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5.自覚

※タイトルを変更しました。

 アルヴィア様が配属されて二週間が経った。



「リュシーさん、聞いておくれよ!」


「はいはい、今日はどうされましたか?」



 『王太子の耳』には今日もひっきりなしに相談者が訪れる。税金が納められないだとか、商売が上手くいかないだとか、病気で苦しんでいるとか、食べ物を恵んでほしいとか、相談される内容は全然変わっていない。



「リュシーさん、今日は何だか元気だね」


「え? ……っと、そうですか?」



 だけど最近、こんな風に言われることがとても増えた。

 これまでだって仕事中は笑う様にしていたし、しっかり話を聞いていたつもりだった。だけど、複数人が言うのだから間違いない。


 事実、これまでにないぐらい、わたしは元気だ。


 自分の仕事は無駄じゃないって気づけた。誰かに認めてもらえたってだけなのに、こんなにも気分が変わるのだから恐ろしい。一人の人間が与える影響力はこんなにも大きいんだって気づけたことは、本当に大きな収穫だった。



(わたしも、そんな人間になりたい)



 すぐには無理かもしれない。身の丈に合っていない大それた願いかもしれない。

 だけど、目標は高ければ高いほど良いし、目指すものがあるのとないのでは全然違う。何だかとても晴れやかな気分だった。




「リュシー、少し良い?」



 その時、相談室の向こう側から声を掛けられ、ビクリと身体を震わせる。



「どうぞ」



 答えたら、アルヴィア様が顔を覗かせた。相変わらずビックリするぐらい綺麗な笑顔。乙女の理想がギッシリ詰まった出で立ちに、思わずため息が漏れそうになる。



(いけない、いけない)



 雲の上の存在であるアルヴィア様に対し、そんな邪念を抱いてはいけない。気を取り直して「どうしました?」って尋ねると、彼はそっと瞳を細めた。



「お昼を一緒にどうかな? 近くに良い場所を見つけたんだ」



 そう言ってアルヴィア様は、ランチボックスを掲げて見せる。



「え? ……っと、気持ちはありがたいんですけど、相談者の方がいらっしゃるだろうから、わたしはここで。アルヴィア様はゆっくり休んできてください」



 お昼はいつも、相談室のデスクで食べている。休憩時間はあってないようなもの。それが二年も続けば、感覚は麻痺する。数日おきに食い損ねるし、それで当たり前って感じだ。



「ダメだよ。休憩時間はきちんと休まなくちゃ。なんのために所長がいると思ってるの?」


「へ? 所長ですか?」


「うん。彼にはさっき、俺の相談室に入ってもらったから。お昼休みの間ぐらい、所長に相談を受けてもらおう」



 ニコリと押しの強い笑みを浮かべ、アルヴィア様が手を差し出す。わたしは呆然と瞳を瞬かせた。



「まさか、あの所長が相談室に入ったんですか?」


「うん」


「本当に? 一体どんな手を使ったんです?」



 この二年間、わたしは所長が相談室に入ったのを見たことがない。『俺はあくまで責任者だ』が彼の口癖で、その癖責任者らしいことを何もしない人だから。



「え? 単純に殿下からの指令書を見せただけだよ。職員にきちんと休憩を与えろ、時間外勤務を認め、必要な手当を出すように、ってね」



 しれっとした表情。だけどそれって、結構大事ではなかろうか?



