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立候補

 アラルドを離れへ案内したけれど、すぐに広場へ移ってもらった。

 昼前には広場に村中の人が集まっていた。

 のんきなことに、アラルドを見つめる女性たちは彼の姿を眺めたり声を聞くために集まってきているらしく、彼の傍の席を勝ち取ろうと押し合いへし合いしていた。

 アラルドの顔立ちが女性にとって魅力的だということはなんとなくわかる。

 けれどアイリスは、彼が魅力的かどうかは別だと感じた。


 ――村長や村の人がいつも言っている、夫として、父として男が持っているべきものの内の何かを、彼はいくつも持っていないように見える。


「アイリス、どこへ行くの?」


 アイリスが彼の前を通り過ぎて空いている方へ行こうとすると、アラルドに呼び止められた。

 アイリスがギースがいる方を指さすと、アラルドは微笑みを浮かべてアイリスの腕を引っ張り己の横へ座らせた。

 女性たちの黄色い悲鳴が響く。

 遠慮なく引っ張られたアイリスは、怪我をしている腹が痛んで顔を顰めた。


「いっつ……何?」

「知らない人間ばかりで心細いんだ。……君がそばにいてくれると嬉しいんだけど?」


 アイリスは怪訝そうにアラルドを見つめた。


「心細いだなんて、全然そんな風には見えないわ」

「本心を押し隠すのが得意なんだ」


 村中の人々の視線を受けても泰然としているようにしか見えない。

 けれど、アラルドがそう言うのであれば傍にいようとアイリスは思った。

 何しろ、村外れの沼で起こった異常事態について、今のところこの人だけが詳しいのだ。

 情報を手に入れる為、この人の機嫌を損ねないよう接しなくてはならない。

 要領としては、行商人であるグランドに対するのと同じ注意点に気を付ければいいだろう。


「あなたがそうして欲しいのなら、いいけど」

「君も僕の傍にいたいと思わないの?」

「何故?」


 アイリスはびっくりして聞き返した。

 そんな風に見えるような態度を取っただろうかと、自分の身体を見下ろしたり、周りを見回したりした。

 女性たちから若干恨みがましい目で見られていることに気づくぐらいで、それ以上のことはわからない。


「どうして? なんで私があなたの傍にいたいということになるの?」

「……ええと、大抵の女性にはそう思われるし、男性にすらそう思われることの方が多いんだよ」

「そうなの? ……そうみたいね」


 きゃあきゃあと言っている女性ばかりでなく、確かに男性もソワソワしている人が多いようだった。

 そういえば、ギースだってアラルドを前にしているとおどおどとして、のぼせているように見えた。


「不思議」

「僕は君が不思議だけど――精霊の強い加護があるのかな」


 精霊の加護があると言われることはよくあって、だからアイリスは、アラルドの言葉が何を意味しているのかはあまり気にならなかった。よく何の脈絡もなく言われることがある。

 その時、人の垣根が割れて、村長がやってきた。

 村長に付き従うようにしてやってきたエレナは、アラルドの姿を見ると頬を紅潮させて駆け寄ってきた。


「神官様でしょう!? 黒衣の神官様!」

「おやおや……これほど辺鄙な村にも信心深い人間がいるとはね」

「荒ぶる神々のことを口にされていたと聞いて、もしやと思ったんです! まさかお会いできるだなんて……!」


 エレナが興奮するのを見ても、アラルドは鷹揚な態度を崩さない。

 シーザリア王国から精霊の教えを説くために巡礼の旅をしていたエレナは、確か体調を崩して旅が困難になり、村長の後妻に入ったはずだ。

 もしかしたら、アラルドはシーザリア王国では有名な人なのかもしれない。


 アイリスは横目でちらりとアラルドの表情を窺った。

 アラルドはすぐに視線に気づきアイリスに微笑んで見せる。

 不思議なことに、どうしてもその笑顔が自分に向けられたものだと感じられず、アイリスを透かして何か別のモノへと向けられているような気がして、アイリスは自分の後ろに何かあるのかと確認してしまった。


