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忘れられない初夜

 肩を竦め、小さく笑いながら、歌うようにショコラは言葉を紡ぐ。 


「ふふふ、おかしなことを言いますのねぇ。私の持参金や、お父様との事業提携や支援金目当てでの結婚でございますでしょう。私これでもお父様とお母様にとっても溺愛されてますの。私がアラン様と結婚したいと、我儘を言ってお父様にお願いして、わざわざシュゼット家に申し込んでもらったのですわ」


「…だからどうした」

 訝しげなアランの視線を受けて、ショコラはさらに笑みを深めた。


「私の気分次第で、そのお金が手に入らない、という事でしてよ」


「なっ…、ふざけるな! そんな事許されるわけが…」

「いいえ、いいえ。許されますの。私の結婚に関するお金は、私の一存で好きにして良いとお父様に言われてますから。そしてね、持参金などのお金を払わないという、とてつもなく非礼な事をしでかして、ブノワ家に瑕疵があっても、離婚は出来ませんわ。そういう誓約書でしたでしょ」


 そう、あの誓約書の一文。


 ブノワ家側に瑕疵が生じても、離婚は出来ないのだ。大方、第二王子あたりがアランを妻の紐付きにしようと画策して入れたのかもしれないけれど。ショコラにとっては有利に物事が進むであろう一文である為、父親は気付かぬふりをしてサインしたのだ。

 誓約書はアランもサインをしているので、ちゃんと目を通している筈だけど、不貞腐れていたからもしかしたら読んでないかもしれないけれど。

「控えの書類がございますから、訝しくお思いなら確認いたしますか? まあ立ち話もなんですから、どうぞ中に」

 離れの中に入るようにアランを誘うが、動こうとしない。どうやらショコラの言葉に驚きつつも、事態を理解しようとしているようだが、うまく纏まらないのだろう。

 酒の匂いのするアランは、相当飲んでしまったに違いない。そしてそこまで酒に酔わなければ、他人を拒絶出来ないのねと、ショコラは目を細めた。


「あらまあ、私のお誘いを断っても構いませんけれど。きっと使用人達は初夜すらない花嫁と面白おかしく吹聴するでしょうねぇ。そしてそれは私のお父様の耳に、間違いなく入る事でしょう。私の事をとっても可愛がっているお父様がどうお思いになるか、お好きに想像なさって?」


 そう言って促せば、口元を引き締めてアランは離れへと足を踏み入れた。不遜な態度ですら絵になるアランの姿に、ショコラはやはり結婚して正解だったわと思った。


「…これは」


 アランが驚きの声をあげたのは、応接間の至る所に置かれたキャンドルの数にだろうか。

 実家から持ち込んだ大きめのトランク三つのうち、二つにはこのキャンドルをぎっしりと詰め込んできた。初夜の雰囲気作りにと思って持ってきたのである。

 ほのかな甘い香りがするキャンドルは、ショコラのお気に入りである。


「さあどうぞ、旦那様。今後の夫婦の語らいといきましょう」


 古ぼけたソファに腰掛けたアランの横に、ショコラも腰掛ける。警戒するように身を固くするアランに、ショコラは笑みを深めた。思った通り女性に慣れていない初心な反応だ。

「アラン様と一緒に飲もうと、ワインを持ってきましたの。ブノワ家御用達の商会が取り寄せた、木の実や乾燥したフルーツもありますわよ」

「そんなものはいらない。話は一体なん…」

 文句を紡ぐその口に、ショコラは乾燥フルーツを一つ押し当てた。自身でも一つ口元に持っていき、アランに見せつけるように食べてみせる。

「弟のブランが、結婚祝いにとせっかく用意してくださったものですから。一つくらいは、どうか召し上がって」

 顰めっ面になったアランが、ショコラの手を払った。だが口に入れられた乾燥フルーツを咀嚼しており、ちゃんと食べているようである。嚥下するのを見守ったショコラは、口元に笑みを浮かべて話し始める。

「そうそう、お話でしたわねぇ。アラン様に愛する人がいて、私を愛する事はないというのは、了承しました。それについてなんら言う事はありません。…ただ」

 ショコラはアランの目をしっかりと見つめて言った。


「私は貴方の事を愛して差し上げますわ」


「はあ?」

 言われた言葉に唖然としていたアランだったが、すぐにその意味を考え、勘違いしたのだろう。眉間に皺を寄せて、不愉快そうに金で言う事を聞かせて関係を結ぼうというのかと吐き捨てた。

「勘違いされてもらっては困りますわ。私、貴方を愛してあげるのです。別にお金で言いなりにさせるつもりはありませんよ」

「だったら、今のこの状況はなんだ?」

 ショコラは肩を竦めながら、これは誠意の問題ですとアランに言った。

「私達は夫婦になったのです。貴方が私を愛さないとはいえ、家同士の結び付き、そこはお互い誠意ある対応をして頂きたいの。今のこれがシュゼット家の誠意ある対応だと言うのなら、私もブノワ家も相応の誠意ある対応を致しますわ」

