7.届けたい『声』
(アルヴィア様が居なくなってしまう)
そんなの最初から分かりきっていたことだ。
人員が補充されるまでの仮配属。ずっとここに居てくれるわけじゃない。
(だけど)
心が苦しくて堪らない。息が上手くできなくて、靄が掛かったみたいに前が見えない。
(あと二週間で、アルヴィア様に会えなくなっちゃうんだ)
アルヴィア様の笑顔が見れなくなるのが辛い。食事だって、二度と一緒に取ることは無いだろう。彼の発言に胸をときめかせることも、包み込んでもらうことも、二度と出来ない。
(寂しい)
心にぽっかり穴が開いたみたいだった。
同僚達がわたしを置いて辞めて行っても、腹は立っても悲しくはなかった。
だけど今、わたしは悲しくて堪らない。
わたしの中でこんなにも、アルヴィア様の存在が大きくなっていた。掛け替えのない存在になっていた。
辛い時に支えてくれたからってだけじゃない。一緒に居ると楽しくて、温かくて、幸せな気持ちになれた。彼が笑ってくれるのが嬉しくて、想いが叶わずとも側に居たいって、そう思っていたのに。
(早すぎるよ……)
一人きりの相談室は、広く空虚に感じる。しばらくの間、わたしはその場から動くことが出来なかった。
「もうすぐ、異動があるそうですね?」
そう尋ねるのは城との連絡を務める騎士だった。彼とは毎日顔を合わせているのに、未だに名前すら知らない。
「えっ……? ええ、そのように聞いています」
アルヴィア様は用事があるらしく、今日は珍しく退所している。あと少しで会えなくなるのに――――そんなことを思ってしまう自分が憎らしかった。
「ようやくですか。本当に、タフな人ですね」
「タフ?」
「ああ、気にしないでください。あんまり余計なことを言うと、僕が殿下に怒られてしまうので」
わたしを置いてけぼりにし、騎士はおどける様に両手を広げた。
「それより、リュシーさんは寂しいんじゃありませんか? アルヴィア様が居なくなってしまって」
困ったように笑いながら、騎士が尋ねる。
「そうですね」
言えば、彼は目を丸くしてこちらを見つめる。
「物凄く、寂しいです」
この数週間の間に、わたしは随分、自分の気持ちを言葉にできるようになってきた。以前なら『慣れてます』の一言で済ませていたかもしれない。だけど、それだけじゃダメだってアルヴィア様が教えてくれた。彼の想いを無駄にしたくない。第一、自分の気持ちに嘘が吐けそうになかった。
「きっと良い人が来てくれますよ」
ポンと肩が叩かれる。だけど、心は依然凪いだままだ。慰められることも、ときめくことも無い。アルヴィア様だから――――そう思い知った気がした。
***
(いよいよ明日かぁ)
アルヴィア様がここへいらっしゃるのは明日が最後。それ以降、どこで働かれる予定なのは聞いていない。聞けば、きっと優しく教えてくれるだろう。だけど、知れば別れを実感してしまう。寂しさに耐え切れる気がしなくて、結局、彼の異動には触れずじまいだ。
その時だった。コンコンコンと相談室の扉が鳴る。既に業務時間は終わり、相談者は一人も残っていない。
「……はい?」
「失礼します」
扉の向こう側に居たのは、他ならぬアルヴィア様だった。彼は穏やかに微笑むと、わたしの向かい側の席に腰掛ける。
「アルヴィア様?」
「リュシーに聞いて欲しいことがあるんだ」
そう言ってアルヴィア様は身を乗り出す。少し紅くなった頬。濡れた瞳。その真剣な表情に息を呑む。
「だけど……」
「俺はリュシーに、どうしても届けたい『声』がある」
わたしの手がアルヴィア様の左胸へと導かれる。ドッドッとうるさい位に響く音が、指先に、耳に、心に、ダイレクトに響く。
「――――聞かせていただけますか?」
わたしの声なき声を聞いてくれた――――受け止めてくれたアルヴィア様に返せる唯一のこと。彼が聞いて欲しいと言うのなら、わたしだって応えなきゃいけない。
「俺はリュシーが好きだよ」
その瞬間、心が震える。嬉しくて、嬉しくて、それでいて悲しい。ポロポロと零れ落ちた涙を、アルヴィア様がそっと拭った。
「リュシーが好きだ。どうしようもないぐらい、君が好きなんだよ」
飾り気のない言葉。だからこそ、彼の本心なんだって分かる。
この部屋で何人もの人の『声』を聞いてきた。ずっとずっと『聞くこと』しか出来ないって思っていた。だけど――――
「わたしも――――アルヴィア様のことが好きです」
だけどわたしは彼等に応えることが出来る。彼等の声を届けること、自分の声を形にすることが出来る――――そう教えてくれたのは他でもない、アルヴィア様だった。
「アルヴィア様が側に居てくれたから、わたしはもう一度笑うことが出来ました。泣くことが出来ました。仕事へのやり甲斐を思い出せたのも、達成感を抱けたのも、ここで頑張っていこうって思えたのも、全部全部、アルヴィア様のお陰なんです。明日が最後なんて、嫌。会えなくなるのは、とても寂しい」
想いが溢れ出て止まらない。アルヴィア様は涙で濡れた指先に口付け、穏やかに微笑んでいる。
「明日が最後だなんて、俺は思ってないよ」
テーブル越しに抱き寄せられる。苦しい位に強く、抱き締められた。
「明日も明後日も、リュシーに会いたい。ずっと君と一緒に居たいって思うんだ」
いつか、この部屋で吞み込んでしまった言葉を、アルヴィア様が口にする。
「わたしも、アルヴィア様とずっと一緒に居たいです」
綺麗に重なったわたし達の想い。初めて触れた彼の唇は、あまりにも甘く、温かかった。