Ep.35 名前
「なんか、召喚されたときのことを思い出すなぁ…」
夏翔は今王城のある部屋の中にいた。アルティオ曰く最近では誰も使っていない部屋らしいが、埃なんてものは一切なく、そして広い。この空間だけでも十分生きていける。ベッドもソファもシャワーも完備。テラスのような場所まであった。ここは城の端っこに位置しているので景色は普通と言ったぐらいだろう。
アルティオとどこまで隠せるか作戦を発動したため、この部屋になった。アルティオはすごく申し訳なさそうな顔をしていたが、夏翔からすればこういう誰も来ないような端っこの部屋の方が落ち着けるのだ。
尤も、この部屋になった理由は隠せるか作戦よりも、こんな見た目の子どもが城の中を歩き回っていたり、人目に付くような部屋を使っていたらいろいろと面倒なことになる、という事情があった。
明日からはこの辺りの部屋の掃除が回ってこないように上手く手配するとアルティオが言っていたので、メイド等に発見されるということはないだろう。
あの後もしばらくアルティオと共に話し合い、夏翔はやはり王城にいない方が見つかる可能性も低くなるので、冒険者として街で生活しておくよ、と言ったがアルティオはじゃあ国籍と同時にいい感じの一軒家でも用意しようと返してきた。
お互いの意図が微妙にずれていた。夏翔は国王から家を紹介されたらそれこそ角が立つよと全力で拒否したが、またもその心配はないと言われた。
それでも友にお金を出してもらうことは嫌だった。それを伝えようと思った時に、アルティオは小さなメモ帳のような、どこかみたことがあるものを夏翔に渡した。
一瞬何かわからなかったが、アルティオが続けた言葉でそれの正体を完全に理解する。
「それは、君の銀行の通帳だ」
アルティオのその言葉とほぼ同時に中身を見た夏翔は硬直する。銀行があったことは別にまだ理解の中だ。しかし、夏翔を驚かしているのはその金額だった。
目を疑った。百億を超えている。何度も数えるがそれは間違いではなかった。口をパクパクさせる夏翔を見てアルティオは笑っていた。
アルティオ曰く、国を救った英雄はたとえいなくなったとしてもこの国の一員だ。彼が帰ってきてから少しでも楽になるように少しずつお金を貯めていってあげよう、となったそうだ。勿論国民の理解も得ており、なんなら国民が将来帰ってくるはずの英雄のために寄付も行っていたそうだ。それが千年という月日を経て積もりに積もった結果、恐ろしい額にまで膨れ上がった。
アルティオは夏翔が生きていれば本来給料として受け取っていたお金だ。つべこべ言わず使ってくれ、それに君はお金に流される人間じゃないだろ、と締めくくった。
…身体年齢八歳児が貯金百億以上か…。誰かに知られたら全力で盗みに来られそうだ。気を付けないとな。
…なんだか、いろいろあって疲れたな。シャワーも浴びたし寝るか。
数日経った。毎朝のみならずご飯の時間になるとフィディースが部屋に入ってきて置いていく。
王の執事にそんな雑用をさせるのはとんでもなく申し訳なかった。
さて、ここ数日は部屋の近くにあるとかいう図書室に行くことにしている。図書室はそれはそれはたくさんの貴重な本が置いてあり、アルティオから渡された認証カードがなければ入ることができない仕様になっている。また、図書室の利用自体滅多にないためこの中にいれば自分は本を読め、かつ人に会わない。まさに一石二鳥である。
図書館の入り口は荘厳な門のようでその横に認証機のような黒い台座があった。そこにカードをかざすと、門がゆっくり開く。周囲を確認し誰にも見られないよう、そそくさと中に入る。門はすぐに閉まるので入るまでが勝負である。
中に入ると自動的に明かりがつくように作られており、大量の本が棚に並んでいる。三フロア分は図書室になっている。
アルティオから渡された国立グラル学園の案内。結局入学することに決まってしまったのだが、まさか再び受験勉強をすることになるとは思いもしなかった。
でも、この図書室を調べてありがたいことに過去問が出てきた。
それを見た感じ、数学、いや算数の範囲は楽勝だ。言語科目、これは簡単に言うと国語だな。これも文章を読んで、あれこれ答えるだけで済みそうだからそこまで脅威ではない。大人でも考えそうなひねった問題もたまにあるが、時間があれば問題はないだろうという結論に至った。
