Retrace:20 追憶
二章の最後です。
「はぁはぁ……ッ!」
走る。
ひたすら前に走る。
夕日の落ちる林の中を、青色の髪を振り乱し、裸足の足で進んでいった。
ボロボロの衣服が風にばたつく。
小枝や石を踏み、私の足は傷だらけになっていた。
「はぁはぁ……ッ!」
肺が痺れ、喉が燃えるように熱い。
苦しい呼吸と、鈍重になっていく全身。
頭は締め付けられるようにズキズキ痛い。
それでも私は、必死に足と手を振り子のようにして走った。
決して後ろは振り返らない。
木々の影と夕日のオレンジ。
その不気味なコントラストがもの悲しい。
「う、ううっ……!」
自然と溢れてきた涙を拭いながら、私はひたすら走った。
逃げて、逃げて、逃げて。
何としても生き延びないと……!
姫という立場なんて関係ない。
逃げなければ殺される。
あの相手に、言葉での命乞いなど通用しない。
脳裏に浮かぶのは、私を逃がしてくれた人の姿。
こんな私なんかに、「生きて欲しい」と願ってくれた彼女の姿だ。
「セレン……!」
脳裏に浮かんだ彼女の名。
私は嗚咽混じりに、彼女の名前を口にし続ける。
私をあそこから逃がしてくれた以上、彼女が無事である筈がない。
もう二度と会えないかもしれない。
そう思うと、胸が張り裂けそうになる。
でも、もう後戻りは出来ない。
私がやるべきことはただ一つ。
生きること――それだけだった。
私は何としても生き延びる。
この理不尽な世界の中で、彼女の教えてくれた『幸せ』の意味を探す為に――。
「セレン!!」
私は叫んだ。
そして、慌てて周りを見渡した。
そこにはいつもと変わらぬ私の部屋があるだけだった。
「ゆ、夢……!」
私は思わずそう声を上げた。
どうやら私の見ていたのは夢だったようだ。
ビ、ビックリした……!
心臓がバクバクしている。
「はぁ~」
ベッドの上で、私は一人安堵した。
そして私は胸に手を当て、逸る鼓動を落ち着かせる。
コンコンとドアがノックされ、セレンが部屋の中に入ってきた。
「姫様、どうなされました?」
「何でも無いわ。ちょっと悪い夢を見ただけよ……」
私がそう口にすると、セレンが眉を潜めた。
「またあの頃の夢を見たのですか」
「……」
私は無言で頷いた。
あの悪夢は時々見る。
最近は見る頻度が少なくなってきたけど、やっぱりまだあの頃の恐怖は身体から抜け切ってはいないようだ。
「姫様、着替えを持ってきます。少し待っていて下さい」
「手間をかけるわね」
セレンに言われて気付いたけど、私は全身に汗をかいていて寝間着がグッショリと濡れていた。
「全く……まだ克服出来てないのかしらね、私は」
そんなことをぼやき、私はベッドから降りた。
こんな夢を見てしまった原因は、おそらくリッカが任務に戻ってしまったことだろう。
先日、リッカは私達に別れを告げて、この城を離れた。
私は笑顔で彼女を送り出した筈だったのだが、どうにもそれは違ったようだ。
きっと私は寂しくて、怖かったのだろう。
リッカとはまた会えると分かっていても、その気持ちが消えることはない。
誰かとの“別れ”に怯えるからこそ、私はあんな昔の夢を見てしまったのだ。
「……」
不意に窓際へ足を進め、私はぼんやりと窓から夜空を見上げる。
真夜中の空は澄んでいて、遠くに浮かぶ月が見えた。
それも月が二つ。
昔、勇者様が驚いていたのを思い出す。
確か勇者様のいる世界では、月は一つしかないらしい。
私にとっては二つあるのが当たり前なんだけどね。
「姫様、着替えをお持ちしました。それと一緒にハーブティーもご用意しましたので、どうぞお飲みください」
「ありがとう。遠慮なく戴くわ」
気が利くセレンに礼を言って、私は着ていた服をその場に脱ぎ捨てる。
そして、手早く新しい寝間着に着替えた。
「……」
セレンは何か言いたげな顔をしていたが、黙ったまま私の脱いだ服を回収した。
普段の彼女なら、ここで「だらしないです」と小言を言う筈なんだけど。
ハーブティー同様、気を利かせてくれたのだろう。
本当に出来たメイドだ。
「どうしました、姫様……? 私の顔に何か付いてますか?」
ボーとセレンの顔を見ていたら、そんなことを言われた。
「何でも無いわ。ただ、ちょっとだけ懐かしくなったのよ」
「そうですか……」
僅かに寂しげに、セレンはそう口にした。
そしてそのまま、回収したグショグショの寝間着を持って部屋を出ていった。
「ふぅ……落ち着くわね」
私はハーブティーを一口飲み、長く息を吐いた。
過去の夢を見たせいなのか、真夜中だからなのかは分からない。
けれど少しだけ、私は感傷的な気持ちで空を見上げ続けた。




