ラストダンス
夜会の開始を宣言し、軽快な音楽が流れているが、喜びに満ち溢れた顔で会話をしているのは高位貴族ばかりで、下位の貴族は困惑の顔をしていた。高位貴族及びその寄子の貴族からは人気はないものの、リチャードは下位の者にはそれなりに受けが良かった。
だが皇太子でなくなってしまったリチャードに、進んで声を掛ける者はいない。その様子に肩を竦めていると、リチャードが一直線にショコラの元へとやってきた。
「アラン卿にショコラーテ夫人、久しいな」
「リチャード様、ご機嫌麗しゅうございます」
ショコラが挨拶を返すと、アランも我に返って挨拶をした。ショコラは夜会に参加しなれているし、リチャードとも会話をした事があるが、アランは全てが初めてなのだ。その辺りの事情を知っているリチャードは、細かい作法にケチをつけたりはしない。そもそもそういう所を気にする性格でもない。
「ゆっくりと話をしたい所だが、私はこれから出立だ。その前に挨拶と謝罪を改めてしようと思ってね」
「あらまあリチャード様、お気になさらないで。それよりも道中お気を付け下さいませ」
「リチャード様の無事を祈っております」
アランの言葉にリチャードは笑みを深めると、その肩を叩きうんうんと何度も頷いた。
「良い妻を持ったな、アラン卿。本当に欲しいものをくれるのは誰か、ちゃんと間違えてはいかんぞ」
「…は、はい」
「あらまあ、リチャード様。私、一度や二度、三度の間違いくらい、許して差し上げてましてよ」
扇子で口元を隠し、くすりと笑うショコラに、リチャードはそうだなと言った。ではなと短い別れの言葉を残し、リチャードは足早に立ち去った。
「……随分と慌ただしい」
困惑顔のアランに、ショコラは殿方はせっかちな性格が多いのでしてよと教えてあげた。そこが可愛いところでもあるのだけれど。
「そんな事よりもアラン様、私と一曲踊ってくださる? 私、アラン様と夜会でダンスを踊るのが、夢でしたの」
「あ、ああ」
初めてアランを見たのは、冬の月精祭でだ。
ショコラの親しい友人達のうちの一人が、「弟もどき様が来たぞ」と揶揄いの口調で言ったのが始まりだった。以前からアランの噂は知っていたけれど、実際にまともに見るのは初めてで、所在なさげに壁際に立つアランは、どこか不安そうだった。
まるで捨てられた子犬みたいだわと、ショコラの胸がとくりと脈打つ。
第二王子妃ヘルディナが入場し、それをひたすら目で追っていたアランに、ショコラは釘付けになった。
レオナールとのダンスが終わり、様々な人々と挨拶を交わし、そしてようやく最後に声をかけられたのがアランだった。ヘルディナが弟のように想っていると公言しているのに、その扱いの悪さから苦笑がもれているというのに、アランはそれらを気にしていない。いや、わかっているかもしれないが、見ないふりをして、ヘルディナからの手を振り払うことすらできず、縋っているようだった。
その健気な様子があまりにも可哀想で、本当に可愛らしいと、ショコラの心を虜にした。
ショコラーテは愛される者だった。両親からも、親しくしている友人達からも、男性からも。ただの恋愛感情を向けられる事に慣れてしまっていたショコラは、思うのだ。
私を愛するのならば、どうかもっと可哀想であって、と。
不憫で可哀想なアランこそが、ショコラの心を満たす存在なのだ。きっとこれは、共感される事もない感覚かもしれないが、けれども誰かに共感してほしい想いでもない。ショコラの内にあるこの感情は、ショコラだけのものだもの。
ダンスのための曲が終わり、休憩をしようと輪から外れると、アランが飲み物を取ってくると言ってショコラから離れた。
アランを視線で追っていると、ヘルディナがするりと近寄っていくのが見える。その後ろには、着飾ったネリーが立っていた。メイドでしかなく、もはや男爵の娘でもないネリーを、王宮の夜会に連れ込むだなんて。
何やら話し込み、アランが困った顔をしているが、最後にはヘルディナに押されて、ネリーの手をとってダンスの輪へと入っていった。その様子を黙って見ていたショコラは、あらまあと肩を竦めた。
ヘルディナはどうあってもアランにネリーをあてがいたいようだ。そこまでネリーに魅力があるのだろうかと、首を傾げてしまう。
アランの結婚相手よりも大事な事があると思うのだけれどと、ショコラは呆れた視線をヘルディナに向けた。その視線に気付いたのか、ヘルディナもまたショコラに気付き、一瞬だが僅かに顔を歪めたが、すぐに微笑みを浮かべながら近付いてきた。
「ご機嫌よう、ショコラーテ夫人」
「ヘルディナ様、ご機嫌麗しゅうございます。先程、夫に話しかけていたようですが」
ちらりと、頬を染めてアランと踊るネリーに視線を投げれば、悪びれもせずに良いではありませんかと言い放った。
「若い娘の夢は叶えるものでしょう?」
「あらまあ、甘い夢の見過ぎは体に毒でしてよ」
「夢で終わらなければ、毒ではないでしょう。レオナール様が皇太子となりましたし、もはやリチャード様の後ろ盾は使えませんもの。あの結婚誓約書も、無効ですわ」
王家の許可がなければ離婚出来ないという一文。そのことをヘルディナは指摘しているようだ。
「ネリーは私が後ろ盾になります。結婚の為に伯爵家に養女にする事も、レオナール様が手配してくださると、話がついておりますのよ。レオナール様はすぐにでもと言いましたが、ネリーがせめて夏の夜会の後でと言ったのです。優しい子でしょう?」
アランは今度こそ幸せになるのと、夢見心地で話しているヘルディナに、ショコラは大きくため息を吐いた。
「なぜ、幸せになれると言い切れるのかしら。ヘルディナ様は何か、勘違いしているのではなくて?」
「アランとは幼い頃からの付き合いなの。貴方より彼のことをわかっているつもりよ。…弟のように思っていて、自惚れでなければアランもまた私の事を慕ってくれているわ。だからこそ、貴方のような人とは一緒にいさせられないの」
「あらまあ、私のどこがご不満なの?」
ショコラの問いに、ヘルディナが全てよと微笑みを崩さぬまま言った。
「…社交界に相応しくない、身持ちの悪い娼婦のような女。男に媚びる事しか知らないような貴方がいると、私達の素行が誤解されかねないのよ。慎みを持って夫を立てる事こそ美徳であるこの国では、貴方は受け入れられないわ」
思っていた通り、ヘルディナは男女の火遊びに対して潔癖だ。それが自分とその配偶者だけに向けられていれば構わないが、他者に求め出し、しかも権力者がそれでは、王国の未来はない。一生一人だけと添い遂げるだなんて、夢物語でしかない。
男女ともに学べて、愛を育んで、一生涯ただ一人と添い遂げるだなんて、不可能だ。
ショコラはあまりにも幼稚なその夢に、思わず笑ってしまった。ヘルディナは軽蔑の眼差しを向けてきたが構わず笑い続け、満足したところでショコラは扇子を折り畳んだ。
そして瞬きを一つすると、ヘルディナに向かって口を開いた。