1 ボーイミーツキョンシー
俺──倉部鈴斗は早朝の渋谷にいた。
今日は十一月一日。昨日はここでハロウィンが行われていたのだが、遊ぶ友達のいない俺は一人でバーに行って飲んだくれて、その帰りだった。
まだ薄暗さの残る午前五時。ビルの間から差し込む眩しい陽光が、狂気を炙り出すように路上に散乱しているゴミの山を照らしていた。
始発に乗って帰るため、駅までの近道をする。細い路地を通るとネコとカラスが喧嘩してて、不気味だなーって思った。そして、野生のキョンシーを見つけた。
「……ん?」
昨日は飲み過ぎた。マスターがぐいぐい勧めてくるから財布が空になったんだ。
目を擦り屈伸をして再度見る。
「……なんだこの人。どうしてこんなところで寝てるんだ?」
やはりキョンシーだった。長座体前屈をするみたいに壁に背中を預けて足をピンと張っている。ああそうか。昨日はハロウィンだったもんな。仮装した人が寝てるだけか。
でも不思議な点もあった。こんな人気の少ない路地に女の子一人。お持ち帰りはされなかったのかな? とか思いつつ、俺は「おーい、もう朝だよ」と呼びかけてみた。
「ん……うぅ……」
するとピクリと眉が動いた。年は高校生くらいだろうか。
額に貼ってある黄色いお札から覗く整った顔立ち。月光を吸収したような銀髪をチャイナ風のお団子にまとめており、頭には小さな帽子をちょこんと乗せている。
「ふわ~ぁ」
可愛いあくだ。視線を落とすとその妖艶さに吸い込まれそうになった。ひと言で表すと物凄くエッチ。特にスカートから覗く太ももとか主張の激しい胸とか。きっと男を選び放題で、俺とは住む世界が違うんだろうな。
……っと、いけない。痴漢呼ばわりされたら大変だ。
起きたみたいだし紳士らしくスマートに退散しようかなと思ったその時、
「きょおおおおおおおおおん!」
「うわっ、びっくりした! なんだ急に」
突然キョンシーが奇声を上げた。まるで長年の封印から解かれたみたいだ。
「きょんきょん! きょんきょきょん!」
立ち上がれないのか、腰を浮かしては尻もちをついてしまうキョンシー。棒みたいに真っ直ぐな腕を必死にバタバタさせて、俺に何かを訴えようとしている。そういえばキョンシーは関節が曲がらないと聞いたことがあるが……かなり成り切ってるな。
「っと、もうハロウィンは終わったよ」
「きょおおおん! きょんきょん!」
ぶんぶん首を振ってくる。こちらの言葉は通じてるみたいだけど、俺はさっぱり。ていうかキョンシーってきょんきょん鳴くのか? 俺もそれっぽく喋ってみよう。
「きょんきょきょん。きょきょきょん!(俺はもう行くな。あとは一人で頑張って!)」
「さっさと起こせって言ってんでしょ! このド低能! 早くしろきょん!」
キョンシーは可愛い顔に似合わず、口汚く罵ってきた。
「お、おう。起き上がれないのかい?」
ちょっと引き気味の俺に、
「あ、やっと通じた。なるほど、こっちの世界ではこの言語を使うのね……ふむふむ。おい人間。さっさとワタシを起こすきょん」
うん、やべー奴だ。淫乱な格好で寝てたし危ない女に違いない。
「えっと、厨二病かな?」
「は? 何わけわかんないこと言ってんの。ムカつくきょん」
「ああ、はいはい。そういう設定なのね。でもな、もうハロウィンは終わったんだって」
「だからハロウィンって何。いい? ワタシはキョンシーの中でも選ばれし最強の存在なの。魔界から転移してこっちに来たってわけ。さっさと起こすきょん」
こいつは重症だ。俺も昔は手に鎖巻いてたなーと思いながら嘆息する。
「きょんきょん五月蠅い子だな。いくつ? いい年なんだから一人で起きなよ」
「ちっ、物わかりの悪いド低能きょん」
キョンシーは可愛い舌打ちをして──瞬間、轟音がした。俺は目を疑ったよ。だってこの女、棒みたいな腕をコンクリートの壁に叩きつけてヒビ入れたんだぜ?
