Retrace:71 最強のスライム
私はいつも通り自室で、今日も研究に勤しんでいた。
私が今手にしているのは、セレンが持ち帰ってきてくれた調査資料。
それはトワリアル地下迷宮の十層にあった、転移の魔法陣に関するものだ。
私は早速、その資料に目を通していた。
流石セレンだ。
転移の魔法陣に関して、調査内容に一切の漏れが無い。
術式はそっくりそのまま書き写してあるし、魔法陣の特徴などの要点は全て見やすくまとめてあった。
「姫様、何か分かりましたか?」
資料と向き合う私に、セレンがそう尋ねてくる。
彼女の言葉に、私は答えた。
「大体の仕組みくらいは分かっているわ。でも細部まで解析し切るには、もう少し時間が必要ね」
「そうですか」
これは重要な転移魔術のサンプルだ。
術式の上部だけを読み解くのではなく、もっと根幹まで目を向けるべきである。
けど、それにはもう少し時間が必要だ。
「どう頑張っても、今すぐこの魔法陣の全てを調べることは出来ないわ。だから、一旦これは置いておきましょ」
手にしていた資料を置き、私はセレンに向き直る。
そして、口を開いた。
「そんなわけだから、先にこっちを済ませちゃいましょ」
「まさかそれは……」
私がセレンに見せたのは、大切に保管してきた伝説の魔物の素材だった。
「これからラムを進化させるわ。最強のスライムにね!」
遂にこの時が来た!
誰も見たことの無い、スライムとしての最終進化。
その最強のスライムへと、ラムを進化させるこの時が!
◆
「ラム、これから貴方を進化させるわ」
私は目の前にラムを呼び寄せ、そう彼に告げた。
しかし今回の主役であるラムは、進化についてあまり関心が無いような素振りを見せている。
私の魔力を食べて成長したラムは、今やクッションくらいの大きさだ。
ただ、体をプルプルと震わせるその姿は、ボールくらいだった頃とは何も変わっていない。
「お願い、ラム。これを全部食べて頂戴」
ラムの大好物は、私の魔力である。
それ以外の物はあまり好まない。
私の用意した進化素材。
ラムはそれを食べなくない様子だった。
だが私がお願いすると、ラムは渋々頷いてくれた。
彼には悪いけど、これもこの子の為なの……。
進化に必要な食べ物が規定量を超えると、スライムは進化するらしい。
つまりラムが素材を全て食べてくれれば、今この場で最強のスライムに進化する筈だ。
「それじゃあ、いくわよ!」
気合いを入れて、私は順番にラムに素材を与えていく。
それら全ての素材を、ラムはその体に取り込んでいった。
高純度の魔力。
ヒヒイロカネの原石。
アダマントガーゴイルの鉤爪。
ミスリルドラゴンの逆鱗。
オリハルコンコカトリスの羽毛。
どれも手間を掛けて手に入れた素材だ。
これらを全て売れば、とんでもない金額になることだろう。
そんな伝説の素材を、ラムは全て食べてくれた。
僅かな食べ残しも無いので、これならいけそうだ。
「よし、全部食べ終わったわね。今にもラムの進化が始まる筈だわ」
私とセレンは固唾を飲んでラムを見守る。
進化の際、スライムは全身が魔力の光に覆われるらしい。
私の読んだ『スライム進化論』には、そんな記述があった。
つまり、ラムは今にもその光に覆われる筈だ。
しかし――
「……あれ? おかしいわね? 全く何も起きないわ」
一向に何も起きない。
ラムに一切変化が見られないのだ。
そんな現状に、私は思わず首を傾げた。
すると、セレンも同じように口を開く。
「何故、何も起きないのでしょうか?」
「うーん、ちゃんと必要な素材は食べさせた筈よね?」
集めた素材は全て本物だった筈だ。
それは間違いない。
「もしや量が足りなかったのでは?」
「いや、計算では十分な量だった筈よ」
「では、何故ラムは進化しないのでしょうか?」
「うーん……」
顎に手をやり、私は悩む。
ラムが進化しない原因は一体何だろうか?
