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恋の香辛料による夫婦喧嘩

 夕食の準備が出来た頃に、アランは帰ってきた。玄関ホールで出迎えると、何だか不機嫌そうな表情のまま、アランはショコラを睨みつけている。

 午後の仕事で何かあったのかしらと首を傾げていると、アランがもう他の男に目移りしているのかと怒鳴ってきた。

「第二王子殿下を誑かし、皇太子殿下と庭園で口付けを交わしていたと、王宮はその噂で持ちきりだ!! とんでもないアバズレ女だとな…っ!!」

「あらまあ」

 手を握られたり、手の甲に口付けをされただけのアレが、そこまで脚色されるだなんて。

 そもそもショコラは王族に対して、非礼なき立ち回りをした結果、彼方が勝手にした事なのに、此方が誘った様に言われるだなんて、何とも面白い。


 けれどもそれよりもだ。


 ショコラは頬を染めてアランを見上げた。

「アラン様、妬いてくださるのね」

「なっ…、そ、そんなわけないだろう!?」

「でも、私が第二王子殿下や皇太子殿下と噂になったのを怒っていらっしゃるわ」

 不愉快に感じているそれこそが、嫉妬であるとショコラは断言した。アランは戸惑いの表情を浮かべているが、自分の気持ちすら分かってない坊やだなんて、可愛い過ぎると笑みを浮かべる。

 例えそれが、懐いてきた猫が他の人間にも懐いた事にショックを受ける程度のものだろうとも、それをアランがショコラに抱いた事が喜ばしい。

「うふふ、第二王子殿下は大袈裟に感激して見せただけですの。皇太子殿下は散歩のついでに、庭園の出口までご一緒しただけですわ」

 口付けだって手の甲に触れたように見せただけだと言ったが、いまいちアランは信じていない様だった。

「もし本当に皇太子殿下から求婚されましても、断りますわ。だって私はアラン様が良いのですから」

「そんなわけあるか!」

 ショコラの言葉をアランは即座に否定した。

「またそうやって俺を揶揄って…! 冴えない出来損ないの俺が、皇太子殿下より良いだって!? 冗談も大概にしてくれ…!!」

 俺みたいなのを選ぶ筈がないと、アランは顔を歪ませて叫んだ。今にも泣き出しそうな、悲痛な声で。


 それを見たショコラは、あまりの事に己の身を抱いた。


 これをアランは本気で言っているのだ。本気で自分自身は価値がないと思い込んでいる。

 今までずっと選ばれなかったから、これからも選ばれる事なんてないと、そう頑なに。


 正直、見目の良さで言えば皇太子リチャードは何処か愛嬌のある顔立ちだが、絶世の美形ではない。第二王子レオナールの方が美男子だし、贔屓目を抜いてもアランがその二人より優っているだろう。

 だがアランは気難しい表情を常に浮かべているし、鬱屈した現状のせいで体を丸め常に項垂れていた。

 最もそれが、何処か影のある憂いを含む美青年に見えるわけだが。


 アラン自身はそれを全く分かっていない。

 まあ分かれと言う方が無理だろうなとショコラは理解していた。


 何せアランは常に二番目なのだから。

 伯爵家の次男だから、きっと常に兄のフェリクスが優先されて来ただろう。父の関心も母の愛情も、何もかも。


 愛しのヘルディナにだって、アランは選ばれなかった。結局アランは、ヘルディナにとって弟のような存在でしかない。男として見てもらえないのだ。

 頑張った勉強だって評価なんてされなかった。アランの実力よりも、フェリクスの醜聞が勝り、やはりアランは見捨てられた。


 誰からも見向きもされない、価値のない人間。本気でそう思っているから、実際アランより劣っている人間は、なんて嫌味なと顔を顰め倦厭する悪循環。


 ゾクゾクとした震えがショコラの体を駆け巡る。


 ああ本当になんて可哀想で可愛い人なの。


「アラン様、私はそんなアラン様だからこそ、愛しているのですよ」


 ショコラの囁く声にも、アランは頑なに拒否の姿勢を崩さない。口では勝手に言えると吐き捨てるアランの頬に、ショコラは両手を添えた。そしてその若草色の綺麗な瞳を覗き込み、そうして言った。

「ではアラン様、どうぞ私に言ってくださいませ」

「…何を」

「自分以外見るなと、そう言ってくだされば良いのです」

「いきなり何を…!?」

「口に出して言ってみてくださいな。そうすれば胸に渦巻く不愉快な気持ちが吹き飛びますよ。口では勝手になんでも言えるのでしょう? ならばそれをどうぞ、アラン様が言って下さい」

