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賭け事


 仕事は全て免除され、村の人達からおすそ分けをもらいながら暮らす生活。

 アイリスは、初めは落ち着かなかったけれど、それが自分の命をかけた仕事の分の前払いだと思うことにした。

 ただ、それほど価値のある仕事なのか――と、もらったものを見て改めて驚くことはあった。


「まだ荒ぶる神の元へ行けないの?」

「ええ、まだよ、アイリス――もっと食べなさい。全然減っていないじゃない」


 エレナがアイリスの皿の食べ残しを見て溜息を吐いた。

 アイリスは、空腹を覚えていないわけではなかった。

 ただ、もうすぐ命を失くす身なのに、村の貴重な食糧を食いつぶすことがとてつもなく勿体なく感じるのだ。


「食べてはいるのよ、エレナさん」

「そうね、だけど……」

「どうして暗い顔をするの? エレナさん、神の元へ行くのは誇らしいことなんでしょう?」

「そう、ね。……その通りよ」


 そう言いつつも、彼女は表情を陰らせて、アイリスの皿を片付けた。

 アイリスは手伝おうとして、やめた。やろうとすると彼女が止めるからだ。

 こんなことはアイリスの仕事ではない、と言って――。


「あの、アイリス? ……もしよければ手伝ってもらえる?」

「いいの? エレナさん」

「ええ、今夜は……あなたが残したものを使って、パイを作りましょう。パイの作り方は前に教えてあげたでしょう? くず肉や、残り物だって、みんな一緒にしても美味しく食べられる素晴らしい料理よ。あなたがちゃんと作り方を覚えているか、見てあげる」

「でも、エレナさん、もうパイの作り方なんか覚えても――」


 もうすぐ死ぬのであれば関係のないことだろう。

 そう言おうとしたアイリスの言葉を遮って、エレナはきっぱりと言った。


「覚えなきゃいけないわ。あなたは女の子なんだから」

「女の子でも、結婚なんてしないし、家族もできないわ」

「……そんなこと、わからないわよ」


 エレナはとても小さい声で言ったけれど、アイリスには聞こえた。

 アイリスが驚いて彼女の顔を窺うと、彼女は弱々しく微笑んで見せた。


「……やっぱり、私が入るべきじゃないかしら? 今更だけど、例え光栄なことであっても、年若いあなたには気の毒なことに思えるの」

「でも……アラルドの言葉は当たっていると思うのよ。エレナさんは、これから先、またこういうことがあった時の為に、人を説くべきだと思うの。誰も死にたがらないと思うわ……拒絶されるかもしれないけど――」


 リーラの顔が目に浮かび、アイリスは奥歯を噛みしめてその想像を振り払った。


「……でも、誰かが死ななきゃいけないことを、エレナさんは説かなきゃいけない。その上でどうしてもダメだったなら、エレナさんが身を賭すのもありかもしれない。けれどその後にまた何かがあったら、どうするの? あなたの代わりはいないのに」

「ええ……わかっているわ。でも、最近むごいと思うようになったのよ」

「そんなことはないわ」

「でも、気落ちしているアイリスなんて、初めて見るんだもの」

「エレナさん……そんなこと、気にしちゃダメだわ。例え人身御供に選ばれた人が嫌がって泣き叫んでいても、あなたは心を鬼にしなければいけない人」

「そんな役目を、私が、果たせるかしら――?」


 泣きそうな顔をしているエレナを見て、アイリスは苦笑した。


「それに、私が気落ちしているのはこのこととは関係ないわ」


 あれからリーラとは顔も合わせていない。

 村長が「黙らせておいた」と言っていて、特に不穏な噂が村に広まることもなかった。


(リーラに会いたいような、会いたくないような……嫌な気分)


 迷路に迷い込んだ気がした。その先に正解があるとも思えなかった。

 正解があるとしたら、例えどんなに時間がかかったとしても、解き明かす自信があるけれど――。


「片付け、手伝ってくれてありがとう、アイリス。夕方になったら、夕食の準備にとりかかりましょ。それまでは自由に過ごしていなさい」

「ええ……そうするわ」

「手が空いた? なら、僕と外へ出よう」


 エレナと話しが終わるや否や、気軽に誘ってきたのはアラルドだった。

 エレナが何かを思いついたように手を打って「少し待っていて!」と言うと戸棚を開けてパンやバスケットを引っ張り出していた。

 

