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妾の役割

「おやじがすまない……」


 アイリスは村長宅へ戻るや否や、納屋に叩き込まれた。

 一晩そこで反省していろと唾を吐き捨てて村長が去ると、ギースがやってきてアイリスの手当てを始めた。


「とんでもないクソおやじだ……おやじがあんなわからずやだなんて思わなかった」


 悪態をつくギースにアイリスは眉をひそめた。

 村長へ向かう悪い感情は大抵アイリスとリーラが浚えたと思っていたのに、こんなにも身近に残っていた。


「……村長は別に、悪くないわ」

「庇うことはない! こんな怪我をさせられて! ……息を吸うのも辛いだろう?」


 確かに、呼吸をするとあばらの骨が痛いから、きっとどこかが折れているだろう。

 けれど、アイリスは特に気にしてはいなかった。

 目的はある程度達している。――あとはこのギースの考え方をどうにかしなくてはならない。


「ギース……今、村に必要なものは何だと思う?」

「村に?」

「私、村長が何を必要だと考えているのかはなんとなくわかるんだけど、ギースが何を考えているのかはわからないの」

「おやじの考えなんて、アイリスにわかるのか? オレにだってわからないのに」


 わかっていなさそうなのはよくわかる。

 アイリスが溜息をこらえて頷くと、ギースは首をひねった。


「えーと、オレは……やっぱり金かな? 金さえあれば討伐者が雇えたはずなんだ」

「でも、金はない。大金を得る予定もない。資源もない。これから出てくる期待も持てないわ。このあたりはあなたのご先祖様に徹底的に調べられている」

「まあそうだな」

「もっと……今も用意できるものの中で考えて。手に入らないものじゃなくて」

「なんだよ。絶対に手に入らないなんてどうして言えるんだよ」

「絶対だなんて言ってないわ」

「同じようなもんだ。確かに、そういうところはおやじに似てるよなあ、アイリスって」


 最近よくとれる妖精の花を煎じた練薬を頬の傷口に塗られたアイリスは、そろそろ手当が終わるという時、自分の考えを口にした。


「村人の意思を統一することが必要だと思うの」

「なんだ? それがおやじの考えか?」

「いいえ……私の考え。だからさっきは喚きたてたの。リーラの叔母さんが村長を責めようとしたでしょう。それを止めたくて、私はリーラの叔母さんの注意を私に引こうとしていたの。わざと挑発していたの」

