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村長と息子

 暗闇の中で先ほどの男のことは見失ってしまった。

 怯えて震えている牧羊犬が動こうとしないから、仕方なく抱き上げて、アイリスは小走りで村長の家まで戻ってきた。


 勝手口から中に入った途端、そこに待ち構えていた村長に頬を殴られた。

 いつもなら村長の機嫌を損ねないように、殴られるままに吹っ飛ばされるけれど――


(私を信じてこの犬が身体を預けてる)


 どうしよう、と思っている内に、その場に踏ん張ってしまった。

 村長の髭面が歪んだ。


「おまえ、タクス氏の羊を盗んだそうじゃな!」

「……え?」


 タクス氏。それはリーラの家の名前だ。

 茫然としたアイリスは、すぐに事実を伝えようとした。何か誤解があるに違いないから。

 リーラの家の羊は、逃げている最中に行方不明になったのだ。


「それが間違いだというのなら、このような遅くまで、一体何をしていた!!」

「……」


 答えようとしたけれど、素直に答えるのははばかられた。

 多分、遅くまでアラルドという男に会っていたと答えるのは、よくないこと。

 何も恥じるようなことはないけれど、疑いがかかるようなことだってするべきではない。

 言いよどんだアイリスを見て村長が手を振り上げた。即座にアイリスは犬を下ろす。


 その時、アイリスの前に人影が割り込んだ。


「おやじ! もうやめろよ。アイリスが可哀想だ!」

「この小娘はお前が思っているよりずっと図太くて頑丈だ! もう二、三発殴ったところで足りないぐらいじゃ!」

「やめろって言ってるだろ!」

「……ふん! おまえは盗人と疑われる娘を妾にするつもりか? それにその娘は――まあ、おまえの好きにするがいい」


 何かを言いかけて、けれど口をつぐんだ村長は肩を怒らせて家の中に入っていった。

 アイリスは身体を確認した。頬は腫れている。けれど口の中を切ってもいない。歯も折れていない。今日は軽い方だ。いつも歯は折れないけれど。

 ――不思議とアイリスはリーラより頑丈だった。リーラより圧倒的に殴られているのに、リーラのように歯を折られたことがない。村長の言う通り。


「アイリス、大丈夫か?」

「うん、平気。遅くてごめんなさい。この時間じゃ、もう夕食の準備は終わってるわね」


 仕事を一つすっぽかしたということだ。

 亡くなった奥さんの代わりにいる後妻のエレナは静かに微笑んで許してくれるだろうけれど、彼女は体が弱いから、率先して手伝わなければならないのに。


「……アイリス? こいつは一体どうしたんだ? 具合が悪いのか?」


 牧羊犬の首を掴んで持ち上げながらギースが目を丸くする。

 アイリスはその姿を見て頬の痛みを忘れるほどの嫌な予感を思い出した。


「そうじゃないみたい。ずっと怯えているの」

「まさか、魔物が近づいているのか?」

「わからない。そういう感じじゃない気がするけど――」


 これまでだって、この村は魔物に襲われたことが何度もある。

 ゴブリンの十数匹ぐらいなら、村の人間だけでこれまで殺してきた。

 ゴブリンほどの大物に最後に襲われたのはアイリスがまだ小さい時だったらしいからそれほど詳しく覚えているわけではない。

 けれど、その時だって犬たちの反応はもっとましだったろう。村の大人たちの話では、犬たちはゴブリン相手に勇敢に戦っていたということで、この子たちはこの辺境の村の誇りですらあるのだから。


「――沼地の方が特に恐いみたい。警戒はしておかなきゃ」

「オレ、様子を見に行った方がいいか?」

「私がさっき見てきた。特に何もなかったわ」


 アラルドの存在を思い出してはいたけれど、あえて口には出さなかった。

 だから――ギースが叫んだのを聞いて、隠し事をしているとバレたのかと驚いた。


「アイリス! 危険だとわかっていて行ったのか!?」

「え? ええ。だって、誰かが見に行かなきゃ」

「そんな……それならオレをすぐに呼べ!」


 ギースの命令に、アイリスは本心から不可解に思って首を傾げた。


(ギースは次期に村長になる……身を慎むべきだわ。特に腕が立つわけでもないのに、どうして危険な場所へ行きたがるの?)


 何かわけがあるはずだけれど、考えてもよくわからない。

 アイリスが思考に沈んでいる間に、ギースは続けて叫んだ。


「一人で行って何か危険な目にあったらどうするつもりだ?」


 その言葉でアイリスもハッとした。

 アイリスが一人でいるときに危険の正体と鉢会うとする。

 そして、アイリスがその危険に飲まれた時――その危険の正体を知る者がいなくなる。


「なるほど……そうね、私一人で行くべきじゃなかったかも」

「わかったか? 次からは必ずオレに声をかけること」

「そうね」


 頷いたアイリスに、ギースが満足気に頷いた。

 その時、居間からうなり声が聞こえた。村長の、さっさと来いという合図だ。


「おやじ! 聞いてたか?」

「聞いていた。アイリスがそう言うのであれば、それは事実じゃろう――行商のヤツも言っていたよ。近頃魔物が騒がしいとな。魔王が力をつけてきたとか」

「だから言ったろ? 家畜のことなんて、どうせリーラの嘘に決まってるんだ」

「とはいえ、家畜泥棒を妾にしたなどと汚名を着せられちゃあ敵わん。この手の問題はアイリスじゃどうにもできんだろうから、おまえがなんとかしろ、ギース」

「ああ……だけど、アイリスの言っていた危険については?」

「それについては、わしがどうにでもする。まずは集会じゃな」


 村長が決定を下し、アイリスを見やる。

 言われなくとも、アイリスは何をするべきかわかっていた。

 村の成人者全員に広場に集まるように声をかけ、予定時刻までに広場に明かりを灯しておく。

 長い話し合いになりそうだから、軽食も用意しておいた方がいいだろう。

 すでにエレナは火おこしを始めている。早く外の仕事を終えて彼女に合流した方がいい。


(リーラが嘘を吐いたって、どういうこと?)


 気にはなった。けれど、アイリスは自身にやるべきことがあることを知っている。

 だから何も聞くことなく、アイリスは無言で家から走り出した。



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