 アイリスはアラルドをジト目で見やった。


「どうしたんだいアイリス? 不細工な顔をして」

「アラルド!」

「だって、睨むんだもの。エレナ、アイリスの顔を見た?」

「女の子にはそういう時もあるんです。不細工なんて言ってはいけませんよ、神官様」


 エレナはアラルドを優しく諭すと、アイリスの手にバスケットを持たせた。


「散歩をして、お腹が減ったら食べなさい。軽食を入れておいたから」

「……ありがとう、エレナさん」

「ピクニックをしたら、きっと少しは気が晴れるわ」


 そうは思わなかったけれど、精霊の加護があるからきっと大丈夫だと信じるいつものエレナの言葉より、今の言葉は胸に響いた。

 だから、アイリスは頷いた。


「ええ……きっとエレナさんの言う通りね」


 そうなればいいのに、と願いながら頷いた。

 その時、アイリスは何かの答えを見つけた気がした。


 ――正確ではない言葉の、その意味を少しだけ、理解した気がした。

 願いが込められていることがあるのか、とアイリスは口の中で呟いた。


 人身御供になることを決めてから、アイリスは、とてつもない速度で目の前が開けていくような気がした。






「ねえ、アイリス、僕に怒っている?」

「……怒ってはいないわ」

「そう? 当然、僕に激怒しているだろうと思ったのに」

「そうなの? ……悪いことをしている自覚があるのに、どうしてするのかしら」


 さあ? と薄ら笑いを浮かべて首を傾げるアラルドを見て、アイリスは溜息を吐いた。

 特に目的なくアイリスは歩いた。

 ただとにかく、人のいない方角へと。

 自然と沼地の方へ歩いていた。村人たちは恐れているのか、沼地の方へは必要がなければ近づかない。


 だから最近、アイリスはもっぱらこの辺りにいる。


「暗い顔をしているね。そろそろ死が恐ろしくなってきたのかな?」

「死ぬことは恐ろしいけど、それが理由でこんな顔をしているわけじゃないわ。リーラのことよ」

「……彼女のために死を決意したのにあんなことを言われて、死にがいがないと思っているのかな? 無駄なことをしようとしていると」

「? リーラのことがなくとも、村が助かるのだから、死にがいはあるでしょう? 無駄ではないわ」

「うーん、君の心の隙に付け込もうとしているのに、上手くいかないな」

「……あなた、何しようとしてるのよ」


 アイリスは呆れたが、やはり怒りは湧いてこなかった。

 彼はアイリスを傷つけようとしているが、そのやり方は、アイリスの心の中に弱さや甘さがないと傷つきようのないものだ。

 もしかしたら、リーラには利いてしまうのかもしれないから、リーラに対してやるのであればアイリスは激怒するだろう。

 けれどアイリスに対してするだけなら、彼の試みはアイリスにとって興味深かった。


 彼の試みによって、アイリスの甘さが露呈して――リーラに嫌われているという事実に気づくことになった。

 アイリスは、アイリスが気づいていなかった現実と向き合うことになっている。

 そのことで、彼を責めようとは思わなかった。


「リーラに嫌われているのが辛いわ。村の為に、彼女の為に死んだら後なら好きになってくれると思う?」

「どうだろう? 全く情がないわけでもないだろうから、もしかしたら君の死を受けて初めて悲しむ可能性はあるだろう」

「情がないわけではない? ホントに?」

「……そういうものだろう? 人間って。狭苦しい心の中で、情と憎しみは同じぐらいの大きさで同居する」


 アイリスの目からぽろりと涙がこぼれた。最近、涙もろくなっている。

 そんなアイリスの姿に、アラルドは困惑しきった顔をして首を振った。


「もしかして嬉しいの? 喜ぶところじゃないと思うけど」

「どうして? ……もしかして、嘘を言ったの?」

「嘘ではないよ。きっと事実だろうと思う。大抵の人間がそうだからね。けれど、どちらかというと、君に向けた傷つけるような言葉は本心ではないだろうと、そう言って欲しいものだろう」

