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3.報告書

 次の日から、アルヴィア様は早速相談を受け始めた。試しに二人程、彼が相談を受けるのを聞いていたけど、とても丁寧且つ真摯に対応をしていたように思う。



(あんなに全部真面目に聞いていたら、最後まで身がもたないと思うんだけど)



 とはいえ、そういうことを口にするのも憚られる。アルヴィア様は王家に近しい人。『王太子の耳』で働く人間は不真面目、という印象を植え付けるわけにはいかないからだ。



(まだまだ女官を辞めるわけにはいかないもの)



 わたしは貧乏子爵家の三女。自分の力で良縁を引寄せなければならない。

 とはいえ、こんな離れの建物じゃ、騎士や文官との出会いなんてない。あるのはお年寄りや怒れる若人との出会いぐらいだ。

 せめて夜会ぐらいは――――そう思い始めて早二年。時間内に業務が終わることが無いので、そういった機会にすら恵まれずにいる。


 もしも最初に配属されたのが王城内の何処かだったら――――もしも同僚がこんなに辞めなかったら――――そう思うとめちゃくちゃ腹立たしい。考えたって仕方がないけど、『残されるこちら側の身にもなれ』とか『適当に思い付きで部署を立ち上げるな』とか、いろいろと言ってやりたくなってしまう。




「お疲れ様です。まだ残るんですか?」



 相談室のデスクで、羽ペンを走らせていると、既に仕事を終えたらしいアルヴィア様が声を掛けてきた。



「ええ。今日の分の報告書がまだ出来ていなくて」



 本当ならば、相談の合間に進められる筈の仕事も、減りに減った相談員のせいで儘ならない。自然、業務時間外に頑張るしか方法は無かった。



「そうですか……。だけど今日、リュシーさんの残業申請は出てませんよね?」


「え? ああ……出したところで認められないから良いんです。所長からしたら、時間内に終えられないわたしの方が悪いんですって」



 そう言って薄く笑えば、アルヴィア様は目をほんのりと丸くし、押し黙る。

 わたしにとっては当たり前たけど、彼にとってはあまりにも意外だったらしい。軽くショックを受けているようなので、おどける様に笑って見せた。



「いつものことですから、アルヴィア様は気にせずお帰り下さい。相談と相談の間をたっぷり取ったら、恐らく残業は必要ありません。明日以降もそうなさっていただければ――――」


「でも、それだと時間中に相談を受けきれませんよね?」



 今度はわたしが黙る番だった。


 もしも受けきれなかった相談はどうなるか――――当然、わたしが時間外に聞くことになる。一番年少の格下の娘。多少扱いが悪くても文句は言えない。それが当たり前。物凄く腹立たしいけど、それで良いって自分に言い聞かせている。



「一人で抱える必要ありません。明日からは俺も一緒に聞きますから」


「え?」



 過去にそんなことを言ってくれた人は一人も居なかった。だって皆、自分のことでいっぱいいっぱいだもの。他人の仕事や状況なんかに構っていられないもの。少しでも自分の負担が少ない方が良くて、割を食っている人間のことなんかどうでも良い。


 アルヴィア様だってきっとそう。こんな風に言ってくれるのは、余裕のある今だけかもしれない。後から後悔して、他の人みたいに『お先に』って帰っていくのかもしれない。



(それでも、嬉しい)



 胸のあたりが温かくなって、こっそりと鼻を啜った。



「それと、良かったらこれ、読ませていただけます?」


「えっ……? ええ、どうぞ」



 アルヴィア様は未だ帰る気はないらしい。報告書を一枚手に取り、向かい側にある相談者用の椅子へと腰掛ける。



(なんだか緊張するなぁ)



 自分が書いたものを人に読まれるのは、少々気恥ずかしい。所長が目を通しているのを見たことが無いし、情報共有はすれども、同僚同士で報告書を読み合う機会も滅多にない。


 唯一、読んでいるとすれば、この部署を作った王太子本人ってことになるけど、フィードバックが来たことは無いし、多分、絶対読んでいない。

 めちゃくちゃ多忙らしいし、ここを作ったのだってきっと国民へのパフォーマンスって奴だろう。本当の意味で耳を傾ける気なんて無いに違いない。



「――――とても丁寧に書かれていますね」



 アルヴィア様はポツリとそう口にした。



「丁寧でとても分かりやすいです。相談者の主張だけじゃなく、客観的な状況がきちんと書かれている。リュシーさんの主観が入っていないし、報告書としての完成度が高い。あなたがどれだけ相談者に真摯に寄り添っていたのか、よく分かります」


「そっ……そうでしょうか?」


(罵倒されるのは慣れてるのにな)



