ右。一メートルでも遠くに逃げようと、無我夢中で足を動かした。腕の中のキョン子が掠れた声で、


「ごめん、なさいきょん」

「ごめんはこっちだ。逃げ切れる自信ない」

「リン、ワタシを置いてくきょん」


 キョン子が俺の腕から逃れようともがく。いつかのように、俺が嫌で逃げようとしているわけではない。それが分かるからこそ、俺は絶対に離さない。


 俺は刈られる側。敵にとってはなんてことない無駄な抵抗だろう。

 それでも、俺は見捨てたくない。キョン子の涙なんて見たくない。

 痛みも死ぬかもしれないのも、今の俺にはどうでもいい。


 キョン子さえいれば、それでいい。

 キョン子になら、俺は命だって賭けられる。

 だって、俺はもうとっくに恋してるから。

 本物の愛を、キョン子に抱いているから。

 好きな女の子ぐらい、俺は手足が千切れようと守り抜きたい。

 ただの人間だけど。友達いないけど。

 本当に大事なお前ぐらい、俺に守らせ──


「リィィィィィィィィィィィィィィィィィィンッッッ!」


 ああ、なんだよキョン子。

 うるさいぞ。きょんきょん言ってわかんねえよ。

 ……くそ、いてえ。

 キョン子だってナイフで刺されたのに、なんで俺はこんな掠り傷で。

 ちょっと腹を刺されただけだろ? 立てよ、俺。守れよ、俺。


 ……キョン子が、こんなに泣いてるじゃないか────


 朦朧とする意識の中。キョン子の声が遠のいていく。

 俺は手にべっとりついた自分の赤黒い液体を見て悟った。

 痛みも寒さもいつの間にか無くなった。そして、すっと瞼が閉じた。

 瞬間、闇夜が緋色に煌めいた──

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