会戦(2)
1
恐れていたこと、というよりも予想できない方がおかしい事態が起きた。諸侯と取り巻きの貴族たちが、彼らの兵を連れて撤退してしまった。正規軍の半数以上が消えた……。取り残されたのはスランが所属しているジーンの率いている連隊とサー・ユラハ・アーニンの率いる連隊のみだった。この二人には共通点があった。少数派という共通点が……。
諸侯をはじめとする貴族たちは、ジーンは平民出身の成金野郎、アーニンには尻軽女というあだ名をつけていた。ジーンに関してはその通りだとスランも素直に認めていたが、アーニンに対しては、彼らとは異なる見解を見出していた。アーニンの率いてきた軍を見ると他のト・ウフー帝国軍には微塵もない覇気が存在し、ト・ウフー帝国軍特有の何となくだらしない感じが全くなかった。また、彼女の兵士達に話を聞くと、領地経営も安定しており、領民からの信頼も厚いようだ。
同じ連隊長でもアーニンは連隊の上限である千人もの兵士を率いているのに対して、ジーンは、北方民族の騎兵を率いていたグルが契約の任期満了を理由に離脱し、大豆の作付けなどを理由にして農夫達もさっさと帰ってしまい、彼の連隊は夏の氷のように溶けてしまっていた。今では定数の半数に満たない。
(同じ見捨てられた境遇なのに、どうしてこんなにも違うのか……)スランは、ジーンとアーニンが目の前で怒鳴りあっているのを見ながら思った。
「アーニン殿! 左翼を担っていたト・ウフー帝国正規軍の主力と中央の傭兵部隊を率いていた中央軍首脳部、さらには右翼軍の後衛までも逃げ出した今、我々右翼の前衛部隊は後方の川を渡り、撤退すべきです!」
「勿論撤退します、ジーン殿。しかし、我々右翼軍は既に敵左翼軍との戦闘が始まってしまいました。簡単には撤退できません。さらに、中央の傭兵部隊が敵軍に寝返る前に傭兵部隊の指揮権を掌握しなくてはなりません。でなければ我々は壊滅します!」
「何を言っている! 我が軍の壊滅は避けられない! 中央軍の左翼側では、傭兵どもが同士討ちを始め、寝返りが相次いでいます!! そんな余裕はない!」
「ですから、我々の後ろには川があり、傭兵部隊が占めている中央後方の橋を確保しなければ逃げられません! だからこそ、傭兵部隊の指揮権を敵に奪われるわけにはいかないのです! 何故お分かりにならないのか! 後方の川は、流れは緩やかですが、水深が深く、歩兵が渡るのは無理なのですよ、ジーン殿!」
「ですから、歩兵は見捨てて、騎兵だけで逃げれば良いと言っているのです! 歩兵を救うために全滅してしまったら元も子もない!」
「ト・ウフー帝国の兵士は度重なる敗戦で疲弊しきっています! これ以上失うわけには……」
「なら勝手にやれ! 俺は逃げる!」
ジーンはアーニンに怒鳴りつけると数十騎の騎兵と共に川に向かって行った。スランは、今までのやり取りを呑気だなと思いながら見ていたが、ジーンが自分たちを見捨てて逃亡した瞬間に怒りが沸き起こった。
「準備したクロスボウは無駄になりましたね……。敵の左翼軍が急速に接近してしまいましたから……。まぁ、分かっていたことですが……」
隣にいた初老の下士官ヨーグルが達観した様子で、スランに話しかけた。
「どうして落ち着いていられるのですか、ヨーグル殿!? 我々は見捨てられたのですよ!」
スランがヨーグルに八つ当たりするとヨーグルは、ハハハと笑い、こう答えた。
「人間なんて、そんなものですよ……。貴族だろうが平民だろうが、ほとんどの人間は自分のことしか考えていませんよ……」
「では、アーニン連隊長はどうなのです!? 我々を救おうとしているではないですか!?」
