崩壊の始まり
夏の夜会の最初の夜に王宮へ行って、次の夜には街を回りましょうとアランに提案したところ、了承されたので、ショコラは常に上機嫌だった。
そしてついに迎えた夜会の日も、母親の店で仕立てた上等な服を身に付けたアランを見て、心の底から感嘆の吐息を漏らしていた。
初めてアランを見染めた夜会の時は、どことなく服に着られているようなところがあり、後で聞いてみたところ兄のフェリクスの物だと言われたのだ。服というのは、サイズが同じであったとしても、細かい箇所が変わってくるのだ。例え既製品でも、調整すれば見違えるわけで。
母ルリージュの腕前は確かな物だし、雇っている職人達の腕も素晴らしいものであったため、今までのアランとは見違える程輝いて見えた。
そんなアランとショコラは、お揃いの薔薇の装飾の施されたブローチを胸に留めていた。薔薇をモチーフに選んだのは、アランが好きな花だったからだ。
穏やかな時間を過ごしていくうちに、アランは庭いじりが好きなのだと知った。幼い頃は庭師にまじって花壇を作るのを手伝ったりしていたという。
もっとも本格的に勉強を始めるようになってからは、足が遠退いたそうだが。
そんなアランの子供の頃の夢は、植物学者になる事だったそうだ。親にも兄にも言ったことのない、幼い頃のただの夢だそうだが、それをショコラに打ち明けてくれた事が、何よりも嬉しかった。
夏の夜会は、夕方の刻限を知らせる鐘の音で始まる。その鐘と共に、王宮では花火が打ち上がり、街中でも人々が歓声を上げたりして騒ぎ出すのだ。
もう直ぐ始まるだろうと、アランと共に参加したショコラは、王族達が入場するのを待っていた。
最初にやってきたのは皇太子リチャードだが、心なしか顔色が悪い。皇太子が代わる事に今更ながらに不安になったのだろうか。しかしリチャードの性格上、そんな事はないはずだ。
ショコラのそんな視線に気付いたのか、リチャードと目が合った。その口元が、声を出さずに言葉を紡ぐ。
す ま な い
そう謝罪したように見えた。一体何に対してと疑問が浮かんだが、直ぐにそれはわかった。
リチャードが婚約者の令嬢をエスコートしないのはいつもの事だが、今回はその御令嬢、宰相の娘であるシャルロットが第二王子レオナールと共にやってきたのだ。妻であるヘルディナは、宰相の息子にエスコートされていた。
「…あらまあ」
それを見て色々と察したショコラは、リチャードの謝罪の意味を理解した。
リチャードの目論見は失敗し、夜会が始まる前に皇太子が代わる事を発表することになったのだろう。
商売柄、リチャードとも付き合いのあるブノワ伯爵に、ショコラのお願いを聞かなかったことにより、手を切られるのを恐れての事だろう。誠意を見せて貰えれば、エリオットは手酷く捨てたりはしないのに。
そもそもショコラはリチャードに対して、結婚のことで恩があるのだ。ちょっとしたショコラの我儘が叶えられなくたって、そこまで怒ったりはしない。それにちゃんと、ショコラに謝罪するという誠意も見せてくれたのだから。
安心させるようにリチャードに笑みを返すと、なぜか表情が抜け落ちて真顔になっていた。どうしたのかしらねと首を傾げながら、何が起こるのか様子を伺っていると、最後に国王と王妃が入場してきた。
国王が夏の夜会を始める前に重大な発表があると言い、そこでリチャードが皇太子ではなくなり、新たにレオナールが皇太子となる事を告げた。
夜会の参加者はざわついたが、高位貴族の方々はそこまで驚いている様子はない。むしろ希望に満ち溢れた顔でレオナールを見つめているため、根回しは十分にしていたようである。リチャードは領地をもらいそこで大公となるそうだ。ついていくのは友人兼側近候補の者達のようだけれども、彼らの親である高位貴族とその婚約者の親達が何やら前へと出て来た。
