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全てを燃やして

 目の前で炎が揺らめいている。

 何が起きているのか、もうずっとアランには理解が追いつかなかった。

 だからアランは、ショコラが別れの言葉を口にした時も、すぐさま反応が出来なかった。

 気が付いた時には既に、ショコラは屋敷の門を出て行ってしまっていた。慌てて追いかけるアランは、ショコラに行かないでくれと縋ろうとした。

 だがショコラは、アランの手を押し留めて、憂いを含ませて言った。


「アラン様、貴方を心配して下さる方がいらっしゃいますでしょう。私の事など、気に掛けてはいけませんわ。それに……」


 それでも尚、アランはショコラに追い縋ろうとした。だがそれは、屋敷の前へと辿り着いた馬車に遮られてしまう。馬車から降りてきた男が、アランの名を呼び止めたからだ。


「アラン…!」


 忘れたくとも忘れられないその声に、アランは身体中が軋んだような錯覚に襲われた。嘘だと何度も思いながらも振り返れば、そこには市井の娘と駆け落ちした筈の兄、フェリクスの姿があったのだ。

「……兄さん」

「ああ、アラン! 無事だったか? 屋敷を辞めさせられた使用人から手紙が届いて、お前が意にそぐわぬ結婚を強要されたと聞いたんだ。父様や母様は、家が困窮しているから仕方ないと言うが、それでも心配で…。でも安心して良いぞ、私は隣国の科学アカデミーで働いているんだ。そこでそれなりの地位に就いているから、金の事はもう…」


 何を。


 一体何を言っているのだと、アランは立ち尽くした。目の前にいるフェリクスは、アランは家に縛られる事なく好きにに生きて良いのだと、そう言っているのだが、全くもって意味がわからなかった。

 今までアランは、常に生き方を強要されてきた。

 嫌だと言っても、誰も聞いてくれない。貴族の子供に生まれたのならば、家の為に己を犠牲にするのは当たり前なんだと、そうアランに教えたくせにだ。それでも長男よりはマシだと誰もが言ったが、フェリクスが両親に反発ばかりしていたから、アランにその皺寄せが来ていた。


 フェリクスの代わりに、なんとしても政務官になれと父から重圧をかけられた。貴方だけは良い子でいてねと、母は常に言い募った。


 その通りにした時にだけ、アランはほんの少しだけ両親からの歓心を買うことが出来たのだ。二人の関心の殆どは、反発しているフェリクスに向けられてばかりだったのだ。だからこそ、アランはずっとずっと、好き勝手にしているのに、両親から気に掛けられているフェリクスが、とても羨ましかった。

 あんなに優しくて綺麗な婚約者がいて、両親からも常に気に掛けられていて、そして容姿も優れていて誰からも賞賛されていて。


 それなのに何が不満なのだろうと、アランはフェリクスが理解出来なかった。兄弟仲はそこまで悪くなかったのは、理解出来ない存在にアランが一歩引いて付き合っていたからこそかもしれない。


 フェリクスが駆け落ちして行方不明になった時、これからはお前がシュゼット家を守るんだと両親から言われた。ショコラとの結婚に反発はしたものの、それでも自分が跡取りになるのだとも思ったから、一時は受け入れた。

 でも結局、フェリクスが廃嫡されることもなく、アランは次男のままで、シュゼット家の跡取りにはならなかった。それを知って、ショコラとの結婚が嫌で嫌で堪らなくなってしまった。

 なぜ仕事も結婚も強要するくせに、アランをシュゼット家の跡取りにしてくれないのか。反発して出て行った兄を、どうして両親は捨て去ってくれないのか。

 その嘆きをショコラへの反発心に変えて、ひどい態度を取ったというのに。最近になってそれをショコラに打ち明けると、謝る事が出来るなんて良い子ねと、アランを胸に抱き頭を撫でてくれた。そして囁くのだ、そんな貴方を愛して差し上げますわと。


