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海を渡りて

 魔都ハイロンと呼ばれる、海を渡った先にある西の大陸の植民地で、シャオピンは生まれた。貧しい現地住民の親に売られるようにして出された奉公先で酷い目に遭い、死にかけていたところを現在の主人に拾われた。

 シャオピンを拾って召抱えてくれたのは、海を越えてやってきた西の大陸人で、とても裕福な商人の家だった。家長であるインヤンはとても有能で、なんでも蒸気機関というすごいものを開発した科学アカデミーの出資者であり、その功績で子爵という位を賜ったそうだ。

 しかしながらインヤンは、やけに絵になる口髭を撫でながら、そういうのは柵が多くて面倒なのだよと笑っていた。よくわからなかったシャオピンが首を傾げていると、インヤンの妻である大奥様が笑いながら、色々と付き合いが増えて大変なのよと教えてくれた。


「人付き合いというのは大事だけれど、大体は見栄の張り合いでね。下手に出れば舐められる、上手に出れば潰される、そういうところでもあるの。親切な人も確かにいるし、誠実な人も存在するわ。でも本当に少数なのよ。旦那様がただ商売だけをしたい、私がただ服だけを作りたいだなんて言っても、信じてもらえなくって本当に面倒」


 お茶を飲みながら大奥様は肩を落としたが、どこか楽しげだった。ハイロンにやってきてからは、そういった付き合いが減ったので、思う存分に服を作れるのだと教えてくれた。

「それにこのハイロンで手に入る絹は、とても上質だわ。旦那様が絹糸を生産している村をお買い上げになってくれたおかげで、いくらでも手に入って本当に最高よ」

「ははは、愛する人に欲しいと強請られたら、買ってあげたくなってしまうのが、心情じゃないか」

「…もう、旦那様は本当に情熱的ね」

 大旦那様と大奥様は、いつも仲睦まじい。一番最初の奉公先での大旦那様と大奥様は喧嘩ばかりで、最終的に使用人に当たり散らすのだから、どちらが良いかと言えば、断然こっちである。

「さてそろそろ仕事の時間だ。今日も頑張って金稼ぎに勤しむとしよう。シャオピンもそろそろ、こっちの仕事を覚えても良さそうだからね。一緒に行こうか」

「はい、大旦那様」

 文字の読み書きが出来なかったシャオピンは、召抱えられてからというものそう言った教育を施された。勉強が好きなわけじゃなく、文字の読み書きや計算を覚えると自身の待遇が良くなったから、必死で覚えたのだ。

 インヤンはそんなシャオピンを良い子だと褒め、商売に関する事を教えてくれるようになった。


「いいかい、商売の基本はね。欲しい物を欲しい人に、適正な価格で売る、という事だよ。誠実な取引が一番だからね。そしてもう一つ。売り手側は時と場合によっては、別の者として振る舞う事もあるんだよ」


 誠実な取引とは一体と、シャオピンは不思議に思った。だが別に値段を不当に釣り上げたりするわけでもないらしい。


「そうだなあ、王様の息子が二人いたとするだろう。第一王子と第二王子。二人は仲が悪くって、片方に近寄れば片方から遠退けられる。けれど商人としては、どちらにも売りたいだろう。そっちの方が儲かるからね」


 だからと、インヤンは笑いながら言った。


「私が第一王子に商売をしたとしてだ。私という存在を別の人間に変えて、第二王子と商売をすれば、どうなると思う?」

「……そのうち、どちらかの王子様に潰されるとかですか? だってお互いにその商人の存在は目障りだ」

 シャオピンの答えに、インヤンはその通りだと頷いた。

「そうなる前に、私達商売人がやる事はだね。別の商売する相手を見つけておく、という事だよ。常に新しい顧客を開拓していかなければね。要するに、その二人の王子様がいる国とは別の国で、新しい商売をしておくという事さ」

 どんな国であっても金さえあれば、必要なものは大抵買えるのだよとインヤンは言った。そして人殺しや恐喝など、おおよそ他者から嫌われるような事さえしなければ、命は取られる事はないとも。


「命だけはね、金で買い戻すことは出来ないからね。ただし、安全は金でどうとでもなる事はある」


「…それは、お嬢様の旅行の件ですか?」


 大旦那様と大奥様には、娘がいた。シャオピンを拾ったのもその娘であるチャオコーリーだったし、可愛がってくれたのも彼女だった。

 緩い癖のある黒い髪を持ち、下がった目尻には黒子が二つ。すらりと伸びた鼻筋に肉厚の唇、そして艶黒子が一つ。どこか妖艶さを感じさせる美しい顔に、張りのある大きな乳房にくびれた腰、そして程よく肉付きの良い尻。シャオピンは生まれてこの方、こんなに綺麗な人を見たことはなかった。


 そんなチャオコーリーは船に乗って海を渡り、西の大陸へと旅立っている。

 なんでも事情があって離れて暮らしている夫を迎えに行くのだそうだ。ハイロンの屋敷にはすでに、その夫を迎え入れる為の部屋が用意されている。出掛ける前のチャオコーリーは上機嫌で、鼻唄を口ずさみながら、シャオピンに私の夫は庭いじりが好きだから是非に付き合ってあげてねと言っていた。


 彼女が乗る船をインヤン直々に吟味し指定していた。運営している会社をさりげなく視察して、かなり念入りに調べていた。そこまでするかと思ったが、ハイロンに渡ってくる時も同じ事をしたのだと、チャオコーリーは教えてくれた。

 ちょうど海の向こうでは、最新の蒸気機関を積んだ船が出来たらしい。インヤンがわざわざ取り寄せて読んでいる新聞に書いてあり、そちらの方が早く行き来できるというのに、チャオコーリーには勧めなかった。

 科学アカデミーに出資しているのにどうしてと聞くと、新しい技術には期待しているが、安全というものに関しては期待していないからねと言った。

「この新聞にはね、皇太子夫妻が国家事業とし、威信をかけた最新の蒸気船を建造とある。良いかい、こういった権力が絡むと、間違いなく碌な事が起きない。国の威信なんてものは、あらゆる余計な重責を全ての人々に与えるからね。それにこの船を建造した国は、蒸気機関を作り上げた科学アカデミーとは別の国だよ。さあて、どうなるかなぁ」


 インヤンのその言葉通り、一月ばかり遅れてやってきた西の大陸の新聞に、その蒸気船が沈没した記事が載っていた。何人もの人が亡くなったとあり、一体どうなるのだろうとシャオピンは気になったが、すぐにそれはどうでも良い事になった。

 チャオコーリーが長い船旅を終えて、夫ともに屋敷に帰ってきたからだ。


 初めて見るチャオコーリーの夫は、西の大陸人の特徴そのままであり、整った顔立ちをしていた。けれどもそれを損なう酷い火傷が、顔の右側にあった。杖をついており、足を引きずっている。服の隙間から見える肌にも火傷があって、右側全てがそうなっているのかもしれないと思った。

 そしてこの大陸の言葉をあまり理解していないらしく、チャオコーリーは西の国の言葉で話し掛けていた。その口調が軽やかに楽しげに彩られていて、夫もまたそれに頷いたりしている事から、二人の仲は大旦那様達のように睦まじいのだと思えた。


 屋敷にやってきたチャオコーリーの夫は、よく魘されて暴れる事があった。だがそういうときはいつも、チャオコーリーは夫を優しく胸に抱きしめて、その頭を幼子のように撫でる姿が見られた。

 そして西の国の言葉で、優しく何かを語りかけるのだ。


『私は貴方を愛して差し上げますわ。だってこんなに、可哀想で可愛いのだもの』

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