まずは家のお掃除を
離れの扉を叩く音でショコラは目覚めた。
爽やかな朝の光に、今日も良い一日になりそうと笑みを浮かべるが、直ぐに扉を叩き続ける無粋な音に顔を顰める。
何事かしらと身支度を整えてから顔を出すと、焦った様子のメイドが外に立っている。ちなみに身支度にかかった時間は、一時間程。これでもかなり急いだ方であった。
「何かしら?」
「ブノワ伯爵から届け物だと…」
「ああ、届け物は全部ここによこしてちょうだい」
ショコラの言葉に、メイドは唖然としていた。どうしたのかしらと首を傾げると、それはちょっとと言われてしまう。
「あら、どうして?」
昨日の執事見習いから、主屋敷に入らないように言われているし困ったわと、ショコラは眉を寄せる。そしてメイドの他には誰もおらず、勿論アランの姿はないので、ショコラは残念そうに肩を竦めた。
昨夜のアランはとっても可愛かったので、是非に朝も会いたかったのに。ショコラは頬を染めて吐息を漏らす。
昨夜、水差しとコップを持って物音がした部屋に戻ると、そこはショコラが望んだ通りの惨状が起こっていて。アランは自分の身に起きた事が信じられないようで、青くなって呆然としていた。
成人をとうに迎えた男が、今にも泣いてしまうんじゃないのかと思う程に、情けなくも居た堪れない表情を浮かべていて。
ああ本当になんて可哀想なの。
アランの姿に胸を高鳴らせながら、ショコラは甲斐甲斐しく世話をした。汚れたズボンと下着を洗ってあげたのだ。アランほど気位が高いと、使用人に知られるのも屈辱だろう。
ショコラは夫を思いやれる優しい妻なのだ。
それからアランには、ショコラの母親から贈られた夫婦お揃いのガウンを羽織らせてあげて、動けるようになったアランを主屋敷へと帰してあげたのである。
ショコラはちゃあんと夫を思いやれる、優しい妻なのだから、無理矢理に肉体関係を持ったりはしないのだ。
帰りがけにアランは唇を震わせて、何か言いかけていたけれど、結局何も言えずに逃げるように去ってしまった。次顔を合わせたら、どんな表情を浮かべてくれるのかしらと、ショコラは楽しみにしていたのだけど。
「……何をしてるの! 早く来なさいと言ったでしょう」
せっかく楽しい気分に浸っていたと言うのに、それを台無しにされてショコラは僅かに顔を顰める。
佇むショコラの目の前までやってきたのは、シュゼット伯爵の妻クロエだった。ショコラにとっては姑になるわけだが。
「あら、おはようございます、お義母さま」
「ブノワ家から届け物だと、馬車が何台も来ているのです。どういう事なのです!?」
挨拶をしたが軽く無視をされ、ショコラは余裕がない女って嫌ねと頬に手を当てて困った表情を浮かべた。
「どういう事とは? 私の荷物が届いただけでしてよ。これでも厳選しましたの、荷馬車たった五台程に纏めましたわ。ふふふ、お母様からもちょっと少な過ぎないかと心配される程少なめでしてよ。室内用のドレスとちょっとした日用品ですわ。ああ、家具類は今日の昼頃に届けられますので」
夜会などの場で着るためのドレスは、新調する予定なので持ってきてない。午後のお茶の時間より少し前に、懇意にしている店の者が訪ねてくる予定だ。せっかくだからアランの目の色と同じ若草色のドレスやアクセサリーを作ろうとショコラは思った。
「…お前の荷物だという事は理解しました。けれど、それを運び入れる使用人などおりませんよ」
眉を寄せたクロエが、ショコラに冷たい声色で言い放った。それに対しショコラは、大丈夫ですわと姑に笑顔を向ける。
「シュゼット家が困窮しているとは聞いていましたので、使用人の数が足りないのも、質が悪いのも仕方のない事ですわ。ご安心なさって、私が来たからには、まともに働く使用人を手配致しましょう。ああ、私の荷物と一緒に、取り敢えず何名かの使用人も来た筈ですから」
ショコラの言葉に唖然とし、そして理解するとクロエは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「何を勝手に…! この屋敷を取り仕切るのは私の役目です。使用人を増やすなど、お前が勝手にして良いわけないでしょう!!」
