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都合の良い男

 ヘルディナの元から逃げ出したアランだったが、そのまま資料室へ戻る気も起きず、どうしたものかと廊下の隅でため息を吐いた。

 王宮内を彷徨き続けるわけにもいかず、かといって行き場もない。他の同僚に見つかれば面倒な事になりそうだし、やはり資料室にいるしかないかと、アランが肩を落とした時だった。


「義兄さん、義兄さんじゃないですか」


 振り返るとそこには、騎士服を身に付けた青年が立っていた。緩い癖のある黒髪に垂れ目の、人好きのする笑みを浮かべて話しかけて来たのだ。

 戸惑うアランに対し、青年は頭を掻きながら覚えてませんかねとヘラりと笑った。

「僕はブラン・ブノワです。ショコラーテ姉さんの弟ですよ。結婚式で一度お会いしたんですけど、僕って印象薄いらしいので覚えてませんかね」

「…あ、いや」

 結婚式の最中は出来るだけ早く終われと祈っていただけだった為、ブノワ家の面々の顔なんて碌に覚えていなかった。ブノワ伯爵とは挨拶を交わしたが、ショコラの弟となんて付き合いなどないだろうとお座なりな対応をしていた。

 少し頭の冷えた今ならば、明らかに誠意に欠けるものだったし、そして今も覚えてないとは失態だと、アランは蒼褪めた。何せ目の前にいるのは、あのショコラーテの弟なのだ。

 一体何を言われるのだと身構えていたが、ブランは気にした様子もなく、息抜きの散歩ですかだなんて聞いて来た。

「王宮の仕事って息が詰まりますからね。僕も出来るだけサボってるんですけど、あ、義兄さんもよろしければ一緒に如何ですか? 良い息抜き場所に案内しますよ」

 さあさあと背中を押され連れて行かれた先は、下働きの者たちが使っている食堂だった。慣れた様子で座ると、コップと皿を持ってきて差し出した。

「下町の食堂とか行けば食べれますけど、王宮だとここにしかないんですよね。美味しいのに、何で食べないのか不思議ですよ」

 皿に盛られていたのは、揚げた芋だった。

 何代か前の王が飢饉対策の為にわざわざ輸入して作付けを命じたものだったが、貧民の食べ物だと貴族からは倦厭されていた。困窮気味のシュゼット家でも出てくる事はなかったが、使用人達が食べているのは見た事があった。

「高貴な方々の為の料理で、余った油で揚げてあるんですよ、これ。だからか、下町で食べるより美味しいんですよ」

 幸せそうに食べているブランにつられ、アランもそれに手を伸ばした。倦厭するほど酷い味でもなく、むしろまた次を食べようと手が出る。

「これには酒が合うんですけど、勤務中に飲んでるのを隊長に見付かったら怒られるんで、我慢するしかないんですよ」

 ため息を吐きながら、ブランは肩を落とした。

「そうだ、義兄さん。姉なんですけど、何かしでかして義兄さんに迷惑かけてませんか? 姉さん、結婚式前からずっと浮かれてたから」

「…浮かれて?」

「夜会で義兄さんに一目惚れしてから、もうずっと浮かれっぱなしですよ。僕としては義兄さんが姉を娶ってくれて、本当に良かったとホッとしてますし」

 以前ショコラもそのような事を言っていたが、そもそもアランは夜会にあまり出た事はない。そのあまりない夜会で見染めたのだろうか。

「王宮で開かれる、冬の月精祭があったでしょう。あそこで第二王子妃に誘われて、義兄さんダンスを踊ったじゃないですか。あの時、姉さんが一目惚れしましてね。帰ってからも、義兄さんの事ばかり話して」

 月精祭は王宮で開かれる小さな催しだった。夜会といっても夕方からほんの二時間程度で、街屋敷で暮らす貴族と、文化人や商人を呼んで退屈な冬を少しでも楽しく過ごす為のものだった。