「わざとって、あのままじゃ殴られていたぞ」

「殴られたかったの。村の厄介者同士のくだらない争い。それで済ませられる」


 ギースが難しい顔をして黙り込んだ。その顔は村長によく似ている。

 いずれ、ギースも村長のように村人を導くようになるだろう。だから、きっと理解してくれるに違いない。

 ――とアイリスは考えたけれど、彼の次の言葉はアイリスにとって予想外だった。


「……おまえは厄介者じゃない、アイリス」

「え? なんの話?」

「おまえが自分を卑下するようなことを言っただろう! そのことを言っているんだ!」


 村にとって必要なことの話をしていた。村長がそのために何を必要だと考えているかという、とても重要な話を。

 それなのに、ギースはアイリス個人の話をし始めた。

 何か、アイリスの発言に気に入らないところがあったらしい。


「……孤児の私が村にとって必要なものを考えるなんて、生意気ってこと?」

「またそうやって卑下するのか!」

「えっと、でも……」

「そうじゃない。なんでわからないんだ? おまえの命はオレにとって大事なものなんだよ! ――村のことを考えると、どうしても嫁にはできないけど」


 村長は若くして就任した。世襲ではない。その敏腕さを村中の人に認められたからだという。

 だから親戚、血族が少なくとも、すんなりと就任できた。

 けれど状況の厳しい今、ギースが村長になるためには多くの親戚を要する家の娘を嫁に取るしか次期村長の道がない。

 そして――まだ未熟だとはいえ、ギース以上に村長にふさわしいと思われる次代は今のところない。


「アイリス、おまえが殴られるなんて、オレには耐えられない――村の奴らの意見の統一のために殴られるなんて、おまえは大バカ者だよ!」


 そういって、ギースはアイリスを抱きしめかけて――アイリスがあばら骨の痛みに呻くと慌てたように離した。


「わ、悪い。大丈夫か?」

「骨がバラバラになりそうだったわ」

「ご、ごめん。だけど、これだけは言っておく。アイリス、オレは――」


 ギースが言いかけた時、扉が叩き壊されそうな勢いで叩かれた。


「さっさと出て来い! まさか怪我人に手を出しとるのか!!」

「人聞きの悪いこと言うな、おやじ! それに――怪我をさせたのはおやじだろうが!」


 バタンと音を立てて扉が開かれて、村長が入ってくると、ギースを蹴散らしていく。


「わしはアイリスに話がある。おまえはエレナの手伝いをしていろ」

「おやじ、また殴るのか」

「この戯けが! ――さっさと行け!」


 村長に怒鳴られるとギースは従う。

 けれど村長を睨みつける目には反発心がある。――それを見て、アイリスはギースがいなくなると村長を仰いだ。


「ギースとの付き合い方を変えた方がいいのではないですか?」

「あれは子供には誰でもある反抗心じゃ。あれがなくては大人になれん」

「……だけど、今この時期になくてもいいのに」

「わしもそうは思うが、時期を選べるものでもない」


 村長は扉が閉まっていることを確認すると、その前に座り込んで息を吐いた。


「すまんな、アイリス」

「いえ。――私のしたこと、余計でしたか?」

「いいや。じゃが、村の人間の感情を御する役目は、ギースが担うべきことじゃった」

「あのまま私が何もしていなければ、ギースができましたか?」

「そうは思わん。難しいな……」


 村長が黙り込むと、夜闇の静けさが納屋に忍び込んできた。

 春のぬくもりより冬の残り香のような寒さを強く感じる。


「冷えるな。傷に障るか」

「いえ、大丈夫だと思います。三日ぐらい寝ていれば治る気がします」

「普通骨折はそんなに早くは治らんが――まあ、おまえは精霊様に愛されていそうじゃ。だから丈夫なんじゃろうな」

「精霊様、ですか」


 毎日お祈りをしている、精霊様。

 アイリスたち人間を見守っているらしく、気に入っている人間のことは助けてくれるという。

 頑丈なアイリスを見て村長はよくアイリスが精霊に愛されているというが、アイリスにはよくわからないし、精霊のことを身近に感じたこともない。

 昔はよく寂しさを感じて、誰かに無性に助けて欲しいことがあったけれど、そんな時精霊は傍にいてはくれなかった。


 あれほど助けて欲しかったことはないのに。

 だから精霊に愛されていると言われても、ピンとこない。

 ――そういうことを言うと、普段は優しいエレナが怒るから、不信感を口に出しはしないけれど。


「おまえは不信心じゃが、精霊にとってはそんなことは関係ないのであろうよ。エレナはシーザリア生まれの熱心な信徒じゃが、身体が弱い」

「……お気の毒です」

「面白いものじゃな」

「面白がっていると、エレナさんが悲しみますよ?」

「ここだけの秘密にしておいてくれ」


 アイリスが頷くと村長は笑った。

 不思議なことに、その笑顔を村長はギースには向けることがない。


「アイリス、おまえはよくやってくれている。わしの考えも大凡理解できているが――少々認識がずれているように思う」

「何か?」

