夢が終わる時
何故か真っ青になったヘルディナを親切に気遣っていると、皇太子となったレオナールが慌てたようにやってきた。
「…ヘルディナ、大丈夫か」
「レオナール様」
ヘルディナが浮かべたのは安堵ではなかった。何せレオナールの後ろには、シャルロットが控えていたからだ。先程ショコラが言ったことは、ただの推測でしかない。けれどもどう転ぶかわからないのが、男女である。ましてやレオナールとシャルロットは正式な夫婦となってしまったのだ。最初に結婚したのがヘルディナであっても、彼女は第二妃となったのだから。
ヘルディナの様子のおかしさに気付いたであろうレオナールが、ショコラの方へと視線を向けた。
表情こそ険しくはないが、その目は何をしたと言わんばかりのものであった。
ショコラはあら怖いと肩を竦めた。ヘルディナが心配なのは仕方ないとはいえ、他者をそのような目で見るのは如何なものか。
「ヘルディナが世話になったようだね、ショコラーテ夫人」
「お気になさらず、レオナール皇太子殿下」
「しかしだね、ショコラーテ夫人。貴方はもう少し、ご自身の事を知っておいた方が良い」
それはどういう事だろうかと首を傾げると、嫌悪を隠さぬ顔で言った。
「リチャードの愛人だったという噂まである貴方だ。リチャードが皇太子でなくなった腹いせに、ヘルディナに余計な心配をさせるような事を言ったんじゃないかな?」
「あらまあ、私とリチャード殿下は、それなりに親しいただの友人でしてよ」
それにと、ショコラは心の内で付け加える。リチャードが恋慕しているのは、ショコラではなく別の女性だ。今までは皇太子という身分のせいで、口説く事すら出来なかったようだけれども。相手側も悪く思ってはいないようだから、あの二人はきっと、これから愛を育むかもしれない。
ともかく、ショコラには本当に親しくしていた男の友人は幾人といれども、アランと結婚してからは連絡すらとっていない。ましてやリチャードはその本当に親しくしていた友人達よりは、親しくしてはいないのだから。
「その様な詭弁、幾らでも言えるだろう。ショコラーテ夫人、はっきりと言っておこう。この王国の社交界には、貴方のような女性は相応しくない」
「…あらまあ」
「ここにいる貴方は知らない事だろうが、…ブノワ伯爵には脱税や横領の疑いが掛かっている。もっとも殆ど確定していて、後は爵位の返上を求めるだけになっている」
「あらまあ、そんな」
ショコラは扇子で口元を隠しながら、驚いてみせた。リチャードを王宮から追い出した日に、ブノワ家自体を潰そうとするとは。
いや、今までリチャードという歯止めがあったが、それがなくなったが為の蛮行だろうか。王宮のゴタゴタなど、ショコラには興味はないが、しかし巻き込まれてしまっているのならば、仕方ない。
「…それで、レオナール皇太子殿下は、私にどうしろと仰るのかしら」
「貴方はブノワ伯爵家が手掛ける事業には一切関わっていないと、調査をした誰もが証明していた。貴方と妻ルリージュは、ブノワ伯爵の金をただ享受していただけだど。嫡男のブランもまた、それは同じ。ならば罪に問う事は出来ない」
残念だがなという言葉が聞こえてくるようだった。
「だが、いやだからこそ。貴方に王宮への立ち入り及び社交界からの追放を申しつける」
爵位が返上されれば平民となるしなと、レオナールは嘲笑を浮かべた。
「素行の悪いリチャードを担ごうとした痴れ者には、良い罰だろう」
いつの間にか、レオナールとショコラの周りには、事の成り行きを見守る人間が溢れていた。そんな中で宣言されたショコラは、これはリチャード派への見せしめもあるのだろうと理解した。
まあしかし、こうなってしまっては仕方がない。
ショコラは頭を下げると、ドレスの裾を持ち上げて、うっすらと微笑を浮かべて言った。
「慎んでお受け致します。…レオナール殿下」
ショコラは周囲には聞こえないほど小さな声で、しかし目の前のレオナールには口の動きで分かるように、言葉を紡いだ。
ケツの穴の小さい男ですこと、と。心底侮蔑した視線を添えてだ。
「…なっ…、貴様っ!!!」
「それでは失礼しますわ、殿下」
顔を歪めながらも真っ赤にして怒り出すレオナールの前から辞すると、ショコラはそのまま夜会の会場から出て行く事にした。
「ショコラ! 待ってくれ、ショコラ!!」
後ろからどんな雑音すらも消し去る、ショコラの心を捉えて離さない声が聞こえてきた。
「アラン様」
「待ってくれ、ショコラ。…い、一体何があったんだ!? レオナール殿下はどうして、突然あんな事を…」
慌てて走ってきたからなのか、アランの髪は乱れて荒く息を吐いている。それだけ、焦っているという事なのだろう。
「落ち着いて下さいませ、アラン様。リチャード殿下とは只の友人でしたからこそ、彼を再び皇太子になんて言われないようにする為に、私を見せしめに使っただけでしてよ。私を社交界から追い出せば、リチャード殿下の友人はほぼ王宮からいなくなりますしね」
側近候補は領地に一緒に旅立っているのだ。それなりに地位がある貴族で目立つ存在は、ブノワ家くらいしかない。もっとも父エリオットは、リチャード派であると明言した事はなかったが。
「…そんな」
「取り敢えず、町屋敷に帰りましょう。私との婚姻をどうしていくかも、其方で落ち着いて話し合いましょう、ね?」
アランは目に見えて動揺したが、ショコラが宥めて馬車に乗せた。せっかくの夏の夜会を、アランと一緒に楽しもうと思っていたのに残念だわと肩を落としながら。
しかしながら、帰り着いたシュゼット家の街屋敷で話し合う事は不可能だった。
「あらまあ、なんて事」
ショコラが手を加えて好みに改装した離れの扉が壊され、家具や衣服が持ち出された上に、それが中庭で盛大に火の粉が舞っていたのだ。
そしてその前には、いつか追い出したメイドのマンディが立っていた。
「あんたのものなんて、もうないよ! 貴族だとか言ってたのに、平民に落とされたんだってね、いい気味さ!! 旦那様と奥様は、アンタが今すぐ出て行く事をお望みなの」
いつの間にか帰ってきていたらしいシュゼット伯爵夫妻が、ショコラを睨みつけていた。
「好き勝手やってくれたな。お前のような犯罪者の娘など、我が家には一歩たりとも入れたくないんだ。今直ぐ出て行け」
「そうそう、貴方は我が家の事を心配してくれていたわね。でもご安心なさって。旦那様は有能ですからね、経営を立て直しましたの。これからは貴方が、ご自分の身に着ける物を気になさった方が良いわ」
これでもかというほどに、クロエはショコラを嘲笑った。
ショコラの隣のアランは、中庭で燃え盛る炎を見て呆然としている。あらまあ仕方のない夫だ事と、ショコラは小さく息を吐いてから、頭を下げた。
「…アラン様、それでは…」




