ごめんなさい悪気はないのよ
ファロ男爵家と言われても、ショコラには覚えがない。父のエリオットの取引相手だったりするのだろうか。もしくは弟のブランの知り合いなのか。ブランは姉の目から見ても顔は良いし、成金とはいえ伯爵家跡取りなので、正直とっても優良物件である。まあ弟はちょっとばかり変わっているので、一夜の過ちで男爵家のお嬢さんに手を出したりなどしない筈だけれども。
心当たりがないという顔のショコラに対し、ロクサーヌは焦れたようにテーブルを叩いて立ち上がって詰め寄った。
「アンタの父親が名門シュゼット家との縁欲しさに潰した家よ!!」
「あらまあ」
父は別にシュゼット家なんてどうでも良いのだが、周囲にはそうだと思わせているのだった。となればネリーは平民になりたがっていた男爵の娘なのか。けれども彼女は、そこそこ繁盛している商会の人間に嫁げるように手配したと思ったのだけれども。
平民になりたいと言っておきながら、実際になってみたら嫌だったのかしらとショコラはネリーを見た。するとネリーはショコラの視線を受けて、ビクっと体を震わせる。
「十五も年上の男に身売り同然に嫁がせようだなんて、信じられないわ! ネリーは私の従姉妹に当たるの。おじ様は爵位を返上なさってしまって行方不明だし、ネリーだけでもと私の家で保護したのよ。…流石は金の亡者、親子共々とんでもなく図太い神経の持ち主ね」
世間知らずな貴族の娘を迎えようとしてくれている心の広い御方なのに、酷い言い様だ。商会の仕事が出来なくとも良い、出来る範囲で贅沢もさせようという、かなり良い条件なのに。政略結婚する貴族だって、それくらい歳の離れた相手に嫁ぐ事だってあるというのに。
何だろう、平民になれば自由に恋愛出来るとでも思っていたのだろうか。でも自由ということは、優良な相手ほど早く結婚して居なくなるという事でもあるのに。ネリーくらいの年齢だとやはり行き遅れとなり、好条件を探すのは一苦労なのだ。
それを年齢だけで気に食わないからと逃げ出すだなんて、憧れと現実の違いでショックでも受けたのかしらと、ショコラはネリーを見ながらため息を吐いた。
「…それで、ロクサーヌお嬢様。私に何を言いたいのかしら? それとも私のお父様であるブノワ伯爵に伝えて欲しい事があるとかでしょうか。ファロ男爵家の事業を横取りして潰した恨みがあると言えばよろしいの?」
頬に手を当ててショコラが言えば、ロクサーヌは激昂した。なんとも気性の荒いお嬢様だとショコラは肩を竦める。
「ロクサーヌ、落ち着いて頂戴。…ショコラーテ夫人に言っても仕方のない事でしょう。ごめんなさい、夫人。ロクサーヌは家族想いなだけで、悪気はないのよ」
「そんなヘルディナ様が謝るだなんて…っ!」
ヘルディナの言葉にロクサーヌは慌て、そしてショコラは表情こそ変えなかったが気分を害した。
悪気がなければ、ショコラと父エリオットを貶して良いとでも思っているのかしら。
「それで、ネリーさんは私に何か言いたい事があるから、ロクサーヌお嬢様やヘルディナ様を頼ったのかしら」
「いっ、いえ、わ、私は…、その」
スカートの裾を握りしめ、ネリーは俯いてしまった。そしてそれを庇うようにロクサーヌが、シュゼット家との結婚の話よと言った。
「最初はヘルディナ様から我が家に打診があったの。ファロ男爵家は寄子だから、アラン・シュゼットの婚約者にネリーをと言う話がね」
それはショコラも知っている。しかしそれはしっかりとした契約書を結んだものでもなく、そしてシュゼット家に伝えられた話でもない。ヘルディナが勝手に動いていただけである。まあ第二王子としてはアランを結婚させてヘルディナから遠ざけたい思惑があっただろうから、黙認していたようだけれど。
「ヘルディナ様がアラン・シュゼットの妻にと望んだのは、貴方ではなくネリーなの」
ショコラはお茶を一口飲み、あら美味しいと呟いた。先程から聞いているのだが、全くもって戯言ばかり。ショコラは親しい友人とお話しするのは好きだが、年下の弁えない娘の相手は好きではなかった。何せ人の悪評というものだけで判断し、自身に正義があると思って疑わない。だからこそ、ショコラに何をしても良いのだと、勝手に勘違いする。
それではいつか痛い目に合うだろう。そう、今この時とかに。