「な、なな……」
「これでキョンシーってわかった? ワタシに逆らったらこうなるきょん」
「お前がゴリラ女だってことはよぉく伝わった。でもキョンシーとか言われてもな」
空想と現実の区別はついている。とはいえ一応スマホを開き、『キョンシー 特徴』で検索。結果、どうやらキョンシーは怪力らしい。まさかコイツ……本当に? いや、なわけないよな。
「……うぅぅ……手が痛いきょん。やり過ぎたきょん」
「アホなのか⁉ おいおい大丈夫かよ。病院行くか?」
「きょ~ん。ワタシは一人じゃ起きれないのに……しくしく、こんなにしたのに信じてもらえないし……ぐすっ……うええええん!」
「わ、わかった信じるよ! だから泣くな。ね?」
涙を拭いたくても、関節が曲がらないから出来ないらしい。
口は悪いけどだんだん可哀想になって来た。……あと顔は可愛い。
「ふっ、ちょろいきょん。この世界でもオスはメスの涙に弱いみたいね。次ワタシをイラつかせたらお前の血肉もぐしゃりだから。覚悟するきょん」
前言撤回。コイツ可愛くねえ。とくに性格が。
「早くするきょん。ド低能」
「ぐ……お前それ人に頼む態度か? まあ、後で呪われても怖いしな。起こすだけならいいよ。ここ人も通らないし、俺もそこまで鬼じゃない」
指の先まですっぽり隠れてもまだ余裕のある長い袖。それをぶんぶん振り回すキョンシーに、俺は引き起こしてやろうと手を伸ばす──
「汚い手で触るな変質者! 神聖なキョンシーの制服が汚れるきょん!」
「じゃあどうしろと! キミが起こせって言ったよね?」
「札を剥がして。これのせいで動きが封じられてるの。そんなことも知らないきょん?」
へー、なんかキョンシーっぽい。この子には少しばかり自分の立場を分からせた方が良さそうだが……俺は邪念を打ち消し、言われた通りお札を剥がしてあげた。
「ふぅ、最初からそうしてよね。これでワタシも自由に動けるきょ──」
「ん? どした?」
「まだ関節が曲がらないきょん……!」
腕を曲げようとしてるみたいだけど、やっぱりバタバタしてるだけ。立ち上がろうとしても尻もちをついてしまう。玩具みたいで面白い。
「ぷくっ」
「お、お前なに笑ってるきょん!」
「わ、笑ってないきょんよ……くふっ、大変そうだきょんね。ぷぷ、だめだ我慢できん」
「きょおおおおおおん! もう怒ったきょん! 絶対お前は許さないきょん!」
「あはは、どうやって俺の血肉を抉るんだ? え? やってみろよキョンシー」
「人間のくせにぃぃぃ! くぅぅ~~~、太陽が出てきたせいきょん! お前なんて本当はけちょんけキョッきょんッ!」
「ははっ、噛んでるじゃないか。きょんきょん大変きょんね」
「~~~~~~~!」
散々失礼なことを言ってきたから仕返しだ。
「ぐすんっ……」
「おっと、その手には乗らないぞ? どうせ俺をからかって──」
「酷いきょん。鬼畜きょん。なんっ、でみんな意地悪するきょん……」
その顔は、初対面の俺から見ても痛々しいものだった。本当に泣くのを我慢しようとすると、身体は不規則に揺れて口角が下がる。キョンシーでも悲しい時は泣くらしい。
この女の子は、誰かに助けを求めて泣いてるんだ。目から涙をこぼして、
「……起こして、ください。ごめんっ、なさい。お願いぐえっ、しますきょん」
「わ、わかったから泣くな! そんな悲しい顔するなって」
俺はポケットからハンカチを出してキョンシーの涙を拭ってやった。憎たらしいけどやっぱり可愛い顔をしてやがる。泣き止むと腕を掴んで、引っ張り起こしてあげた。
「ほら、立てるか?」
「……がと、きょん」
「気にするな。俺も悪かったよ」
本当に魔界から来たのなら寂しい思いをしているはずだ。キョンシーは直立して、腕を前にだらんと伸ばす。するとピョンピョン飛び跳ねた。まるでキョンシーみたいに。
「待て待て、どこに行くんだ」
「お前の顔はもう見たくない。役目は終わったからもう行っていいきょん」
そう言って、キョンシーは曲がらない膝と肘を伸ばして少しずつ進む。
そんなの見せられて放っておけるわけないだろ。
「おい、帰り方は分かるのか?」
「関係ないきょん。話しかけるなきょん」
「いやでも、この世界のこととか知らないだろ? 他に頼れる人間はいるのか? 帰り道探すぐらい二人の方が早──」
「うるさいきょん!」
小さな怒声が早朝の路地に響く。反響して、寂しさが何倍にも増幅するみたいだ。
「誰にも頼らなくたって、ワタシ一人で──きょっ⁉」
キョンシーは叫ぶとバランスを崩した。
まったく、前見てないから躓くんだぞ?