王は無言で頷き、その視線を王妃へと向ける。促され前へと出て来た王妃が、リチャードの側近候補である子息達に向かって、大公領へと向かう前に婚約は全て解消となることを宣言した。そして最後に、リチャードの婚約もまた解消すると。
リチャードについていた者達を見限ったという事かしらと、ショコラはある程度予想していた通りであった為、呆れた目を向けていた。
そもそもリチャードの側近候補の貴族子息達とその婚約者は、物凄く上手くいっていないのは周知の事実であったので、解消した方が双方共に良い事であるとは思うけれども。
リチャードの一番の親友と言っても良い、眼鏡を掛けた知的な印象を受けるゲニエ侯爵子息エドモンは、芸術方面にのみ才能を発揮させている。席について大人しく書類と格闘する事が苦手であり、侯爵として寄子をまとめることも、領地を盛り立てることも、そして王宮での地位を確立することも興味を持たなかった。
学業の成績がなまじ悪くなかったのがさらに不幸を呼び、エドモンが大事にしていた楽譜や楽器、そして芸術作品を婚約者のご令嬢が全て処分してしまったのだ。もちろんゲニエ侯爵夫妻の公認で。
いつまでも芸術活動に夢中になっていても困るからと、真面目に跡取りとしての勉強をするようにとの想いからの行動らしいけれど。ショコラからしてみれば、二度と修復不可能な決定的な亀裂を入れる出来事だと言わざるを得ない。
その一件以来、エドモンはリチャードの側でさらに放蕩三昧を繰り広げたのだ。まあ実際は、リチャードが哀れに思って自身の離宮の一室を、エドモンのアトリエとして開放していただけだけど。ショコラの父エリオットが画材や楽器、楽譜などを調達して販売していたので、知っているのだ。
普通の高位貴族の感覚からしてみれば、エドモンは劣っているとしか言いようがないのだろう。
そしてそんな評価を受けているのが、たった今婚約を解消された子息達だ。
エドモン以外にも、家が武門であり見た目が厳ついのにその中身は学者気質だったり、婚約者である令嬢に惚れられ婿養子となるのに、その父親と従兄弟達からいびられまくってたり。事情を知っている者達からすれば、高位貴族と縁を結べるとしてもアレはないわと噂するようなものばかり。
なので高位貴族達は子息達に嘲笑の視線を向けているが、下位の者達は同情的なものが多かった。
「…宰相の娘シャルロット、貴方には迷惑をかけましたわね。あなたが皇太子妃として学んだ事を活かせるように、尽力致しますわ」
何か望みはと問われたシャルロットは、伏せていた顔を上げて言った。それを聞いたショコラは、まるで言わされているようだと、そう思った。
「私は国母となるべく幼い頃から励んできました。今更それ以外の生き方も出来ませぬ。なれば、もし、お許しいただけるのであれば、私の一生をどうかレオナール皇太子殿下の為に捧げさせて欲しいのです」
「しかし、レオナールはすでに婚姻しているのですよ」
「婚姻を望んでいるのではありません。私は自身の能力を国のために役立てたいのです。そのための立場が欲しいだけなのです。ヘルディナ様のお心を煩わせる気は、一切ありません」
隣のアランが目を見開いて、食い入るように茶番を眺めている。まあその反応は正しいとショコラだって思う。なにせ王国では一夫一妻が普通なのだ。特例として、リチャードの生母たる前王妃が病に伏して公務が出来なくなった為に、第二妃として現王妃が嫁ぎレオナールを産んだのだから。
まあ現王妃も、高位貴族の方々に強く言われて王家が断れなかった為の事だけれども。
シャルロットに強く請われ、王妃がヘルディナとレオナールに確認し、そしてついにはそれを了承してしまった。間違いなく、そうなる段取りだったのだろうけど。リチャードは無表情でそれを眺めており、同じような表情を浮かべた国王が、それを宣言した。
「ここに、シャルロットを皇太子妃として認めよう。ヘルディナは第二妃となり、二人は皇太子レオナールを公私共に助けよ」