 こんな風に褒められたことは、今まで一度だってない。頬が勝手に真っ赤に染まっていく。照れくささに目尻を拭いつつ、わたしはそっと微笑んだ。



「だけどリュシーさん、一件一件こんなに丁寧に書いていたら疲れませんか?」


「そっ……れはそうですけど、アルヴィア様がそんなこと言っちゃって良いんですか?」



 そんなことを言われると、隠していた本音がついつい飛び出てしまう。チラリと顔を見上げれば、彼は小さく首を傾げた。



「別に構いませんよ。誰だって全ての仕事に同じだけのウェイトは掛けられない。この部署を作った殿下ですらそうだと、俺の兄が言っていました。

例えばこれ……見てください。この相談者なんて何回も同じ相談を繰り返している人ですし、『前回同様』で片付けて良いと思います。違う所が有れば、そこだけ書き足せば事足りますし。それだけで負担が相当軽減されるでしょう?」



 報告書の山から常連さんのものを抜き出し、アルヴィア様が口にする。



「え? あ……なるほど。そうですね。確かに、そうかもしれません」



 手を抜いている感じがして気が引けるけど、どうせ誰にも読まれない書類だ。そうした所で誰も困りはしない。

 これまでそういうことを教えてくれる人が居なかったので、目から鱗が落ちたって感じだ。



(……あれ? でも、この人昨日は来てなかったし、常連さんだって言ったっけ?)



 報告書を改めて読み返しつつ、わたしは小さく首を傾げる。



「ところで、こちらの報告書の内容はかなり気になりますね」



 丁度その時、アルヴィア様がそう口にしたため、わたしは彼へと向き直った。



「――――――ええ、そうなんです。すごく信憑性が高いですし、わたしも心配していて」



 それは今日の夕方のこと。一人の老婆から受けた相談だった。

 彼女の住む地域では、ここ数日降り続いた雨のせいで、地盤がかなり緩んでいるらしい。怖くて頻繁には見に行けないけど、土砂崩れが起こるんじゃないか、心配しているっていう話だった。



「場所は王都の離れ――――川沿いのエリアです。あの足でここまで相談に来るのは大変だったはずですから、よっぽど心配だったんだと思います」



 街から一歩外れれば、舗装されていない道は山ほどあるし、治水もそれほど機能していない。騎士達が巡回するのも、主に市街地のため、老婆の住むあたりまで目が届かないのだろう。『見回りに来て欲しい』と訴えたものの、まともに取り合ってはもらえなかったそうだ。

 こういうことは何か起こってからでは遅い。何もなかった時に『無駄足になった』と思う気持ちは分かるけど、それじゃあいけないとわたしは思う。



「動いてくれるかどうかはさておき、こういう緊急性の高い意見だけでも、すぐにお城まで届けられるようになったら良いんですけどね」



 報告書の提出は、所長の仕事だ。『頻繁に持参するのは面倒だ』と常々口にしている彼は、二週間に一回、大量の報告書と一緒に馬車に乗っている。

 しかも、重大性や緊急性等、相談の属性に仕分けした報告書を、わざわざ全部混ぜこぜにして持って行ってしまうため、わたしは内心イライラしていた。



「報告書はこれから、毎日騎士達に取りに来てもらおう」


「え?」



 アルヴィア様はまるで『決定だ』とでも言うかのように、そんなことを口にする。



「見回りについても、すぐに人を遣る様に言う」


「そんなこと、出来るんですか?」


「もちろんです。

大体、報告書については、元々毎日回収する筈だったのを、所長が勝手に取り扱いを変更したんです。殿下もいい加減焦れていたようですし、丁度良いタイミングでしょう」



 先程までの口調は何処へやら、アルヴィア様は落ち着き払った様子でそう言う。どうやら彼は、当初の想像よりもずっと殿下と近しい間柄らしい。

 だけど、気になることはそれだけじゃない。



「っというか、殿下はその……わたし達の報告書をちゃんと読んでくださっているんでしょうか?」



 思い切ってそんなことを尋ねてみれば、彼は目を丸くした。



「もちろん。きちんと全てに目を通していますよ」



 真っ直ぐなアルヴィア様の言葉に、何だか胸が熱くなる。



(そっか)



 書きかけの報告書へと視線を落とす。そこには相談者たちの想いが認められている。

 ちゃんと届いているんだ――――ううん、完全に無駄じゃなかったんだって思うだけで、心がポカポカと温かくなった。



「ご存じなかったのですね」


「ええ。相談者の悩み事が実際に解決したって話は聞いたことがありませんし、聞くだけ聞いて、それが届くことは無いんだろうなぁって。そんな風に考えたら、自分の仕事が嫌になることも多かったんですけど」



 こんな気持ち、これまで誰にも伝えたことは無い。皆は『仕事は仕事』って割り切ってるみたいだし、こんな風に憤ってるわたしが馬鹿みたいだもの。



「……リュシーさん、あなたは立派な『王太子の耳』です。あなたが聞いた民の想いは、ちゃんと殿下に届いていますよ」



 アルヴィア様がわたしの肩をポンと叩く。



「――――そうだったら良いなぁ」



 堪えきれず、涙が数筋零れ落ちた。

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