我が家での蕎麦打ち
6、我が家での蕎麦打ち
勝山での年末の蕎麦づくりが5年ほど続いた。毎年、豊田家の蕎麦粉と小麦粉を使わせていただき、只で蕎麦をもらってくるような状態が続いた。ちなみに勝山の豊田家は蕎麦粉を勝山の「八助」という蕎麦屋と粉屋をかけもちでやっている名店から購入しているらしい。だから粉は高級品でかなり高価に違いない。そう考えた杉下は豊田家の助けを借りず自分で作ろうと決心した。しかし、妻のやまねは
「家の台所で蕎麦を作ると台所が粉だらけになるからいやだな。」
とか
「勝山で作ってくれば勝山の兄も父も婿が来たって喜んでるんじゃない。」
などと言っている。何とか妻を説得して、台所で蕎麦を作るときにはブルーシートを敷くという条件付きで許しを得て、近くのホームセンターに道具を買いに行くことになった。この当時、アマチュアの蕎麦打ちはブームになっていて、各地で蕎麦打ち道場が開催されて大盛況だった。デパートでもホームセンターでも蕎麦打ち用品コーナーが特設され、スーパーでも蕎麦粉が売られていた。
12月に入り、杉下が妻と一緒にむかったのは8号線沿いの大きなホームセンターだった。中に入ると蕎麦打ちコーナーはすぐに分かった。杉下は事前に下見していたのだ。どうしても必要な備品は蕎麦打ち台と麺棒、駒板、蕎麦きり包丁位である。こね鉢は欲しいけどピンからキリまであり、漆塗りの製品だと10万円以上するものもある。だからこね鉢は家にある大きめのアルミのボールで代用することにした。
「蕎麦打ち台はどれがいいかな。」
と妻に問いかけると
「あんまり大きすぎないほうが片付けるとき楽よ。」
とネガティブなことを言ってきた。
「わかった。これくらいにしよう。」
と言って選んだのは5000円程度の机の上に置くタイプの板で木目がきれいだが、あまり大きすぎず、500g玉なら拡げられそうなタイプである。麺棒はどれでもいいのだが初心者だからそう高いものは選べない。2000円程度の物を選んだ。駒板は1000円、包丁はいいものが欲しかったがホームセンターではそんなん物は置いてないので2980円だった。合計で1万円ちょっとで購入は終了した。おいてあった種類は多くなかったので、蕎麦打ち初心者たちは同じものを持っている人が多かっただろうと思われる。
12月28日には粉を買うことにした。タウンページで福井市内の蕎麦粉を検索すると何軒かあったが、比較的近い福井市開発の高橋製粉を選び電話すると予約に応じてくれた。福井県産の特上そば粉1.6kgつなぎの小麦粉400g打ち粉400gを注文して12月29日に取りに行くことになった。年末の営業が29日で終わりで、30日から年末年始休業に入るそうだ。地図で確認してから行ったが、見逃してしまい何回も店の前を通り過ぎた。ようやく探し当て店の前に車を止めて店に入ると小売りもやってはいるが、完全に業務用の粉屋さんで蕎麦屋さんやうどん屋さんや給食センターに粉をおろしている業者さんだった。しかし、工場の入口が受付になっていてお店のおかみさんらしき女性が愛想よく
「いらっしゃいませ。杉下さんですね。お電話伺っております。」
と言って準備してあった袋を棚から出してきて、
「特上蕎麦粉が1.6kg小麦粉が400g、打ち粉が400gですね。4800円になります。」
と言って商品を渡してくれた。
「はじめて自分一人で打つんですけど、うまくいきますかね。」
と話しかけると
「特上の福井県産ですから早めにお召し上がりください。蕎麦粉は打ち立て、ゆでたてに加えて引き立てが大切なんですよ。」
と教えてくれた。杉下は自分の腕が心配だと言ったのだが、蕎麦粉のすばらしさをPRしてきた。ごもっともである。粉がいいから腕はさほどでなくても大丈夫なのだろう。
蕎麦打ちを始めてから6年目、初めて一人で蕎麦を打つ大晦日がきた。結婚して6年目で3人の女の子が生まれていた。5歳を頭に3歳と1歳である。上の2人は蕎麦が大好きである。一番下はまだ食べない。午前中から蕎麦打ちを初めて、お昼ご飯として年越しそばを食べる予定にした。9時ごろから台所のテーブルを横に寄せて、ブルーシートを敷いてテーブルをブルーシートの上に乗せた。子供たちは朝から何が始まるのかいつもと違う雰囲気にはしゃぎまわってブルーシートの上で寝転んだりしている。
妻は「台の上もきれいに拭いてよ。」
とか「麺棒もきれいに拭いてからやってくださいね。」
とか言っている。機嫌を損なわないように言う事は聞いて、条件を満たしながら環境整備をしていった。蕎麦打ち台、麺棒、ボール、計量のはかり、駒板、麺きり包丁などをスタンバイしていよいよ開始である。勝山の豊田家で5年間修業した成果を発揮するときが来た。まずは粉の計量、高橋製粉で買ってきた袋から蕎麦粉を出し、紙袋を開いてお玉を利用して計量器の上に乗せた小さなボールに少しずつ入れながらきっちり400gを量って大きなボウルに移し替えた。次に小麦粉も計量してボウルへ。計量カップに入れた水も計量器できっちり量った。手順に狂いはない。しかし、ここからは憲明さんがいないとどのへんまでこねるのかが判断できない。しかし、やってみて失敗を積み重ねるしか上達の方法はない。そう思ってコネの段階に入った。相変わらず下手で指の間に大量の粉がくっついたが何とか一つにまとめて蕎麦の玉になった。伸ばしの行程も思い出しながらやったら何とか伸びてくれた。水分量を50%にしたのが良かったのか比較的簡単に伸びてくれた。かつて勝山で47%くらいに挑戦した時は伸ばしたはずが見る見るうちに縮んで戻っていくところを見たことがある。水分量が少ないのはこしを出すには良いが伸ばしが難しい。切りの段階では妻が
「私にも少しやらせて」
と言ってきたので、最初は杉下が手本を示したが、後半を妻にやらせてみた。妻も
「あ、太くなった。」とか
「麺がくっついた。」とか言っていたが、包丁を少し斜めにして次の麺の太さを一定にするところが難しいと言っていた。結局、その日の昼は500g玉を二つ作ってみんながお腹いっぱい食べられた。子供たちも冷たいおろしそばをおいしそうに食べていた。蕎麦アレルギーはなさそうだった。
厨房で話を聞いていたご婦人たちは
「みんなで一緒に作業をして食べるという事は家族のきずなを強くするにはいい方法よね。お父さんが打ってお母さんが茹でて子供たちが食べる。いいことだわ」
と感心してくれたが、主人は
「私は家族の形と言うのがあまりわからないんです。さっきも言ったけど父や母とのかかわりが薄かったので、親になってからもどれくらいの頻度で接していいのかがわからないんです。年を取った父や母に対しての愛情もほかの皆さんと少し違うんじゃないかなと考えたこともあります。」
と言ったところでご婦人たちは
「高齢になった父や母への愛情はみんなだんだん薄くなってくるものよ。私たちだって薄情なものよ。年を取った父や母をだれが面倒みるかで兄弟げんかになるし、高齢者施設に入ってくれないかって思っているんですからね。」
と言っていた。そんなものなのかなと感じてはいるものの、自分と他の人の感じ方の違いが良くわからないし、うまく説明もできずにいた。」




