9.誓い
(何だかなぁ……)
自分の相談室で一人、頬杖をつく。ため息が何度も漏れ、放心状態から中々抜け出せない。
あれから、怒涛の数日が過ぎ去った。
『王太子の耳』は王太子殿下――わたしがアルヴィア様だと思っていた彼――が所長として、直接指揮を取ることになった。
とはいえ、彼が長を務める組織は他にも沢山存在する。
このため、所長代理なんていう役職が新しく設けられた上、わたしが所長代理に任命されてしまった。
変わったことはそれだけじゃない。
新しく五人の人員が『王太子の耳』に配属されることになった。
これまでは文官か女官だけが配属される部署だったけれど、今回、民から特に要望が多かった分野のスペシャリストが引き抜かれ、実にバラエティに富んだ布陣へと変わっている。皆やる気に満ちた優秀な相談員ばかりだ。
それから、今回の異動に際して、治安面等も配慮をされることになった。今後は報告書の受け渡し以外の間も、入れ替わりで騎士が巡回してくれることになっている。
そして、アルヴィア様――――のフリをしていた殿下は、『王太子の耳』で働くために、相当な無茶をしていたらしい。これらの変更を説明するだけ説明し、城へ戻っていってしまった。
「最初から教えて下さったら良かったのに……」
報告書を受け取りにやって来た本物のアルヴィア様にそう言えば、彼はバツが悪そうに微笑む。
「殿下はあなたの本音が聞きたかったんですよ。どうか許して上げてください」
そんな風に言われたら、これ以上何も言えない。コクリと小さく頷けば、騎士は困ったように笑った。
あれから、殿下には一度も会えていない。
わたしと一緒に相談員をしている間も、深夜に城に戻り、王太子としての仕事をしていたというから驚きだ。絶対に皺寄せがきている。当然と言えば当然だろう。
だけど――――
「――――やっぱりあれっきりなのかな?」
殿下はあの日、『最後にするつもりはない』と言ってくださった。『ずっと一緒に居たい』って抱き締めてくださった。
だけどあれは『侯爵令息のアルヴィア様』だからこそ吐き出せた想い、約束なのかもしれない。王太子としての『声』ではないとしたら――――?
「……リュシーはそれで良いの?」
耳元で唐突に、そんなことを囁かれる。ギュッと強く抱きしめられて、胸が甘く、苦しくなる。
「――――嫌です」
昔のわたしなら『それで良い』と答えていたかもしれない。自分の気持ちに素直になることが出来ず、一人で藻掻き苦しんだかもしれない。
だけど、わたしにだって、どうしても届けたい『声』が存在する。掴みたい想いがある。何もしないまま諦めることなんて出来ない。そんなの絶対嫌だった。
「良かった。捨てられたんじゃないかって冷や冷やしたよ」
殿下はそう言って嬉しそうに微笑む。髪や瞳の色が違っていても、彼自身はちっとも変わらない。わたしが好きになった彼のままだ。
「殿下は――――」
「フェリクス、と呼んで欲しい」
「――――――フェリクス様は、最初からこうなさるおつもりだったんですか?」
身分を明かさず内情を探り、所長の不正を暴いた。彼をここから追い出した。ご自身の中にある悪い膿を絞り出すために。
「いや、正直ここまでの事態になるとは思っていなかったよ」
「……え? そうなんですか?」
フェリクス様は全ての証拠をきっちり揃えていらっしゃったし、所長に言い訳する隙を与えなかった。全てが彼の手のひらの上で動いているように思えたというのに。
「だったら、どうして別人のフリまでして『王太子の耳』にいらっしゃったんですか?」
発案者だからって全ての責任を負うことはできない。国中を見て回ることもできない。そんなことしてたら、身体がいくつあってもとても足りない。そのために現場責任者が存在するんだし、例えば何か問題が起こったとしても、フェリクス様が気を揉む必要はないというのに。
「リュシーが『助けて』って叫んでいたから」
「…………え?」
そう言ってフェリクス様はわたしの頬に唇を寄せる。
「わたし、ですか?」
「手紙にも書いただろう? リュシーの報告書を読んで、どんな子なんだろうってずっと気になっていたんだって。
それが、ある頃を境に、どんどん元気がなくなっている気がして。心配で、居てもたってもいられなくて」
会いに来てしまったんだ――――そう言ってフェリクスさまはわたしのことを抱き締める。
(言葉が出ない)
わたしは『助けて』なんて書いていない。『苦しい』とも書いていない。
だけど、そんなにも前から、フェリクス様はわたしの声を聞いてくれていた――――誰にも打ち明けられない想いを聞こうとしてくれていた。そのことが嬉しくて堪らない。
「俺はリュシーが好きだよ」
唇が触れ合う。甘くてとても温かい。まるでフェリクス様の心みたいで、欲しくて欲しくて堪らなくなる。キスの合間に何度も贈られる「好き」の言葉が、まるで砂糖菓子みたいに、甘く優しく降り積もっていく。
「王太子殿下に伝えたいことがあります」
それは、ここに来る皆が口にする言葉。
不平、不満。提案や要望。苦情や陳情。毎日、ありとあらゆる想いがこの場所へと届けられる。
だけど、これから口にするのは、とびっきり大きくて、熱い想い。
わたしは『王太子の耳』。誰かの『声』を受け止めて、それを届けるのがわたしの仕事だ。だけど――――
「わたしはこれから、全国に『王太子の耳』を作りたいです! 誰でも、この国のどこに居ても、あなたに『声』を届けられるように」
それは不平でも不満でも要望でもない、誓いの言葉。己の手で叶えたい大切な願いだ。
フェリクス様は微かに目を見開き、それから大きく頷く。
「俺も、同じ気持ちだ」
今にも泣き出しそうな笑顔。わたし達の想いは重なり合っているんだってよく分かる。
「それからフェリクス様……わたしはずっと、あなたと一緒に居たいです」
届いて欲しい――――心からの願いを胸に微笑めば、フェリクス様は嬉しそうに目を細める。
「もちろん。絶対に叶えよう、二人で」
力強い返答。しっかりと受け止められたわたしの声。抱きしめて感じるフェリクス様の鼓動に、彼もまた同じ気持ちなんだって実感する。
それからわたし達は顔を見合わせると、声を上げて笑うのだった。
本作はこれにて完結しました。
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改めまして、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!