社会系科目や理科系科目はなく、その代わりかどうかはわからないが、初級魔法学という科目の筆記試験があるようだ。なんとも魔法の世界らしい科目だ。初級魔法学は調べてみたところ、初歩的な無詠唱魔法や詠唱魔法、そして一般的な生活の中で使う生活魔法を学ぶ学問のようだ。勿論、ここで魔法がいかに危険なものかもしっかり学ぶ。
というわけで、入学試験時の筆記科目は算数、国語、初級魔法学というわけだ。
他の試験は、初級魔法学で学ぶ魔法がちゃんと発動できるかどうか試験官数人の前で実際に行うだけ。
九歳からの入学なので、約一年も受験勉強期間があるわけだがおそらくというか絶対そんなに長くはいらないだろう。
というか、もうすでに今受けろと言われても合格できそうな気がする。そもそも、受験にあたって確認しておかなければいけなかったことは、文字の確認と初級魔法学の確認の二つだけだ。
いくら答えが簡単にわかると言っても、違う言語の文字や数字を書いていたら正解にはならない。そのため、夏翔が認識している千年前の文字と今の文字がどう違うかの確認が必要であった。幸いにも、文字の形はほとんど同じで、一部変更があった程度だった。
そして、初級魔法の確認。初級魔法学で習う魔法は無詠唱と詠唱の水と風魔法。生活魔法は、主に魔法陣が主体でマッチの火のようなものを出すとても簡単な魔法陣や水を少量出すものなど、本当に基礎中の基礎しかなかった。読んだ本にはその魔法陣を今度は無詠唱で再現してみようとか書いていたが、夏翔からすれば朝飯前であった。
一年もあるのに数日で準備が九割方整ってしまった。これから復習は勿論何度も行うが、こうもすんなりいってしまうとつまらない。
何か別の時間つぶしか目標を見つけなければいけない。とりあえず今は、初級魔法学からどんどん発展していく魔法学とやらを読み進めてみるとしよう。それが終われば、また別の分野を虱潰しに見ていくとしよう。
この図書室にはそれを容易に可能とするだけの本がある。
千年で培われていった人類の知識を頭に詰め込んでいくとしようか。
黙々と本を読んでいるうちにすっかり夜になっている。没頭しているのでそのことに気付かないのだ。そのため、毎晩フィディースが呼びに来る。しかし、今日は呼びに来たのがフィディースではなかった。
肩を叩かれ、ビクッとなり反射的に振り向く。
「…なんだ、アルティオか…びっくりした」
「すまないね、数日間顔を出せなくて。ちょっと来れない用事があってね」
「そんなことは気にしないよ。それで?何か用事があるんでしょ?」
「君の戸籍の準備が終わって、晴れて君がこの国の国民になった報告」
「随分早いね。もう少しかかるかと思ってた。というか出生とかそのあたりどうしたの?」
「確かに転生者のそのあたりの事情は難しかったけど、そもそもナツトは千年前からこの国の住民だよね。千年前に作っておいた情報を受け継ぐ形で通した。厳重に守っているからそうそう簡単に勇者だ、とばれるようにはなっていないから安心してくれ」
「…まぁ、アルティオを信じるよ。…でもミューカに調べられたら終わるよね…」
「…そうだね。……じゅあ、彼女にバレないで無事に入学出来たら私たち二人の勝利ってことで行こう」
なんか、アルティオ千年でいろいろ変わったような…。どこかいたずらっ気が増えたような。千年もあれば娯楽に飢えるのだろうか。
「さて、戸籍に伴ってだね、親代わりとして君に名前を授けたいと思う」
「あぁ、そういえば明確な名前がなかったっけ」
「…とは言っても、名は変えずに私からは君の姓にあたるものを付けてあげるよ。これから君の名前は、ナツト・シャック・クルシャウトだ。人と自己紹介をするときは冒険者登録をしているシャックで通して、特別な時だけナツトと言えばいい。クルシャウトは前々からナツトに付けようと考えていた名前だ。この名前自身に大きな意味こそないが、私からすれば兄弟という意味合いなんだ」
「…ありがとう。名前を付けてもらうって恥ずかしいけど、こんなに嬉しいんだな」
僕、季空夏翔だった日本人はこの瞬間完全にこの星の住民であるナツト・シャック・クルシャウトになったのであった。
以前言ったように、ここから文中の「夏翔」の表記も「ナツト」になります。
さて、この4章からがこの作品の元になった原型のメモ書きがない部分になります。この先の展開も何にも縛られず自由にできるわけです。
これから一体どうなることやら…。
ちなみに4章は構成上、他の章よりかは長くなるかと。




