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ブノワ家の人々

 眩しい程の日差しの中、アランはショコラと連れだって、マダム・ルリージュの店に来ていた。昨日言った通り、夏の夜会に着て行く服を仕立てにやってきた。


 アランは兄のフェリクスが仕立てた服を直したものか、既製品しか持っていない。嫡男のフェリクスが社交もしていく筈だったので、次男であるアランは礼服はあれど、夜会に着ていく服などなかった。

 前回ヘルディナに言われて参加した時は、兄のフェリクスのものを引っ張り出して着たのだ。なので、こうした店に訪れて服を仕立てるのは、実は初めての事だった。

 アランの腕に手を絡めて歩いているショコラは、実母が経営している店だからなのか、堂々と慣れた様子だ。奥から出てきた女性が、いらっしゃいと愛想良く声をかけて来た。

「あらまあ、アラン君は結婚式以来かしら。改めまして、私はルリージュ。ショコラちゃんの母ですわ。どうぞよろしくね。さあさあ、夏の夜会に着ていく服の為に、まずはサイズを測りましょうね」

 年上の女性なのに、どこか少女めいた可憐さがある。先日会ったショコラの弟であるブランに、どこか似ているような気がした。

 ルリージュに捲し立てられ、あっという間に店の奥へと連れ込まれた。そこで老齢の男の職人達にサイズを測られ、ようやく終わったとホッと息を吐くと、再びルリージュに声をかけられた。


「うふふ、初めてなら大変だったでしょう。こちらで一休みなさって。ショコラちゃんは今、ドレスの型をどれにするかお悩み中なの。あの子って凝り性だから、悩み出すと長いのよ。何せね、前髪を切り過ぎたって理由で、一週間以上もお部屋から出てこなかった事もあるくらいだから…」


「お母様! それは子供の頃の話でしてよ!! あまり余計な事は言わないでくださらないかしら」


 衝立の向こう側から、ショコラの声が聞こえてきた。ルリージュを咎めてはいるものの、その声にはどこにも険がない。ルリージュもショコラの声に、片目を瞑って肩をすくめているだけで、気にしている様子もなかった。

 アランの知っている家族というものとは全然違っている光景に、ただただ唖然とする事しかできない。

「そういう所が子供っぽいのよねぇ。ショコラちゃんてば、本当にわかりやすいんだから」

「そう、なんですか?」

 頬に手を当てて笑うルリージュに、アランは思わず聞いてしまった。あの初夜以降、ショコラとは穏やかで濃密な時間を過ごしている。いつだってアランを優しく慈しむショコラの態度が、本当に心からのものなのか、いまだに分からなかったのだ。


「あらまあ、ショコラちゃんは貴方と一緒にいる時、口数は多いかしら?」


 質問の意図がわからなかったが、思い返してみると、少なくもなく多くもないといった感じだろうか。アランの話を楽しそうに聞き、色々と興味を持って質問してくるのだ。

「ずっと喋りっぱなしっていうのは、ないのでしょう」

 息を吐かせぬほどに喋り続けたのは、初夜にアランがショコラに向かって暴言を吐いた時くらいだった。流石にそれを正直にルリージュにいう訳にもいかず、曖昧に頷くだけに留めた。

 するとルリージュはやっぱりそっくりなのよねぇと、優しげに微笑む。そして声を顰めて、アランに内緒話でもするように言った。


「ショコラちゃんはね、機嫌が悪くなればなるほど、喋り続けるの。機嫌が良い時ほど、黙って微笑んでいてね。うふふ、あの子ったら主人にそっくりなんだから」


 ショコラは良く、アランを見つめて微笑んでいるのは知っていた。最初はアランを嘲笑っているのだろうと思っていたのだが、何をしても愛おしそうに見つめて来て、なんともむず痒い思いをしていた。

 寝室で二人きりで過ごす時だって、ショコラは多くは語らない。朝日の差し込む中で、ショコラはやはり微笑んでいるだけだった。

 そして今日、ここに来るまでの馬車の中でも、ショコラはやはり同じく優しげに微笑んでいるのを思い出し、アランは己の鼓動が速くなるのを感じた。

 そんなまさかと疑う気持ちよりも、アランと一緒にいて嬉しく思っているのかという喜びの方が、ほんの一瞬勝ってしまった。そう、勝ってしまったのだ。

 生まれて初めて感じる体の奥からの熱に、アランの顔は赤く染まった。それを見てルリージュが、あらまあとくすりと笑う。しかしそこに嘲笑などは含まれていなかった。


「その様子だと夫婦仲良く過ごしているのね。安心したわ。ショコラちゃんって主人に似てね、凄くすっごく情熱的というか、愛情表現が独特だから。嫌われてたりしてないか、心配だったのよね」