ショコラはカップを置くと、ヘルディナに向かって言った。
「ではヘルディナ様、今から皇太子殿下に謁見を申し込みますので、それから今回の件に関して返答いたしますわ」
無視された形になったロクサーヌは、眉を寄せている。話を振られたヘルディナも、目を瞬かせてどういう事かとショコラを見詰めた。
「私とアランの結婚は、皇太子殿下が取り持ったのですわ。結婚誓約書に、わざわざ王家の許可がという一文を入れるほど熱心に目を掛けてくださった結婚ですの。それくらい、毎日お茶会を開いておしゃべりに興じているヘルディナ様もご存知ですわよね。私は、皇太子殿下が認めて望んだアランの妻なのです。それを不満に思い、自分が推した平民の娘が良いというのならば、私ではなく皇太子殿下に不服を申し立てて頂かないと。謁見の間でちゃんとお話しくださいませ。弟のように思っているアラン・シュゼットの妻は、平民のメイドくらいが相応しいのだと」
「ネリーは貴族の娘よ!」
「今は平民で、メイド見習いでしてよ、ロクサーヌお嬢様。何の後ろ盾もない、ただの平民。ねえあなたには何が出来ますの? 見ればメイドとしてもろくに働けないのではありませんか。その綺麗な手。洗濯一つ、掃除一つもしていないのでしょうね。従姉妹だからと甘やかすのならば、メイドとして雇うのではなく、バロー伯爵家で養女として迎えればよろしいだけですのに、それもしないだなんて、中途半端な同情ですわね。まあ伯爵は娘が気に入っているだけの、厄介な親戚の娘を迎え入れて養育し、持参金をつけて嫁ぎ先まで世話をする気はないという事かしらね。バロー伯爵も娘の我儘に振り回されて大変ですわね。同情いたしますわ」
顔を赤くしたロクサーヌだったが、言い返す言葉が見つからない様だ。
「あらまあ、もしかしてネリーさんに、伯爵家に迎え入れたという恩だけを売って、良い顔をしようとしていたのかしら。それだったらばごめんなさい、ロクサーヌお嬢様。私、悪気はなかったの。お許しくださいね。ヘルディナ様も知っていらしたのなら、教えてくだされば良かったのに」
ショコラは頬に手を当てて申し訳ないと言わんばかりの表情を浮かべた。
「……ふざけないで!!!」
ロクサーヌは徐に立ち上がると、目の前の茶器をショコラに投げ付けようとした。だが流石に、第二王子妃の前でそれは許される事なく、控えていた女官達が駆け付けてロクサーヌを抑えた。
「なんて事! 気に入らないからって、ヘルディナ様に向かって茶器を投げつけようとするだなんて…っ!」
ショコラの言葉に、事の成り行きを見守っていたヘルディナの顔が一瞬で蒼褪めた。そしてすぐにそんな事はしていませんと訂正する。
「いけませんわ、ヘルディナ様。いくらお友達だからって、そのように甘い対応をしていたのでは…。いえ、今まではそれを許されていたのでしょうけれども。私はロクサーヌお嬢様の友人でもありませんのよ。初対面の、それもヘルディナ様に面会に来ただけの私に、王家が望んだ婚姻に難癖をつけた上に、気に食わないからと第二王子妃に八つ当たりをするだなんて…。このままではバロー伯爵家の評判に関わりますわ。友人ならばこそ庇ったりせず、ちゃんと謝罪するようにお話下さいませ。これは王家に忠誠を誓うからこその、諫言だとお思い下さいませ」
深々と頭を下げるショコラと、女官数人に押さえられても尚喚くロクサーヌ。
ショコラとアランの結婚は皇太子殿下が取り持ったのは、ヘルディナもちゃんと理解していたのだろう。だからこそ、ロクサーヌとネリーを紹介した後で、会話が聞こえないようにとさりげなく女官やメイドを下げさせていたのを、ショコラは見逃さなかったのだ。
結局、騒ぎになってしまった為、お茶会はそのまま終わりとなった。ヘルディナは気分が優れないからと女官に囲まれて連れて行かれ、ロクサーヌとネリーもやはり女官に囲まれどこかに連れて行かれてしまった。
残されたショコラは肩を竦めると、近くに控えていた女官に声を掛けた。先程預けたバスケットを持ってきてもらい、夫であるアランの働く資料室へと案内してもらう。時刻はちょうど昼時で、朝食を食べなかったアランの為にと、二人分の軽食を包んでもらっていた。
一般公開されている王宮の庭園で、アランと一緒に食べるつもりで、ショコラは王宮を訪ねていたのだ。