 その言葉に含まれた意味に、アランは漸く気付いた。


 アランは、ショコラ以外からは愛されていないという事に。


 両親はアランを都合の良い愛玩動物か何かだと思っているのだ。それはそうかもしれない。だってアランは両親に愛して欲しくて、彼らの望むように振る舞ったのだから。

 けれども両親は、アランを一番にしてくれない。結局はどんなに意にそぐわない事をしていても、フェリクスが大事なのだ。もしアランがフェリクスと同じような事をしたら、間違いなく勘当されるだろう。

 そしてそれはヘルディナにも言えた。彼女に愛して欲しくて、アランは己の感情を押し殺し付き合っていた。ヘルディナの話に共感できなくとも、レオナールの話なんて聞きたくなくても、それでもアランはヘルディナと一緒に過ごしたいから、全てを我慢した。アランがほんの少しでも、ヘルディナに対して己の気持ちを押し付けたのならば、彼女は二度とアランを側に近付けたりはしない。

 弟のようなふりをしてようやく、一緒にお茶を飲むことが許されるのだから。

 そしてヘルディナは、アランの気持ちに向き合う事もなく、第二王子と結婚してしまった。フェリクスが出て行って、アランと婚約をという話が出た時、勘違いでもなんでもなく、ヘルディナはそれを受け入れようとしていたのにだ。


 両親もヘルディナも、結局アランを選ばない。


 ショコラーテだけが、アランを望んで選んだのだ。


 なのに、それなのに。

 どうして唯一の存在を、アランから無神経に奪おうとするのだろうか。


 アランには、誇れるものが何もない。政務官になるために励んだ勉強は、必死に詰め込んだだけのもので、アランに身に付きはしなかった。覚えたくて覚えたものじゃなかったからか、試験に合格してからはそれらの知識は忘却の彼方だった。

 フェリクスは科学アカデミーでそれなりの地位に就いたと言った。蒸気機関に夢を見て、自身で設計図なども書いていたのをアランは知っている。それを見てもアランは理解すら出来なかったのにだ。


 なんでも持っているフェリクスには、何も持っていないアランの事など、決して理解出来ないのだ。


 悪女と言われる彼女だけが、アランに心地よい毒のような甘い愛を与えてくれる事に。



 

「…フェリクス!!」

「なんてこと、なんて事を…! アラン、一体何を」


 両親の悲鳴で、アランは自身が衝動的にフェリクスを殴った事に気が付いた。

 地面には何が起きたのかわかっていないような顔をしたフェリクスが、頬を腫らして目を見開いている。

 周囲を見渡しても、もうショコラはいなかった。どこへ行ったのかすらわからないし、両親やレオナールの口ぶりからして、ブノワ伯爵家へと行ったところで、彼らはいないだろう。

「…アラン、お前」

 フェリクスの声を聞いていたくもないし、それよりもとアランは再び中庭へと駆け出した。ショコラならば、何かあった時の為になんらかを残しているような気がしたからだ。


 しかし彼女好みに改装された離れにあった家具は、中庭で燃えていた。幼い頃は植物学者になりたかったと言ったアランの為に、それなら一緒に庭いじりをしてみませんかと、買ってくれた鉢植えさえ割られて捨てられていた。

 両親の代わりに、アランの世話をしていたマンディが、嬉々として炎の中に投げ込んでいる。今思えば、たかがメイドが乳母がわりにアランを育てるだなんておかしい事だ。困窮しているとはいえ、アランは伯爵家の次男だというのに、幼少時からまともに扱われていなかったのだと、笑いが込み上げてくる。


 狂ったように笑い出したアランに、マンディは手を止めて、まるで化け物でも見るかのような視線を向けてきた。

 けれどもアランはそれを気にする事なく、燃えている炎を見つめた。 


 ショコラには少女めいた一面があって、アランとお揃いのものを身に付けたがった。服やアクセサリー、そして下着まで()()()()()()()()に仕立てたのだと、嬉しそうな顔を浮かべるくらいに。

 それら全てが、燃えている。ショコラーテとまともに言葉を交わすことすら出来ず、思い出すら炎に焼かれて。


 その炎の中に、ショコラがお揃いだと贈ってくれた若草色の宝石をあしらったタイピンがある事に気付いたアランは、躊躇う事なくその手を伸ばしたのだった。

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