 一瞬、夫婦の夜の秘事を指摘されたのかとアランは目を見開いたが、ルリージュは気にした様子もなく言葉を続けた。


「主人もねぇ、ちょっと変わってて。私への初めての贈り物が、…うふふ、もう傑作なの。何を渡したと思う?」

 当ててご覧なさいなと、いたずらっ子のような顔でルリージュが言った。実の所、ブノワ伯爵の事は良く知らない。ショコラとの結婚話を進めたのは両親であってアランではなく、成金伯爵だという噂しか知らないのだ。

 結婚式の時に顔を合わせたが、口髭を生やした男だったという印象しかなかっった。なのでアランの答えは、無難な宝石のついたアクセサリーではないか、というものだった。

「やっぱり普通はそう思うわよねぇ。でも違うの、あの人ったら私に商会のね、取締役の権利書を渡して来たのよ」

「……え?」

「驚くでしょう。意味がわからないわよねぇ。あの人、私がお洋服を作るのが好きだっていうのを知って、それなら好きなだけ布や糸、製作のための材料や人員が使えるようにって。その為の商会を作ってプレゼントしてくれたの」

 それがここの始まりなのよと、ルリージュはなんて事のないように言った。

「普通の男の人とは違う方向性に突き進んじゃう所が、とっても可愛いでしょう。私の為だけに、そこまでしてくれるだなんて、……なんて情熱的なのかしら」

 ほうと熱い吐息を漏らして頬を染めるルリージュは、恋する乙女そのものだった。

「エリオットは、人に何でも買い与えたいの。初めて会った時に、なんでそんなにお金稼ぎに固執するのかって聞いたの。あの人ったら『愛した人がどこかの島が欲しいと言った時、買ってあげたいじゃないか』って言ったのよ。うふふ、面白い人よねぇ」

 それを面白いの一言で済ますのかと、アランは言葉を失った。アランの中にある常識を遥かに超える行動を受け入れているルリージュは、ブノワ伯爵とはお似合いの夫婦なのだろうことだけは、理解できた。

「そうそう、面白いって言えば、ブランには会ったかしら? 同じ王宮勤めだから、顔を合わせる事もあるかもって言っていたの。あの子もねぇ、ちょっと変わってるのよ。なにせ食べる事が大好きで、本当に執着しているのよ。面白いでしょ」

「…あ、そう、ですね。食堂で、一度一緒に」

「あらまあ、あの子ったら何でもいっぱい食べていて驚かなかったかしら。下働きの者の食べ物でも、気になったら何でも欲しがってね。最終的に、うちの屋敷で働いてる料理人が家族の為に作った残り物シチューが欲しいと我儘を言い出したの。料理人はね、流石に貴族子息には食べさせられない、家族が食べるだけのものですからって頭を下げて断ったら…」

 昔のことを思い出したのか、ルリージュが肩を震わせている。

「それなら料理人と結婚するから食べさせてって、エリオットと料理人を困らせたのよねぇ。それなら家族でしょってブランが言って、料理人は妻帯者だからと言えば、じゃあ料理人と妻の二人とも僕と結婚すればいいの、だなんて。本当に面白い子でしょう。ちなみに騎士団に所属してるのは、たくさん食べても太らないようにする為なんですって」


「あらまあ、お母様。後でブランに怒られても知りませんからね」


 衝立の向こうから、体のラインを強調するドレスを身につけたショコラがやってきた。ヘルディナがよく着ているものとは違うが、しかしショコラにはとても似合っていた。

「可愛らしい子供の頃の思い出を話せるのは、家族の特権なのよ。安心してちょうだい、ブランが良い人を紹介してきたら、ショコラちゃんの事もたっぷり話すつもりですから」

「もう、お母様ったら。…アラン様、お母様はとってもおしゃべりなのですわ。大丈夫でした?」

 色々と衝撃的な事もあったが、しかしルリージュの話は聞いていて楽しかった。同じく話を聞くだけのヘルディナとの会話と、一体何が違うのかアランにはわからなかったが。

 ヘルディナの事は言わず、楽しかったと言えばショコラはホッとしたように微笑んだ。いつものアランを見つめるその笑みで見つめられると、なんとも言えず身体中が熱くなるような錯覚に襲われた。しかしそれは、不快ではないものだと、アランは思ったのだった。




 ルリージュの店で服を仕立ててから、夏の夜会のその日まで、アランとショコラは穏やかに過ごした。

 ショコラに見送られて王宮に行き、偶にショコラかブランと昼食をとる。そして帰宅してショコラに出迎えられ、一緒にいるという暮らし。


 アランは生まれて初めて、人の顔色を窺わなくて良いという時間を過ごせたのだった。

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