「あらまあ」
「新しい使用人など認めませんからね」
「あら、まあ。これはおかしな事を言われるのね、お義母さまったら」
ショコラは扇子で口元を覆い、そして肩を震わせて笑った。
「良くお考えになって? シュゼット家は借金まみれでしてよ。事業の失敗、そして莫大な慰謝料。それを肩代わりして融資するのは、どこの誰でしたかしら。その安物のドレスと宝石を売ったとしても、ひと月分の生活費にもなりませんわ。精々借金の利子の足しになるくらい。領地の税収でも賄えない状況なのは、女主人なら知っておいででしょう。私の持参金がなければ、使用人に払うお金なんてありません事に」
「なっ……!」
怒りから咄嗟に手を上げたクロエに、ショコラは扇子の先を突き付けた。そのまま叩きつけても良かったが、相手はアランの母親である。優しくしてあげなければねと、ショコラは口角を釣り上げた。
「屋敷を取り仕切ることになんて興味はありませんから、雑事はお義母さまにお任せしますわ。ああ、新しい使用人の中には信頼できる有能な執事がおりますので、お金を使いたい場合は、そちらに言ってくださればよろしくてよ」
シュゼット家はお金目当てであり、ショコラにとやかく言われたくないのだろう。ならば素直に従ってあげるべきだ。ショコラに対して誠意ある態度をとってくれるのならば、お金くらい好きに使ってもらって構わないのだ。
「そうそう、お義母さま。シュゼット伯爵家の夫人として、まともなドレスとアクセサリーを身に付けて下さいね。それくらい、私の母が経営しているマダム・ルリージュのお店から融通して差し上げますわ。ああ、あと昨日の執事見習いやその他の使用人。貴族に敬意をはらう事も出来ないなら、もっと適正のある職場で働かせてあげるべきでしょう。そうでもしないと名門シュゼット家の恥でしてよ」
早速手配してあげますわと、ショコラは親切にもクロエに申し出た。何故だか憎しみの篭った眼差しで睨まれてしまったが、構う事なくショコラは言葉を続ける。
「お義母さま、…お礼の言葉くらいは言えまして?」
ここまで優しくしてあげたのだから、せめて感謝の言葉の一つや二つ、ちょっとくらいは欲しいものである。だがクロエは、奇声を上げその場に卒倒した。こめかみに血管が浮き出ており、口から泡まで吹いている。
「お、奥様! 奥様!!」
「あらまあ、どうしましょ。困ったわねぇ。突然倒れるなんて、何か病気かも知れないわ。何処か空気の良い場所で療養した方が良いわね」
医者と一緒に手配して頂戴と、ショコラは中庭にやってきた老齢の執事に言った。執事は心得たように畏まりましたと一礼する。
やはり、ちゃんとした使用人は良いものだわとショコラは満足した。
「何を勝手に…! いきなり入ってきてどう言う事!?」
甲高い声が響き、妙齢のメイドがやって来た。
倒れたクロエを介抱しているメイドに退けと言うと、奥様と声を掛けている。特に何かするわけじゃなく、部屋に運ぼうとするわけでもない。
意味のない行動に、本当に使えないわとショコラはため息を吐いた。
「奥様に触れないで、無礼者…! 私はメイド長のマンディです。いきなり入ってきた部外者が、何をするというの!? 衛兵を呼ぶわよ!!」
「部外者ではないわ、今日からシュゼット家で働く使用人よ」
「奥様や旦那様からは何も聞いておりません。それに今は、あなた方に構っている時間はないのです。さっさとそこの連中と出て行って!!」
「あらそう、ではお前は出ておいき」
「なっ…!?」
どうもシュゼット家にいる人間は、ショコラの立場を中々理解してくれない。教育が行き届いていないのは、本当に困った事だ。
ショコラは寛容な心の持ち主である為、使用人が何ら粗相をしても、多少の無粋な言動も許す事が出来る。だが、自身に地位や権力があるわけではないのに、勘違いしてその力を振おうとする輩は、大嫌いであった。
そう、目の前のマンディのように。
 