「だけどあれはリーラの本心だったわ」


 ゆっくりと二人は並んで歩きながら会話をした。

 アイリスは、リーラの心を確信していた。アラルドは肩を竦めた。


「君は事実を受け止めてしまうんだね。そんな生き方じゃ疲れるだろうに」

「だけど、事実は事実よ。……受け止めなくてどうするの? いつまでも逃げていられるわけじゃないのに」

「自分にとって都合のいい現実だけを抱いて死んで行くことができるだろう、君なら」

「……私は、そうならない方がいいと思う」

「君は強い人間のようだから、そう言うんだろう。厳しい現実を口にする人間は疎まれるものだよ。弱者には」


 沼の畔に腰を下ろして、アイリスはバスケットを放り出した。


「人間って、複雑すぎるわ」

「僕は人間なんて単純な生き物だと思うけど……君がおかしいだけだよ」

「おかしいかしら?」

「おかしいね。そのおかしさがどこまで続くか見物だと思っているよ。死の淵に立てばきっと君も人並みの人間になることができる。僕はそう確信してるよ」

「それは……なんだか、そうなって欲しいような気がするわ。私も人並みの気分になってみたい」

「本当に? だけど、死に際に人並みになっても、直近に迫った自分の死への恐怖と、その選択を選んだ愚かな自分への絶望に苦しむだけだろうけれど――賭けようか」

「賭け?」


 アイリスが首を傾げると、アラルドは「そうだよ」と頷き、笑みを浮かべた。

 ――蝶番が軋むような音。キシキシキシと、アラルドから聞こえる気がする。


「そう……あの化け物の巣に入る時、僕も一緒に入ってあげる」

「化け物って……」

「どうせみんなそう思っているはずだ。君だって――誰も、口に出して言わないだけで」


 やっぱりそうなのか、とアイリスはちょっとだけ安心した。

 みんなそう思っているのだ。だけど言わないのは、やはりエレナのような人に怒られるからなのかもしれない。


「僕も一緒に入って、君を死へと送り届け――死ぬ寸前まで見守っているよ。そこで、君が本当に気高く死に殉じるのなら、君の願いを一つ叶えてあげる」

「本当に?」

「だけど、もしも君が死の恐怖に負けて、僕に命乞いをしたら」


 赤い唇をゆがめて、アラルドはいびつに笑った。


「助けてあげるよ、君の命を」

「え、でも」

「化け物は暴れ、村は滅びるだろう。だが、君が村の全てと引き換えにしてでも自分だけでも助かりたいと願うのであれば、君を逃がしてあげる」

「願わないわ」

「願うかもしれないだろう? 未来のことは誰にもわからない」

「いいえ、願わないわよ」

「そう信じているといい。その方が、それが崩れた時の絶望が、深くなって――面白い」


 そう言って、心底おかしそうに笑っているアラルドを見て、アイリスは首を傾げつつも頷いた。


「あなたこそ、そう信じたいのなら、信じていてもいいわ。――でも、信じている通りにならなかったら、私の願いを叶えてくれるのよね?」

「もちろん」

「それじゃ、私が賭けに勝ったら村のみんなを守ってちょうだい」

「――それってひとつ? しかも永続していない? 僕にこんな退屈な村にずっと貼りついていろと言うの?」


 不満そうに言うと、アラルドは「彼らの身に危険が及ぶようであれば、一度だけそれを退けよう」と言った。


「アラルド、私が命乞いをすると信じているんじゃないの?」

「時折、本当におかしな人間というのはいるものさ。僕はそこまで自分の人生を危険に晒したくはない」


 自分のような人間は他にもいるのかと、アイリスはこれまた驚いた。


「あなたと話していると……色んなことがわかって面白いわ」

「そんなことを言われるのは初めてだよ。ホント君、変わってる。変わりすぎてる」

「あなたに変わってると言われると、なんだかだんだんと……褒められている気がしてきたわ」

「そうだね、人間にしてはあっぱれって思ってるよ。あと頑張れって。どこまで続けられるかな?」


 アラルドが笑うのを見ながら、アイリスは困ったものだと思いつつも、何も言わなかった。

 彼はアイリスの邪魔をしているわけではない。

 ただ、アイリスの本心を探り、試しているだけなのだから。

 

 アラルドと話していたせいか小腹がすいてきて、アイリスはエレナが用意してくれたサンドイッチに手を伸ばした。


 ――彼の軋みを面白く感じる自分がいるのを、アイリスは感じていた。


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