いくらこの子が怪力で妖怪でも、俺は女の子に怪我を負わせたくない。だから咄嗟に身体が動き、倒れるキョンシーを抱きとめた。思ったよりずっと軽い。腕の中に収まったキョンシーが暴れ出す。
「離してきょん! 触るなきょん!」
「ちょ、大人しくしろって!」
「きょおおおおおおおおおおおおおん!」
ペンギンみたいにバタバタ腕を動かすキョンシー。
おい、その腕当たったら俺の身体複雑骨折とかしないよな?
「ああもう! ならこれでどうだ!」
俺は落ちていた札を拾う。忌々しい呪文が書いてあって不気味だ。力を抑える効果があるって言ってたし、これで少しは大人しくなるだろう。あれ、二つあるけどさっきの衝撃で落としたのか? まあいい、こっちの強力そうな札にしよう!
俺は喚くキョンシーのおでこに押し当てた。
「きょんッ──!」
刹那、バタバタ動かしていた腕がピタリと止まる。でもそれは別の意味だったらしく、この世の終わりみたいな顔で冷や汗を浮かべるキョンシーは慌てふためく。
「こ、この札はッ! な、何も喋らないでよ⁉ 喋ったら殺すきょん!」
「何言ってんだ? 暴れるなって」
「お願い! あとで何でも言うこと聞いてあげる! だから今すぐ札を剥がすきょん!」
何故か必死に懇願してくる。それが面白くて、俺はつい悪ノリした。
「じゃあ先に言っておくか。そうだなぁ……俺に毎朝ご飯を作ってくれ。その伸びきった手足で俺のために朝食を用意するんだ。果たしてお前に出来るかな?」
冗談だ。一人暮らしに不自由は無いし、作ってもらうなら好きな子が良い。
このキョンシーは見てくれは良いけど人間じゃないし生意気だ。好きになるわけない。
「~~~~~~~!」
「あれ、おいどうしたキョンシー。って待て。なんか札が光ったぞ?」
「バカ! アホ! ド低能! ほんっっっとうにやってくれたきょん! ワタシは何も喋るなって、あんなに真面目にお願いしたきょん!」
「いや、冗談だって。そんなことしなくていいよ」
あはは、と俺は笑う。コイツも一回嘘泣きで騙したしお相子だ。
お相子……だよね? え、なんでお前泣きそうなの?
「最悪きょん」
「なに? なんかヤバい事起きる? 狂暴化して俺を食ったり?」
「それならよかったきょん。でも、でも……きょ~ん」
犬じゃないんだから「くぅ~ん」みたいに言うなよな。
と、楽観的だった俺。次の瞬間、
「……今日から、毎日お前に、うぅっ、朝ご飯を作ることになったきょん。ぐええん!」
は? なんて? 嘘……だよね? ほっぺをつねる。うん痛い。
キョンシーの絶望した顔を見る。あ、これマジのヤツだ。