「それでは、僕の口から説明するよりこの村の人間である君に話してもらった方がよさそうだね」

「で、ですが……私もあまり詳しいわけではありませんので」

「もし説明が足りないようであれば僕が付け加えてあげよう」

「は、はい! それでは――この世界に精霊様がいらっしゃることはみなさんもご存じのことでしょう?」


 アイリスたち村の人間は頷いた。

 村人たちの墓の傍にある精霊様の廟を管理しているのがエレナだということはアイリスも含め村の誰もが知っていることだった。

 エレナは外から来た人だけれど、村の誰よりも精霊に対して敬虔な心を持っているのは明らかで、誰もがそれを受け入れていた。


「この世にはたくさんの精霊様がいらっしゃって、精霊様は気に入った人間にご加護をくださいます……だけど、精霊様にもお心とお体があるので、お怒りになったり、不調を来すこともある……そんな精霊様を、シーザリア王国では荒ぶる神と呼んでいます」

「カミ?」


 誰かがよくわからないという風に反芻したら、「そう、神です」とエレナは頷いた。


「この荒ぶる状態を乗り越えると、精霊様はより高みに上ることができるのです。それゆえに、高みへ近づいている不安定な精霊様を神と呼び、より高位の存在となるために苦しんでいらっしゃるのをお慰めする意図があるのですよ」


 エレナが微笑むと、村人たちはなんとなく表情を緩めた。

 彼女がそこまで言うのであれば、そしてそんな笑みを浮かべているのであれば、何か対策方法があるのだろうとアイリスにも推測できた。


「神になられようとしている精霊様をお助けすることで、鎮めることが叶います」

「助けるって、一体……?」

「人間に例えると、栄養が足りていないような状態なんです。ですので栄養になるものを運んでさしあげるのです」

「栄養って……」


 アイリスの脳裏をよぎったのは、沼の中に沈んでいった村人だった。

 同じものを思い描いた人は他にもいたらしく、不安そうに隣の人と顔を見合わせていた。


「まずは、妖精の花で大丈夫です。羊などの家畜に妖精の花の花束をくくりつけて、洞窟へと送り出すのです」

「洞窟?」

「ええ……ええと、そういうふうに教えを受けているのですが……」


 エレナがそこで、ちょっと不安そうにアラルドを見た。

 アラルドはうっすらと微笑みを浮かべたまま「彼女の言う通りだよ」と答えた。


「おそらく、もうしばらくすればあの沼のあたりに洞穴ができているはずだ」

「それは、一体……?」


 村の人たちからざわめきと共に質問があがり、エレナは教えられた通りにといった様子で答えた。


「ええと、精霊様がお体を休め、位階をあげるための準備をされている場所なのです」

「天然の廟のようなものと言っていいと思うよ」


 エレナが説明し、アラルドが補足した。

 アイリスも村人も、初めて聞く途方もない話にただ頷くことしかできなかった。


「妖精の花を、そして家畜を送り込み、精霊様が無事に成長された暁には、最後に――人身御供を捧げる必要がございます」

「そんな。捧げられたら――」

「ええ、死にますが……よろしければ、私がこの身を捧げたく思います。村の方々を差し置いて、後から村へ来た私がこのようなことを申し上げるのは失礼かとは思いましたが、もし、許されるのであれば……敬虔な信徒として、荒ぶる神の糧となりたいのです」

「いや、エレナ、おまえがいなくなると村が困る。外との繋がりを持っているのはわしとおまえぐらいじゃ」

「ですが……」


 村長が留めると、エレナは戸惑ったような顔をした。

 そんな彼女を見て、アラルドも彼女を止めるように口を挟んだ。


「そうだよ、エレナ。君のような人間は自ら率先してその役目を果たすのではなく、惑う人間を導き、役目を担う人間がきちんとそれを果たすよう見守り、支えるべきなんだよ。そういう存在が必要なんだ。だから君だってこんな何もない村にいるんだろう?」

「ええ……正しい信仰を知らない人ばかりでしたので、卑小な身ではありますが、私でもお役に立てると思って……」

「彼、村長が人身御供を選定するのを手伝ってあげるといい。大抵そこで争いが起きるのだから」

「選定だって!?」


 リーラの叔母さんがキンキン声で叫ぶのを聞いて、アイリスはあまり問答を長引かせるのはよくないと思った。

 村長が昨日言っていた言葉が思い出された――


(私は孤児だけど、私には、ギースの妾になって彼を支えるという役目がある……)