ヨーグルは皺のよった顔に薄笑いを浮かべ、アーニン連隊長の方を見た。
「確かに、あのように立派な方もおりますよ……。でもね、魔導士様、立派な人間なんていうものは少数です。多数派に押し潰されて終わりですよ。世間は何も変わりません……」
スランは、ヨーグルが平然と呟く言葉に、愕然とし、怒りが引いていった。代わりに感情を占めたのは、何をしても無駄だという諦めと目前に迫った死の恐怖だった。
「魔導士殿」
唐突に声をかけられたスランは、驚いて飛び上がりそうになった。
「な、何か私に御用ですか。アーニン連隊長閣下……」
「ええ、ジーン殿が去ってしまったので、次の指揮官は誰かと兵士達に尋ねたら、あなただと言われたわ」
「ジーン連隊長の後任は私ではありません……。ヨーグル最先任下士官殿です……」
スランが答えるとヨーグルは首を振った。
「あなたが指揮を執るべきですよ、スラン殿。皆、期待しているのですよ。あなたの魔法にね……」
「つまり、私が魔導士であるということが重要だと?」
「そうです。我々平民は魔導士なら何でもできると思っていますからね……」
スランは、ヨーグルの言葉に何か嫌なものを感じながら、引き受けるしかないと覚悟を決めた。そのとき、アーニンがすぐ後ろに立ち、スランを見下ろした。
「何も問題ないわ。私の言った通りに行動してくれればね……」
アーニンの目に宿る光を見たスランは、恐怖を感じた。
2
目の前で起きているト・ウフー帝国の混乱にあきれ返ってしまったカトルは、自軍右翼部隊に、敵左翼の援護を失った敵中央軍の側面を削り取るように命令を下し、投石器部隊を自軍の左翼側に移動するようにカリリトへ伝令を出した。
(まさか、敵の左翼が一戦もせずに逃げ出すとは……)目の前のト・ウフー帝国軍の中央部では、傭兵達が完全に浮足立っていた。ただし、ト・ウフー帝国軍の右翼軍は未だに隊列を維持し、東の連合国家の左翼軍と戦っていた。
(敵右翼軍を崩壊させればこの戦いも終わりだ。我が軍の犠牲も少なく済むが、カリリトは手柄を上げ損ねたな……)
カトルは、ここでト・ウフー帝国軍を壊滅させる予定が崩れ、ト・ウフー帝国の奥深くまで追撃する必要に迫られ、焦り始めた。カリリトに敵左翼軍を攻撃させ、手柄を上げさせる計画が水泡に帰した。次の命令を早く下さなければ、この遠征も国内での政治闘争も頓挫するかもしれない。
「伝令!」
「はっ」
「敵中央軍の後方に存在する橋を何が何でも奪い取れ、と後詰の騎兵師団に伝えろ。それと、敵左翼はがら空きだ。左翼側から回り込め、とな」
「はっ、了解いたしました! 復唱は!?」
「要らん! さっさと行け!」
「はっ!」
「伝令部隊隊長!」
「はっ!」
カトルの呼びかけに応じて、伝令部隊の隊長がやってきた。
「投石器部隊が左翼に移動しているが、彼らが所定の位置に到着次第、投石器による攻撃を開始したい。そこで、我が軍の左翼部隊に投石器部隊の準備が完了次第、迅速に後退してもらわなければならない。言っている意味は分かるな?」
「前もって、左翼軍に後退する準備をさせる必要があります。迅速に後退するには左翼を預かる各部隊の隊長たちに事情をしっかりと理解させないといけませんね?」
「そうだ。お前は伝令部隊を連れて、左翼へと向かえ。左翼軍の各隊に、今言ったことを通達してこい」
「了解いたしました、閣下!」
(これで、敵右翼軍を壊滅させた手柄はカリリトのものになるだろう。この一戦で敵軍を壊滅させ、早期講和に持ち込み、ト・ウフー帝国を弱体化させる。二度と東の連合国家に侵攻することがないように……)左翼軍へと向かう伝令部隊を見送りながらカトルは思った。




