Ep.97 残るものなど
サハリィは魔術師の見た目からは想像できないほど超高速でナツトに突進する。ご丁寧に体の一部を液体に戻し、表面積を増やしてだ。
そして実際その動きは強い。体___いや、服の一部でも接触したら、そこから一気に食べられることだろう。そうなれば終わりだ。
そのため、ナツトは回避することを強いられていた。
脱核したスライムだ。勘ではあるが、下手に切断したらより面倒なことになりそうである。
触れずに倒す。やはりこれが一番安全だろう。
ギャンブル的なことは極力避けたい。
「風土水火放射」
とは言え、相手は魔力から生まれたとされる純魔。魔法の効きというのは今ひとつであった。通常のスライムであればオーバーキルで倒せていたであろう、今の魔法も数秒あれば元通りだ。
…スライムの体を構成するものは水と魔素である。比で言うならば前者が圧倒的である。そして、この魔の領域の環境。どこに行ってもジメジメとしており、まさにスライムにとってはうってつけの環境と言えるだろう。
体を失えば空気中の水分を使って元に戻せばいい。人間と違って実に簡単なことだ。
「麻痺霧」
サハリィが超高速で移動しながら面倒な魔法を使った。吸わずとも触れるだけで体が一時的に麻痺する危ない魔法だ。不思議とサハリィが起こす風には影響されずにその場に留まる仕様となっている。そのため、視界もどんどん悪くなる。
少しずつサハリィは戦い方が上手になって来ている。言うなれば体が慣れてきたと言うところだろう。
「う〜ん、結界が邪魔だね!」
未だ当たる気配も魔法を喰らう気配も無いナツトを見てサハリィが言った。
ナツトの予想通り、サハリィの魔法技術とスライムとしての戦い方が噛み合い出していることを何よりもサハリィが理解していた。
頭の中はナツトを食べることしか考えていない。食べるためにはどうすればいいのか考え、それを実行する。しかし、まだ届かないでいた。
そこでサハリィは何かしらのアクションが必要だと判断した。
杖を弓と見立てて弦は魔力により作り出す。杖もスライムで擬態しているものなので出し入れは自由だし、その硬さも自在である。しなやかに曲がる杖には、真っ赤に染まり中心部が朱色に光る矢が出来ていた。
「彗炎の一直矢!」
目にも止まらぬ速度で打ち出されたその魔法はサハリィオリジナルの必殺技であった。素早く準備が可能で、高速かつ高威力。幾つもの工夫が凝らされた魔法である。
バチバチと音を立てる若干黄色い霧の中を一直線に突き抜ける。
勿論その向かう先はナツトのいる場所だ。霧により視界不良。二メートル先もまともに視認できない程に霧は深い。そして、仮に魔法に気付けたとしても反射で対応できるほどのんびりとしたものでは無い。
サハリィは必中を確信し、鬱陶しい結界ごとナツトを貫いた様子を頭の中で想像した。
「風拓」
しかし、直後にサハリィに訪れたのは腹から感じる強烈な痛みであった。感覚で斬られたとわかった。驚愕であった。ここまでナツトに攻撃こそ当たらなかったが、サハリィもダメージは無しに等しかった。しかも、痛みを感じたのはスライムには効かない斬撃で、だ。いや、斬撃とひとえに言っても魔法を纏っているのだが、ここまでの痛みを感じるのは想定外であった。
しかも、意識的に治そうとしても全然再生せず、継続的に痛みが押し寄せる始末。
「上昇気流」
サハリィが痛みで立ち止まっている間にナツトは視界の邪魔であった霧を上空へと飛ばしていた。
最早、形振り構っている場合では無いとサハリィは理解したのだった。
「もう、許さないからね!!」
サハリィの体は若干青みがある半透明になっていた。体色を調整している魔力も勿体無いと判断したのだ。サハリィは体の中に押し込んでいた大質量の体を周囲に解き放ち、辺り一体を飲み込もうとした。
先ずは包む。直接襲いに行くのではなく、ナツトの周辺を地面も含め自身の体で覆い包むのだ。そうすればいくら回避が上手でも意味を成さない。どこか一点でも触れたら瞬時に全身に張り付き飲み込む。当然やわな魔法程度では突破出来ない厚みにする。
そして、サハリィの思惑通りナツトの周囲を完全に覆うことかできた。後は喰らうだけ。
そう思いサハリィは体を収縮させた_____瞬間にナツトは動いた。
「獄氷」
一瞬の出来事であった。サハリィの体は殆ど全てが水。ナツト周辺を中心として極力な冷気が発生した。ナツトを包んでいたサハリィの体は瞬間的に凍りつき、停止した。
そして、次いでナツトが放った風属性魔法により凍ったサハリィの体は粉微塵に切り刻まれた。
サハリィのこの動きはナツトが一番警戒していたものであった。人間では出来ないような関節を無視したぐにゃぐにゃした動きや突進は、最悪『権能;誘導』を使えばまず当たらない。そのため、近接になっても対処ができる最低限度の距離は常に取るようにしていた。
極力、強力な切り札は隠しておきたいが、切らずに終わってしまうとそれこそ本末転倒というもの。そのため、必要に迫られたらすぐさま使う。これが常にナツトが頭に置いている能力の運用基準だ。
そして、このサハリィの動きだが、これは確かにナツトを食べることができる方法であった。生半可な魔法では脱出は不可能であり、かと言ってその時点から強力な魔法を準備しても間に合わない。
だからこそ、ナツトは戦闘開始時からこの状況を想定した魔法を準備していたのだった。
「こ、これぐらいでは私は殺せないわよ!」
芯まで凍らしたつもりであったが、予想以上に解けるのが早い。まぁ、微塵切りにしたから解けやすくなっただけかもしれないが。
「もう、遅いよ。___これで、お終い」
魔水縁間破壊結界。
凍獄と同時並行でナツトが準備していた魔法である。以前に対スライムを想定して作った対スライム結界である。結界内の指定した魔力の所有者以外の魔力と繋がりのある水に対して作用する結界だ。魔力と水の繋がりを破壊し、分離させ大気中へと放出させる。同時にスライムに再生の余地を与えないように元々あった大気中の水蒸気も結界外へと追い出すようにしておいた。完全に湿度0 %というわけでは無いがほぼそう見なすことができる。
利点は結界内の温度を変える必要がないこと。通常、スライムを倒すならば火属性魔法などで高温化を作り出し、蒸発させるのだが、これでは術者も巻き込まれる危険がある。この結界はそれがなく、術者に優しい。
しかし、欠点もある。発動が遅く、気付かれたら結界内に捉えることは困難であるだろう。今回は先程上空に飛ばした麻痺霧の中にこの魔法を忍ばせ、発動までの時間稼ぎをしたのだ。
結果は上手く嵌り、今に至る。
「アッ………」
掠れるような叫び声と共に、目の前に広がっていたスライムが霧散していく。水を失ったスライムは魔力のみの存在となり、その場合魔力を留まらせることが困難となり、生命活動が不可能となる。そうなったスライムは失った水に続いてその魔力を大気中へと拡散し、消滅する。
完全に消滅した事を確認したのち、ナツトは結界を解除した。
その場には何も残っていない。ナツトは何も言わずシュルベルトのいる方へと歩き出した。
周囲には遠くの方で戦いによって起こされたと思われる音が木霊していた。