「考えられる原因を上げるなら、前提としての理論が間違っていた可能性ね」
「ですが、以前姫様にその事を尋ねた際、理論は間違いないと仰ってましたよね?」
「そうね。今でも理論は間違ってないと思っているわ」
「ですが……」
頑なに理論を信じる私に、セレンが言葉を詰まらせた。
彼女の言いたいことは分かる。
ラムが進化しなかった以上、私のその主張には無理があると、そうセレンは言いたかったのだろう。
元々の理論が間違っていた可能性が、ここにきて浮上してきたのは確かだ。
でも、何かがおかしい。
私の頭の中で、何かが引っ掛かっている。
「……」
「……」
私とセレンの間に長い沈黙が降りた。
そんな私達の様子を、ラムが「どうしたの?」と言いたげな雰囲気で見ている。
「まさか……」
「何か気が付いたんですか?」
セレンの問い掛けに、私は震えた声で口にした。
「もしかしてセレン、私達は大きな勘違いをしていたのかもしれないわ……」
「勘違い――ですか?」
私のその台詞に、セレンは眉根を寄せた。
そんな彼女に、私は頷く。
「ええ、勘違いよ。まず最強のスライムに関して、私達の知る確かな情報が三つだけあるわ」
そう前置きをして、私はセレンに説明を始めた。
一つ、
「最強のスライムは誰も見たことがない」
二つ、
「最強のスライムは理論上必ず存在する」
三つ、
「最強のスライムへ進化する為には、特定の進化素材が必要である」
この三つこそが、私達の知り得る最強のスライムに関する情報だ。
それを踏まえた上で、私はセレンに質問した。
「ねえセレン、貴方は見たことがある? ラムのように知能があるスライムの存在を――」
「いえ、全く無いですね」
「じゃあ魔力を吸収出来るスライムは?」
「全然知りませんね」
「魔力を食べて、あれだけ分裂するスライムは?」
「聞いたこともありませんね」
「素材を全部食べても、ラムは進化しなかったわ……」
私がそう言うと、セレンも理解したのだろう。
「もしや姫様、ラムは――」
「そうよ。ずっとラムは普通のスライムだと思ってたけど、冷静に考えたら全然普通じゃないのよ!」
一見ラムは普通のスライムにしか見えないが、そのスペックは明らかに異常だ。
思い当たる事を上げてみても、それは一目瞭然だった。
そもそもの話、脳味噌の無いクラゲのような存在であるスライムには、まともな知能は備わっていない筈だ。
しかし、ラムは違う。
言い付けはちゃんと守るし、研究の手伝いだってしてくれる。
とってもいい子なのだ。
「ラムは私が召喚したんだもの。普通のスライムなんて召喚されるわけが無いって、そんなことは当然分かってた筈なのに……」
私はキョトンとしているラムに視線を向ける。
相変わらず可愛い彼を優しく撫でて、私は息を吐き出すように口にした。
「ラム、貴方は元から最強のスライムだったのね……」
これまでの素材集めが全て徒労に終わった。
だが最強のスライムが私の従魔なのだと思うと、それ以上に誇らしくもあった。
「折角集めた素材が無駄になっちゃったけど、ラムが最強のスライムだと分かったし、この際良しとしましょ」
「そうですね。望んでいた結末とは少し違いますが、これはこれでいい結果ですし」
ラムが最強のスライムだと分かったことは、私達にとっては価値のある結果だった。
そんなセレンの言葉を聞き、私はラムに向き直る。
「無理やり素材を食べさせて悪かったわね。お詫びとして、私の魔力を沢山食べさせてあげるわ」
私のその言葉に、ラムはポヨンポヨンとその場で跳ねて嬉しさを表現していた。
そんな彼の姿に、私は思わず微笑んだ。
たとえ最強のスライムだろうが、ラムがラムであることには変わりはない。
これからも彼は、私の大切な従魔で、大切な家族の一員なのである。