「おまえにはギースの妾になってもらいたい。じゃから、あまり泥をかぶるようなやり方をするな」

「……それは、私がどこへも始末できなかったらの話ではないんですか?」


 アイリスはそう思っていた。

 そして、このまま羊飼いの仕事をしていれば命が長くないとも思っていた。

 故に、妾の話を真剣に考えたことはない。


「はじめはそのつもりじゃったが、あのギースではわしと性格が違いすぎるせいか……今この時に、重要な選択ができん。わかるじゃろう」


 アイリスには村長の言葉の意味がなんとなくわかる。

 どうしてギースにはわからないのだろうとも思う。

 そして、村の人たちや、リーラの叔母さんにも。


「ギースにできないのであれば、アイリス、おまえにやってもらう必要がある。ギースはあの通りじゃから、おまえの言葉なら聞くだろう」

「……あの通り?」

「うん? まさか、気づいてないのか? ――ギースはおまえに惚れてるのじゃ」

「……へえ、そうなんですか」


 アイリスはちょっと首を傾げた。

 何か、いい考えがひらめいたような気がしたけれど、一瞬のことで考えがまとまり切らなかった。

 アイリスの反応を見て、村長は苦笑した。


「なんとも淡泊なことじゃ」

「ありがたいことだとは思います」

「そうじゃな。おまえの身分じゃ妾でも十分ありがたがってもらわねば。そして、例えギースが嫁を取ろうともギースを支え続けてほしい。ギースの足りないところを埋めるのじゃ。決して嫁の立場を揺るがせるようなことをしてはならん。ギースがおまえに入れ込みすぎるようであればおまえが舵を取らねばならん」

「できると思います」

「できるかな? 女は恋をすると変わる。嫉妬に狂ってしまえば、おまえがどんな化け物になるのか想像もつかんわ」

「……恋。ギースに、私が?」

「しないと言うのか? ――しなさそうじゃな、アイリス。まあ、ギースに惚れているふりぐらいならできるじゃろう? ……必要であれば」


 アイリスは頷いた。

 確かにできる――いや、やるべきだ。それが村の存続のために必要であれば――アイリスは死力を尽くそうと考えている。

 そうするべきだと心から思う。

 この村で生まれ、この村で死ぬ一人の人間として。


「アイリス、おまえはギースには本当にもったいない女だと思うが、これもこの村で生まれた定めと受け入れよ」


 アイリスは小首を傾げつつも素直に頷いた。


「はい」

「傷が熱を持つようであればすぐにギースかエレナを起こして母屋に移れ。ここで死なれたらかなわん」

「そうですね。それはちょっと、外聞が悪いですね」

「アイリス……これからどうするべきだと思う?」


 村長に尋ねられ、アイリスはそろそろガンガンと痛みだした顎を休ませたいなと思いつつも考えた。

 村長がこうして意見を聞いてくるのは珍しいことだ。


「……しばらくは警戒して、見張りを立てて、巡回すること」

「当面は情報収集に徹するしかない、な」

「万が一の時を考えて、移住の準備を進めておくこと」

「じゃが、移住しても今年の分の村の税金は納めなきゃならん。秋の実りがないととても足りんぞ」

「その時には散り散りになって逃げるしかありませんね」

「この年で流民になるのはちとこたえるが……それしかないか」

「あと、もし何も起こらなかった時のために、行商人を新しく確保するか、グランドさんを何らかの手を使ってつなぎとめる」

「……わしに娘でもおれば嫁に出すんじゃが」

「私では役者不足ですか?」

「おまえにはギースの妾という役割があるじゃろう」


 重ねて言われる己の未来に、アイリスは思考を巡らせた。

 もしギースに足りないものをアイリスが持っているとして、そのために妾になるのであれば、アイリスは村にとって必要な存在なのかもしれない。


(いいのかしら? ……嬉しいけど)


 犠牲になる必要があることはわかってはいても、愉快ではない。

 村長と、ギースにまで必要とされているとすれば、アイリスにはそれだけの価値があることになる。

 そう思うとこれまでになく胸に暖かいものが生まれてくる。


 五歳の時に親は死んだ。外から流れてきた貧乏人だった。親戚はいない。アイリスは親の顔も覚えていなかった。

 アイリスにとって、家族に一番近いものは村長とギース、そしてエレナ。

 孤児の厄介者だと思っていたけれど、違うのかもしれない。

 あふれそうになる感情を押さえて、その感情の代わりにアイリスは口を開いた。


「村長」

「なんじゃ?」

「私……頑張ります。村のために精一杯、尽くします!」

「うむ。先のことを良く考えて、これからは手段を選ぶのじゃぞ」

「はい!」

「必要であれば――自分以外の、村の存続に関わらぬ存在を無慈悲に、有用に活用せよ。わしが許す」


 村長の言葉にアイリスはきょとんとした。

 けれど、村長が納屋を出て行った後、アイリスはその言葉の意味を考え――理解できたと感じた。



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