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11 狙われる鈴人

「ん」


 翌朝、俺の食卓に出されたご飯はバッタだった。

 バッタは秋の味覚とも言われたり言われなかったりし、一部地域では「バッタ会」という生きたバッタを捕まえて天ぷらにして食べる会も存在する。立派な食糧だ。


「ん」


 足とか触覚とかが飛び出てる天ぷら。それをキョン子が無言の圧で押し付けてくる。日が出る前に捕まえたのだろう。俺に嫌がらせをするためだけに汗を流したらしい。


 都会生まれ都会育ちの俺には抵抗があったが(そうじゃなくても抵抗ある人がほとんどだと思うが)、ここで食べないのは負けた気がする。だから俺は目と鼻を閉じて、思い切って食べてやった。かりっと天ぷらの触感。舌にはほろ苦い味が広がったが、意外と食べられる。


 五匹食べ終わるころには、ゲテモノ料理の耐性が備わった気がしてきた。


「きょ、きょん⁉」


 まさか食べるとは思わなかったのか、わなわな心配そうに見てくるキョン子。

 俺が箸で摘まんで「お前も食うよな?」と圧をかけると、キョン子も負けたくなかったのかぱくりと食べた。強がって見せるも、食べた物を想像してか「うげー」と苦い顔をした。

 翌日からはまた生卵だけに戻った。


 家の中ではほぼ会話無し。夜も一緒に出掛けるようなことはしない。

 キョン子はネット世界に入り浸り、最近始めた三人一組のシューティングゲームではかなり口汚く敵味方を罵っていた。食べたらすぐ寝るし掃除もしないしダメ人間ならぬ、ダメキョンシーになっている。……対する俺はというと、一人でバーに通っていた。


「あ、いらっしゃい鈴人くん。来てくれてありがとうございます」

「いえ、咲耶さんに会いたいなって思ったので」

「あら、冗談がお上手ですね。従妹ちゃんとは仲直り出来ましたか?」

「いいんですよアイツのことは。咲耶さんにも迷惑かけてごめんなさい」


 咲耶さんに嫌われたと思ったが、こうして毎晩飲みに来るぐらい仲は進展している。学校では以前にも増して近い距離。夢のようなキャンパスライフを送っている。


「私は気にしてませんよ。でも……あの子と本当はどういう関係なんです?」

「ただの従妹ですよ。本当にそれだけで、恋愛感情なんてないです」


 疑われてる? 嫉妬してくれてるならちょっと嬉しい。


「えっと、そういう意味ではなくてですね……まあ、いいです。忘れましょう」


 一瞬、気のせいくらいにシリアスな顔を作ると、咲耶さんはにっこり笑ってカクテルを作ってくれた。相変わらず胸元が大変魅力的だ。


「はい、どうぞ」

「わぁ、日に日に上達してますね。いただきます」

「うふふ、ありがとうございます。では、乾杯」


 店内の客はガラガラで、俺はカウンター席で咲耶さんと飲む。他愛もない話で盛り上がり、時折ボディタッチもされて、日付が変わるまで飲み続けた。


 朝までやっているバーだが、咲耶さんのシフトは日付が変わると同時に終わる。この日は咲耶さんが終わるまで待って、勇気を出して一緒に帰ることにした。


 ドクンドクンと鼓動が聞こえていないか不安になる。

 ちゃんとやれているか。かっこ悪くないか。

 そんな不安な手を、ぎゅっと咲耶さんの方から握ってくれた。

 柔らかくて、ひんやりしている。

 次第に熱が混ざり合って温もりに変わった。


 最低限の会話。無言の時間の方が多い。でも気まずさはない。

 咲耶さんを家まで送っていくことにする。家はまだ行ったことがない。

 もしかしてを期待しながら歩いていると、なんだか見慣れた景色になる。

 俺は決められたコースを歩くペットみたいに付いていき、目を疑った。


「あれ、ここが咲耶さんの家ですか?」

「そうですよ。最近引っ越してきたんです」

「え⁉ 俺んちの隣だったんですか⁉」


 俺の住むアパート。部屋番号が隣。そこが、咲耶さんの家だったらしい。


「そうだったんですね! 私もびっくりです」


 咲耶さんも知らなかったらしい。……ん? 俺の家の隣?

 ってことは……夜隣から聞こえるあの声は……?


「鈴人くん?」

「ひゃいっ!」


 身体の奥が疼くようだ。夜な夜なアダルトな声が聞こえてくる部屋の住人が咲耶さん? 男の声が聞こえてくることもあるし……何よりあれ咲耶さんの声? だとしたら……ごくり。


「鈴人くん、汗凄いですよ?」


 近い近い近い! まつ毛を数えられる距離に咲耶さんの御尊顔。次の瞬間──情報量の多さにパニックを起こす俺の首筋に、追い打ちをかけるように咲耶さんの唇が押し当てられた。


「んむっ……ちゅっ」


 初めての唇の感触。キョン子に吸血された時とはまた違う高揚感。脳の処理が追い付かず、頭が真っ白になった。ただただ、気持ちいい快感に身も心も支配された。


 顔を紅潮させた咲耶さんは食事を前にしたように唾液を拭い、


「鈴人くん、今度デートしませんか?」

「は、はい! 喜んで!」

「うふふ、楽しみにしてますよ」


 魅惑の投げキッス。手をヒラヒラ振って、隣の部屋に咲耶さんは消えた。


「っと、私としたことがいけませんね。もっと美味しく育つまで我慢ですっ」


 ドアが閉まる直前に何か聞こえた気がしたが、俺はしばらく戦慄して動けなかった。

 咲耶さんに他の男? キスされたことは嬉しかったが浮かれている場合ではない。


 他の男に取られたくない。

 独り占めしたい。

 俺だけのものにしたい。


 その思考に至ったことで、俺の気持ちは本物として確定した。

 俺は、恋してる。身が焦がれて、狂おしいほど咲耶さんのことが大好きになっていた。

 誘ってくれた初めてのデート。いつの間にか俺は咲耶さんを手に入れたいと願っていた。

 俺は家に入り、キョン子とギスギスしたまま離れて寝床に入る。

 そしてこの日も、隣からはあの声が聞こえてきた。

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