 社交的に重要でもないので参加は自由だが、アランはヘルディナに請われて渋々参加していたのだ。結婚相手を探したらどうかと言われたのも、あの頃からだった。

 先程の事を思い出し重苦しい息を吐き出すアランに、ブランは何かありましたかと聞いてきた。

「いや、…別に」

 アランの言葉に、したり顔のブランが口の端を持ち上げて笑った。ショコラーテを彷彿とさせて、ああ二人はやはり姉弟なのだなと思った。

「義兄さんの悩みとやらは、第二王子妃関連ですか? あ、言わなくて大丈夫ですよ。何せ王族に嫁いだ高貴なお方ですからね、王宮内で話すのは何かと憚られるでしょうし」

「何でそう思うんだ?」

「ははは、義兄さんの行動の理由の殆どは、第二王子妃が占めているじゃないですか。僕じゃなくても分かりますって。大方、姉の悪口でも言われて、別の女性を紹介されたとかじゃないですか」

 何でそれをとアランが眉を寄せると、ブランはさも可笑しそうに言った。

「義兄さんは知らないでしょうけど、第二王子妃の嫁探しは有名でしたから。彼女の御眼鏡に適わなければ、絶対に反対されるだろうからっていうんで、義兄さんに近付く令嬢が皆無だったんですよね。ほら、淑女の鑑と言われる第二王子妃ですよ。彼女が求める娘とやらが、一体どれ程かと思うと、誰だって尻込みしますって」

 アランは今まで、自分の容姿が冴えない上に、うだつの上がらない仕事しかしていないから、年頃の娘から倦厭されているのだと思っていた。なのにブランの言い方では、ヘルディナに問題があるようにも取れる。

「第二王子妃の思惑を見事に打ち壊したのが、うちの姉ですけどね。姉さんは恋をしたら一直線、自称愛の狩人ですから。例え高貴な方々の不興をかおうとも、愛する人に愛していると伝えちゃうんですよ」

 ショコラは何度も、例え皇太子に望まれようとも断ると、アランを選ぶと言っていた。あれは本当に本心からのものだったのか。

「それにしても義兄さんも大変ですね。第二王子妃から望まれたら、断るに断れないでしょう」

「…それは」

 ショコラと離婚したいのかと問われると、アランは答えられない。ヘルディナ以外望まないとはいえ、ショコラと離婚したって隣に立つのはあのネリーというメイドだろう。

 正直、あの娘がアランと上手く夫婦生活を送れるとは思えないのだ。きっとアランはショコラにした時のように、お前を愛する事はないと言ってしまうだろう。ヘルディナへの届かない想いをぶつけるかのように、全ての不満を酷い言葉に変えて、八つ当たりをしてしまう。

 酷いことをしていると自覚出来るが、それでもやはり結婚を夢見ていたヘルディナが隣に居ないという事実は、アランを打ちのめすのだ。

「…結婚などしたくなかったのに」

 ボソリと漏らした言葉に、ブランはその気持ちはわかりますがそうもいきませんものねと、同情するように言った。


「第二王子妃としては、義兄さんが結婚していた方が、都合が良いですから」


 どういう事だと目を丸くすると、ブランはニッコリと笑みを浮かべて言った。

「だってそうでしょう。第二王子妃としては、義兄さんの事はあくまで弟のように想っている、決して恋愛対象ではないと周囲に示さなきゃならないんですから。そうでもしなければ、居心地の良い、愚痴や惚気を聞いてくれる便利な相手が居なくなってしまいますからね。断言しましょう、第二王子妃は決して、貴方の想いを受け止めませんよ」

 誰だって便利な相手は手放したくないでしょうと、ブランは顔を歪ませた。

「義兄さんにとっての姉さんであるように。隣においておいて居心地が良いでしょう、愛を囁いてくれる、肌を合わせてくれる、都合の良い存在。今更突き放す事も出来ないんじゃないですか。でもね、それで良いと僕は思うんですよ。だって誰だって、居心地良く過ごしたいじゃないですか」

 だから義兄さんが姉を娶ってくれて本当に良かったと、ブランは初めて会った時のような人好きのする笑みを浮かべていた。先程までの顔を歪ませた笑みが嘘だったかのように。


「さて、そろそろ戻らないと隊長にどやされるだろうし。あ、義兄さん、今度は下町で一緒に飲みましょう。男同士気兼ねなく、姉の愚痴でも何でも聞きますよ」


 それじゃあと手を振って去っていくブランの背中を、アランはただ見詰めることしか出来なかった。

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