 とても重要な役目だった。

 ギースを支えることだけなら、女なら誰でもできるかもしれない。

 けれど、ギースに意見をして導くことは、おそらくアイリスにしかできない可能性がある。

 ――村長の言う通り彼がアイリスに惚れているとするなら。

 惚れた男や女というのは対象の言うことをよく聞くようになるものだ。知識としてアイリスもそれを知っている。


(私の他に、孤児は一人)


 見れば、リーラは。

 ただぽかんとしてエレナを見ていた。そしてアラルドを見て頬を赤らめたり、不安そうな顔で周りを見渡したりしている。

 ――率先して手をあげようという気配はない。


 アイリスがちらりと村長を見やると、村長もアイリスのことを見ていた。

 彼はアイリスに言った――村の存続に関わらぬ存在を、有用に活用せよ、と。


 彼は、アイリスと目が合うと首を横に振った。名乗り出るなという意味だとわかった。

 けれど、もしアイリスが名乗り出ず、村長がアイリスをどんな形にせよ庇えば――選ばれるのはおそらく。


(……ごめんなさい、村長)


 もしかしたら自分には果たせる役割があるのかもしれない、とアイリスは胸の中で呟いた。

 村長は素晴らしい役割を割り当てることを考えてくれている。アイリスはそれがとても嬉しかったし、そうなった時のことを夢想した。


 ただ……いくら村長がそう考えているとはいえ、未だにアイリスはただの孤児だし、リーラのように親戚はいなくて、唯一この村にわずかな血縁関係も持たない孤立した存在だ。

 そして、リーラは恐らく受け入れられないに違ないから。


「……私がいくわ」

「アイリス!?」


 村長と息子のギースがほとんど口をそろえてアイリスの名前を呼んだから、アイリスは少しおかしくて笑った。


「私は孤児で、この村における優先順位は一番低いはず……エレナさん、だからって、精霊様がお怒りになるということはないでしょ?」

「そうね……どちらかというと、既に他の精霊様に愛されている人間をより好まれるという話を聞いたことがあるから、アイリスが適任かもしれないわね」


 エレナは微笑みながら言った。

 アイリスが適任であることを祝福するかのように朗らかな口調だった。


(私が行けば、リーラは助かる)


 桃色の髪が鮮やかで、村の若い男の子の誰よりも背の高い、目つきの鋭い女の子。

 強そうに見えると言う人もいるけれど、そうじゃないことをアイリスは知っている。

 彼女には、こんな役目は重すぎる――そう考えながらリーラを見たアイリスは、目を丸くした。


 リーラは、アイリスを燃えるような眼で睨んでいた。

 アイリスは、どんな反応をされるにせよ睨まれるとは思わなくて、狼狽えた。

 

(どうして……?)


 心のどこかで、感謝してくれるのではないかとさえ思っていた自分自身に気づく。

 どうしてそんな風に見てくるのか、聞きたくてリーラに近づこうとしたけれど、アイリスは村人たちに取り囲まれて動くことができなかった。


「よくぞ言ったもんだ、アイリス」

「あんた、見直したよ、あたしゃ!」


 リーラの叔母さんにどんと肩を抱かれてよろめいている内に、リーラの姿は見えなくなってしまった。


「いえ……あの、村のお世話になっている者として、当然のことですから」

「泣かせる話じゃないか、みんな、聞いたかい?」

「得体のしれない、腹の底では何を考えているかわからん子だと思ったがなあ」

「立派な考えを持った子だよ。その時がくるまでは、アイリスにはうんといい思いをさせなくちゃならんな」


 アイリスが、感動して泣いてたり笑っている人たちの輪を抜けると、ギースがものすごい顔をしてアイリスの肩を掴んだ。

 村長もアイリスをぎろりと睨んだ。


「ギース、アイリスを連れて家に戻れ」

「ああ、オレが先に説教しとく」

「あとでわしも説教せにゃならんから、殴ってもいいが気絶はさせるな」

「オレはアイリスを殴ったりはしない」


 けれど、ものすごく強い力でアイリスの肩を掴んではいた。

 半ば引きずられるようにしてアイリスは家へと連れ戻された。

 ふと気になって広場を振り返ると、難題が解決したことで氷解した緊張感の反動で、和気あいあいとしている村人たちの合間に、アラルドとエレナが声をひそめて何かを笑顔で話している姿が見えた。



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