 さあと促せば、アランは眉を寄せ訝しげな表情を浮かべた。一体何をさせるのだと言わんばかりの態度だが、ショコラはアランが言葉を紡ぐのをじっと待った。


「…俺以外…、見るな」


 良く出来ましたと言わんばかりにショコラは破顔し、アランの鼻先に唇を近付けて言った。

「勿論ですわ、アラン様。私の愛は貴方だけのもの」

 若草色の綺麗な瞳が見開かれて、口の中に入れて転がしてしまいたいなとショコラは思った。きっとアランの瞳は、どんな甘露よりも甘いだろう。

 けれども向き合ったこの体勢では、残念ながらショコラの身長が足らないので瞳を舐める事すら出来ない。

 まあそれは後のお楽しみという事にしようと、ショコラはアランの瞳を見詰め続けた。


 やがて見詰め合う事に耐えきれなくなったのか、アランが顔を背けて身を離した。

「アラン様、これだけは覚えていて下さいませ。私は何があっても貴方を愛してあげますわ。貴方の為ならば、私の全てを捧げます」


 ショコラから逃げるように自室へと行ってしまったアランだが、暫くして声を掛けると顔を出した。どうやら嫉妬の怒りは消え失せたようだ。

「アラン様、夕食にしましょう。今夜はコートレットを用意してみましたの。良いお肉が手に入ったのですわ」

 食欲を刺激する匂いに釣られたようだが、アランは必死に取り繕おうとしている。それに気付いたショコラは、こういう所は子供のようで可愛らしいわと笑みを深めた。


 ずっとどこか気不味そうだったアランが、食事の後でボソリと、先程は悪かったと謝ってきた。

「あら、まあ」

「……そもそも俺には、…お前に嫉妬するような権利など、ないのに。余計な事を言った」

 俯いたまま紡がれる言葉に、ショコラは思わず立ち上がると、アランの側へと駆け寄った。

 そしてその腕に手を添えて、それは違うと否定する。

「いいえ、いいえアラン様。貴方は私の行動を咎めても良いのです。もっと我儘を言って下さいませ」

 アランが望むのならば、ショコラは何でも叶えてあげたいと思うのだ。それ程に、ショコラはアランに愛を与えたい。


「私の悪い噂で心を痛めるのなら、…もうそんな噂が立たないようにしますから、安心なさって」


「い、いや、そんな」

「アラン様の気分を害したくないのです。私は貴方の心を護り愛しみたいの」


 さり気なくアランの胸に縋る様に体を寄せて、その顔を見上げる。アランが大好きな自身の胸を押し当てつつ、膝先で足の間を刺激すると、顔を真っ赤にして身を捩っている。耳元に吐息を吹き掛ければ、体を震わせていて、ショコラの心は沸き立った。

「でも、そうですわね。突然詰られるのは、誠意ある態度とは思えませんわね」

「…それは」

「私、アラン様を愛しておりますが、何をされても許すという事はありませんのよ。やはり夫婦として、誠意ある態度をとって頂かないと。何か気に食わない事があるのでしたら、私にちゃんと言って下さい。乱暴な態度なんてなさらないで」

 まあ偶になら許してあげなくもないけれど、それは今は言わなくても良い事だ。

「悪かった…から」

「でもアラン様、私に酷い言葉を投げ掛けるのは、これで二度目でしてよ。私とても傷付きましたの。だから今後このような事を起こさないように、ちょっとしたお仕置きを受けてくださいな」

 ショコラは片目を瞑り、茶目っ気たっぷりに笑って言った。


「お尻叩きで許して差し上げましてよ」


「はあっ!!??」


 思わずと言った様子で声を上げるアランに、ショコラは夫婦では良くある事だとさらりと虚言を吐いた。

「ほら、自分よりか弱い婦女子にお尻を叩かれるだなんて、恥ずかしい事でしょう。それをする事で、もう二度と間違いを起こさないという気になると、もっぱらの評判ですの。…貴族の夫婦で、オイタをした夫に妻が行う罰の一つですわ。どこの夫婦もしている公然の秘事でしてよ」

「い、いや、しかし」

「あらアラン様。私のようなか弱い女に叩かれたって、ちっとも痛くないでしょうに。酷い言葉を掛けられて悲しい私の気持ちを、叩かれる事で受け止めて下さっても良いでしょう?」

 眉を寄せて嘆けば、アランは苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、分かったと了承の言葉を発した。


 もう本当に、こういうところが可愛いのよ。


 体を離しその手を取ると、ショコラは笑みを浮かべて寝室へと引っ張った。


「私はどんなアラン様でも、愛おしく思っていますの、どんな姿でも、それは決して変わりません」


 ショコラは別に自身の手で叩くとは言っていないし、抵抗されないような手首に巻いて動けなくする便利な道具もあったりするのだが、言わなくてもこれからアランは身をもって体験するので大丈夫だろう。


 上機嫌なショコラの鼻歌と共に、バタンと寝室の扉が閉まる音が響いたのだった。

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