 古びた離れに花嫁を押し込んだという事実があるからか、アランは少し気まずそうな顔をした。ショコラをこの離れに案内した執事見習いらしい若い男は、伯爵夫人がここに案内する様にと言っていたので、アランは両親に逆らえない立場なのだろう。

 何度か顔を合わせただけだが、シュゼット伯爵夫妻はどちらも気位が高そうであったから、成金貴族の娘であるショコラを嫁と認めたくないのは簡単に想像出来た。

「それにアラン様。私、行き遅れと言われましても、男性の方から愛を乞われる立場でしてよ。夜会のパートナーなんてアラン様じゃなくとも幾らでも代わりはいますし、それこそ性欲を満たすなんて簡単ですわ。アラン様に相手して頂かなくともね」

 明け透けなショコラの言葉に、アランは目を見開いた。どうやら女性からこういった話をされるのは初めてらしい。性的な事を恥じらうのは確かに可愛らしいかもしれないけれど。

「ふ、不倫して子をつくる気か、そんな事をしたら即離婚…」


 言い掛けてアランは気付いたようだ。


 例えショコラが妊娠したとして、その父親がアランじゃないとしても、それを理由に離婚なんて出来ない事に。あの誓約書は、そういうものなのだ。

 シュゼット家側にばかり問題があると周囲は思ってる様だけど、そんな事あるわけないのに。

 まあ今のところ、アラン以外とは子供をつくる気もなければ、そういった行為をする気もないのだけれど。

「あらまあ、そんな顔なさらないで。自由にして良いと言ったのはアラン様だわ。でもご安心なさって、私これでも一途なの。アラン様を愛して差し上げますから、不倫などしませんわ」

「どこまで本気かわからんな。…何が目的だ」

「ふふふ、信用出来ないのなら仕方ありません。でもこれだけは分かってください。私、何があってもアラン様を愛してあげますからね」

 ショコラの言葉を振り払うように、アランが勢い良く立ち上がる。

「……誰か使用人をこちらに回す。それくらいの誠意は見せてやる」

「あらまあ、そんなお気になさらないで」


 アランは鼻を鳴らすと離れから出ていこうと足を踏み出したが、バランスを崩してその場に蹲った。頭を押さえて、訳が分からないという顔をしている。

「アラン様、どうなさったの? 大丈夫ですか?」

 ショコラの問いに気にするなと言ってくるが、立ち上がれなさそうだ。目が回ると頭を押さえており、ショコラは悪酔いしたのねとアランに肩を貸した。

「仕方ありませんわ、少しソファでお休みになって」

「いや、自分の部屋に…戻る…」

「でも私では、アラン様のお部屋まで連れて行くのは無理でしてよ。ましてや私が主屋敷の使用人を呼びに行く事も、中を案内されてませんから不可能ですわ」

 離れに案内された時、ショコラに付けられる使用人はいないと執事見習いに言われたのだ。伯爵夫人からの言伝だそうだから、使用人一同ショコラに手を貸す者はいないという事だろう。だからこそこんな夜中に、ショコラが使用人を呼びに行っても無駄である。

「……くそ…」

 小さく悪態を吐いたアランは、ソファにもたれ掛かって座った。酔いが覚めるまで大人しくする事にしたらしい。

 ショコラは水を持ってくると言って、その場から離れた。






 世の中には、食べ合わせというものがある。


 それは時に人体に多大な影響を与えるものであったりするのだ。そう、少し酔う程度だった酒が、泥酔する程になるくらいに。

 ショコラの弟であるブランは、食べる事が大好きである。執着していると言っても過言ではなく、食べ物に関する言い伝えや逸話なども調べ上げては一つ一つ検証しており、何と何を食べるとどうなるか等という事を知り尽くしていた。

 そしてショコラは弟に愛されている。

 酔いが回りやすくなる食べ合わせのものを、結婚祝いとして持たせてくれる位には、ブランは姉の事を理解して愛しているのだ。


 さて、人は泥酔するとどうなるか。体は毒素たる酒精を排出しようとするわけで、それつまり。


 ガタンと大きな物音がし、ショコラは口角を釣り上げる。

 アランは立ち上がろうとして失敗したのだろう。だって力なんて入る筈がない。

 部屋中に置いたキャンドルには、鎮静効果のあるものばかり。普段から愛用しており耐性のあるショコラに影響はないが、アランへの効果はかなりだろう。


 鎮静効果とは、体が、筋肉が、弛緩するという事でもあるわけで。

 




 ショコラは可哀想な生き物が、殊更大好きなのだ。


 哀れで可哀想で不器用な生き物が、決して弱味を見せたくない相手にしか縋れないなんて。


 なんて可哀想で可愛らしいの。

 



 聞こえてきた呻き声に笑みを深めたショコラは、水差しとコップを手に取り、わざとゆっくりとアランのいる部屋へと戻ったのだった。

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