(所長、焦ってるだろうなぁ)



 労務管理は所長の大事な仕事だ。だけど、指令書が出るってことはつまり、彼が勤務怠慢を犯していると殿下が判断している、ってことに他ならない。


 所長はこれまで『自分は絶対に安全だ』と思っていたのだろう。城から離れた建物。職員の数は少なく、殿下やお偉方とのコネを持つものは居ない。惨状を訴えるものも居なければ、どうせ取り合っては貰えない。そう高を括っていた。

 だけど、アルヴィア様の登場で、風向きが大きく変わってしまったのである。



「えっと……大丈夫ですか?」


「ん?」


「アルヴィア様、所長から嫌がらせされたりしてません? 嫌な思いとか、脅されたりとか、そういう目に合ってるんじゃ」



 ねちっこい所長のことだ。直接的な文句じゃないにしても、嫌味の一つや二つ、言っているに違いない。腐っても伯爵。爵位を持たない侯爵令息より自分の方が上だと、そう思っているだろう。



「あの程度の嫌味、痛くも痒くもないよ。聞いてて寧ろ面白い。笑いをこらえるのが大変なぐらいだ」



 涼し気な笑みを浮かべつつ、彼はわたしの手を握る。



「だから行こう。俺にリュシーとの時間を頂戴」



 満面の笑み。その瞬間、ぶわわわっと全身の血液が熱くなり、頬が真っ赤に染まった。



(何それ、何それ!)



 本人にその気はないんだろうけど、物凄い殺し文句だ。口説かれてるって勘違いしても仕方がないと思う。



(いやいや、アルヴィア様に限ってそんなことは無いんだろうけど)



 面倒見のいい彼のことだ。わたしがお昼を食いっぱぐれないよう、心を砕いてくれているだけだって分かってる。あれだけボロボロな姿を見せてしまったんだもの。単に放っておけないのだろう。



 アルヴィア様に手を引かれ、『王太子の耳』を出る。勤務時間中にここを出るのは随分と久しぶりのことだ。太陽が高い位置にあることを新鮮に感じてしまう。



「ねえ、リュシー」


「……何でしょう?」


「少しはドキドキしてくれてる?」



 そう言って顔を覗き込まれる。ドクンと大きく心臓が跳ね、思わず数歩、後退った。



「……ドっ?」


「俺はすごくドキドキしてるんだけど」



 悪戯っぽい笑み。けれど瞳は燃えるように熱い。軽く流しちゃいけないような、そんな雰囲気を醸し出している。



(これはなんて答えるのが正解なの?)



 話の流れからすれば、アルヴィア様はわたしに『ドキドキしてほしい』みたいだけど、それがどうしてなのか――――揶揄いたいだけのか、単に気になるからなのか、将又本気なのか――――が分からない。

 誠実なお人柄だし、わたしを弄びたいってことは無いと信じたい。だけど、如何せん身分とか格とか違い過ぎて、字面通りに受け取って良いものか図りかねてしまう。



「リュシー?」



 首を傾げ、返答を急かされる。握られたままの手のひらは温かくて優しい。まるでアルヴィア様ご自身みたいだ。



「――――ドキドキ、しない筈がないじゃありませんか」



 声が震える。顔が更に真っ赤に染まって、見苦しいに違いない。だけど、どうにも制御できなかった。


 アルヴィア様はわたしの救世主だ。

 壊れそうになってた心を温めて、優しく救ってくれた人。心から尊敬しているし、感謝している。


 だけど、それだけじゃ説明できない感情が、自分の奥底に存在する。


 アルヴィア様の隣にいるだけで、心がポカポカ温かくなる。何処に居ても彼のことを探してしまうし、見ているだけで幸せになる。微笑まれたら天にも昇る心地がするし、声を掛けられるだけで涙が溢れそうになる。



「良かった」



 そう言ってアルヴィア様は、ビックリするぐらい嬉しそうに笑う。



(こんなの、ズルい)



 喜んでしまう。勘違いしてしまう。彼が自分と同じ気持ちなんじゃないかって、馬鹿なことを考える。



(わたしも、アルヴィア様との時間が欲しい)



 ほんの僅かな一瞬でも良い。彼と過ごすこの時間が愛しくて堪らない。

 彼の仕草を、笑顔を、存在を独り占めできることが嬉しい。何てことのない会話が、視線の交わる一瞬が、繋がれたままの手のひらが、心を甘くときめかせた。

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